第8話 道場に堕ちる

 細川先生の気合いが道場に鳴り響く。

 とても八十歳を越えた気合いとは思えないほどの迫力だ。

 僕に指導をしてくれている時とは、全く違う先生の姿。

 これが本当の先生なのか。

 竹刀が空を切る音、静まり返った道場に鳴り響く。

 安居院には届かない剣先。

「ジジイの割には豪剣だな? ホントにアンタ、八十か?」

「だから言っているだろう、ただの老いぼれではないと。それにお前さんは、さっきから逃げてばかりではないか? 攻めてこんのかい?」

「言ってんだろ? 手、抜いてやってるんだよ。アンタが死んじまって、少年院入りになるのも嫌だからな」

「そうかそうか、手を抜いているのか。実はワシも手を抜いているんだがな」

 僕は聞き逃さなかった。

 これだけの動きをしているというのに、先生は安居院に手を抜いているというのか?

 口から出まかせじゃないのか?

 明らかに先生の動きは、手を抜いている様に見えない。

 僕は知代子さんを見た。

 知代子さんは黙って、ジッと二人の立ち合いを見ている。

 狼狽している姿が見受けられない。

 という事は、本当に手を抜いているのか?

「ジジイ、余計にムカついてくるぜ。俺のジイさんみてぇだな、アンタは」

「ほほう、小僧のジイさんに似とるのか。それはそれでこちらとしてはやりやすいのう」

 先生が素早く、一歩前に右足を出した瞬間に、安居院の喉元に突きを繰り出す。

 安居院は寸前でかわし懐に潜り込み、先生の竹刀を素早く己の竹刀で持ち上げる様にはじく。

 まるでアッパーカットだ。

 その刹那、安居院は素手で、先生を面の上から殴りつけた。

「なんて事を! 反則よ!」

「外野は黙ってろ!」

 知代子さんの抗議に、安居院が一蹴する。

「知代子、黙っておれ。これは剣道と剣術の立ち合いじゃ。こんな事も想定内、これを肌で感じるのは楽しいなぁ。そう思わないか?」

「やっぱりジイさん、普通じゃねぇな。俺と同じ側、、、の人間、、、かもな。俺のジイさんと一緒の匂いがする。だったら手を抜く訳にはいかないな」

 安居院は大きく一歩下がった。

 先生は殴られても面の効果もあるのか、ふらつく様子を見せない。

 というより先生の身体から、今まで感じたことのない気迫が、この道場内に溢れているのが分かる。

 僕は安居院を見る。

 さっきまでの余裕さが、表情から消えている。

 つまり本気を出そうとしている。

 先生は面を付けているから、表情までは見えない。        

 だがその気迫だけは、異様なまでに感じ取られる。

 道場の静けさに、僕は思う。

 これは立ち合いなのか?

 試合という形式ではなく、立ち合いだと言った。

 だが先生の気迫、安居院の表情から察するに、立ち合いなんて、そんな生易なまやさしいものじゃない。

 まさか。

 いや、そんなの、有り得ない。

 これは立ち合いという名の、真剣勝負、、、、

 つまり命のやり取り、殺し合い。

 思わず自分の首に手を回した。

 そんな事があってたまるものか。

 気が付くといつの間にか、僕は冷汗をかいている。

 止まらない。

 止まる事を、身体が許してくれない。

「ジジイ、これで最後にしようぜ。これで全てが決まる」

「そうじゃな。その方が互いに満足するだろうなぁ」

「満足? それはジジイだけだろう? フカした事言いやがる」

「そうかもな。ワシだけかもな」

 先生が笑う。

 実に楽しそうに、笑い声が道場内に響き渡る。

 安居院はその笑い声とともに、先生に躍りかかった。

 面と見せかけて、胴を狙う安居院だが、先生は剣先の軌道を読んだのか、これを防ぐ。

 つば迫り合いになるが、安居院は先生を押しのけて、そこへ回し蹴りを繰り出した。

 しかし先生は寸前で一歩下がり、この蹴りを避けたと思ったら、再び鍔迫り合いになり、今度は先生が安居院を押しのける。

 ふらつく安居院に容赦なく、先生の剣撃の応酬おうしゅう

 安居院はどれも、竹刀で一つ一つ防いでいく。もしくは、かわしてみせたりする。

 いや待て。

 先生の剣撃を防いでいる姿。

 安居院が先生に押されている、、、、、、

 凄まじい。

 この言葉しか出てこない。

 この立ち合いに見入ってしまう。

 それは僕だけじゃなく、知代子さんも、安居院と一緒に付いてきた女子もその様だった。

 まるでこの道場が、この二人だけの空間になっているようにも思えた。

 僕たちは外野でしか過ぎない。

 この立ち合いを、見届ける傍観者でしかない。

 先生と安居院は竹刀を交えて、語り合っている様にも見える。

「ジジイのくせに、息も上がらないなんてな。大したジジイだぜ」

「よく言うわ。小僧も中々の太刀筋であるぞ」

 安居院は、踏み出すと勢い良く、突きを繰り出す。

 しかし、その突きを先生は竹刀で払いのけるが、再び突きが繰り出される。

 こんな突きを今まで見た事がない。

 そのスピード、とてもじゃないが人間技と思えない。

 突きの体勢を戻す動作から、肘、手首、二の腕の移置はそのまま、全くブレる事なく、再び繰り出される突き。

 まるでリプレイしている様な、精密な動き。

 これが安居院の本気なのか。

 だが二度目の突きも、先生に弾かれる。

 そしてその瞬間は訪れた。

 安居院の突きを弾いた先生は、スキを逃さなかったのだろう。

 右足一歩前に踏み込む音が、道場に鳴り響く。

 状態を低くし、安居院の懐に入る。

 安居院の表情が苦悶くもんに変わる。

 腹部に、竹刀が振り抜かれ、先生は背後に回り残身を取る。

「な……」

 安居院は竹刀を落とした。

 腹部に手を当てる。

 そのまま片膝を着く安居院。

「肝が冷えたわ。流石と言うべき、日輪無神流」

 先生が残身を解いた。

 そして、そのまま開始線に戻り、蹲踞(そんきょ)を取った後、立ち上がり竹刀を腰に収めた。

 安居院はというと、そのまま片膝を着いたままの状態だった。

「剣術、見せてもらったぞ。ワシは満足……」

 先生が安居院に近づいた時だった。

 咄嗟とっさに竹刀を手にしたかと思いきや、先生を足払いして倒し、そのまま馬乗りになって、先生の首元に竹刀を押し付ける。

「安居院! 何やっているんだ!」

「ちょっと何しているのよ!」

 僕と知代子さんが安居院を先生から引き剥がそうとすると、風を切る様な音と、一瞬だけ息苦しくなった。

 知代子さんのほうに目をやると、ゆっくりと倒れていく。

 ほんの一瞬。安居院は左手で、僕と知代子さんの首筋を突いたのだった。

「ちょっと…お前ら、黙っていろよ……」

 安居院がほくそ笑む。

「俺がやっているのは剣道じゃない、剣術、、だ。人を殺める術、、、、、、だ。忘れたのか」

 そうだ。

 僕は忘れていた、先生が言っていた事を。


 組手甲冑術。


 これもそのひとつなのか?

 僕も力が抜けて床に倒れるしかなかった。

「や、やめろ…先生を……殺す気か?」

 首筋の激痛に耐えながら、僕は安居院を睨みつける。

「塚原…お前には見えないのか? このジジイ……面金めんがねの奥で笑っているぞ…つまり、最初ハナからその気だったって事だろう……」

 竹刀がきしむ音が響く。

「殺しはしない…ただ……これは立ち合い、、、、だ。ジジイのやり方と俺のやり方のぶつかり合い。それだけの……こ…と……」

 安居院は言い終わるか、終わらないかのうちに、そのまま倒れてしまった。

「安居院さん!」

 あの女子が駆け寄ってくる。

 先生はゆっくりと起き上がる。

「知代子、大丈夫か? 塚原も」

 先生は面を取ると、僕と知代子さんの様子を伺った。

「この小僧、流石としか言えないな。真剣であっても、目の前の敵を倒す、、、、、、、、、そのように身体に叩き込まれたとみえる」

「おじいちゃん…大丈夫?」

 知代子さんのかすれた声がする。

「知代子こそ大丈夫か? 小僧の肝臓にめがけて振り抜いたのだが…とんでもない小僧だ………」

 先生は僕の様子も診ている様だったけど、よく分からなかった。

 段々と意識が遠のいていく。

 遠くのほうであの女子に「氷嚢を持ってこい」という、先生の声が薄っすらと聞こえる気がした。

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