第6話 塚原の中段構え

「あの小僧、塚原と同じ高校にいたというのか?」

 僕は安居院の前で何も出来なかった自分が恥ずかしく、その足で細川剣道道場に向かい事の詳細を先生に話した。

 新歓での出来事、僕が安居院を尾行してしまった事、安居院と対峙した事。

「しかし塚原。お前も何て姑息な真似をしとるのだ? 謹慎中のその小僧をつけ回す様な事をして何になる? お前はお前の剣道を磨けばいいだろうに」

「自分でも…馬鹿な真似をしたと思っています」

 僕は全てを告白して、自分の顔が熱くなるのを感じた。

「お爺ちゃん、長義くんも反省しているんだから、それぐらいでいいじゃない?」

 知代子さんがお茶を用意しながら、こうべれる僕を擁護ようごしてくれる。

「しかしなぁ、相手は剣術を使う小僧だぞ? 剣道と剣術の違いを、ワシは教えたはずなのに自らおもむくならまだしも、尾行してつけ回すという行為が気に入らん」

「まぁ、確かにそうだけど……。でもこうやって、正直に話しに来たんじゃない? 許してあげようよ」

 しかしなぁ、と繰り返す先生。

 当然だ。

 僕は剣道を志す者として、恥ずかしい真似をしてしまったのだ。

 先生がお怒りになるのは当たり前の事なのだ。


 弟子の不始末ふしまつ


 そう言われても仕方がない。

 ただ僕はひとつだけ、先生に伝えていない事があった。

「先生」

「何だ?」

「実は安居院と対峙した時に、僕が全く身動きが取れなかった、とここまではお話ししましたよね?」

「そうじゃな。そこまでは聞いたが」

 僕は安居院の行動に違和感を覚えたその瞬間を、先生に言わなければならない。もしかしたら、何かが分かるかもしれない。

 先生は安居院のVTR観て、剣術、組手甲冑術だと見抜いた。

 だとすれば、安居院貴久が何を考えているか、八十歳を越えているこの人なら、何かを知っているかもしれない。

「あまりの恐怖で、動けなかった僕の耳元で、あいつは……あいつは囁いたんです、、、、、、、、、、

「囁いた?」

「はい。『中段構え。何を教わったか知らないが、その構えでは塚原の本気は出せない。元に戻せ。お前が言う剣道を極めたいのなら、お前の剣道を、構えを、残身を心掛けろ』と……」

 先生は黙ってしまった。

 知代子さんも黙り込んでしまう。

 僕は安居院に言われた言葉、一字一句いちじいっく、聞き逃さなかった。 

いや、聞き逃さなかったというより、その言葉が脳裏にこびり付いているといった方が正しい。

「塚原、お前は中段構えを変えたのか?」

「変えたというより顧問のアドバイスで少々構えをいじった、といった方が正しい気がします。顧問は元県警の方だと伺っています。なので顧問が言うのなら間違いないと思って、中段構えを少しだけいじらせてもらいました」

「それで、どうなった?」

「初手の振りが、少し速くなった気がしました。しかし安居院は、それではお前の剣道は生かせない様な言い回しで、そう囁いたのです」

 ありのままを先生に話した。

 うーむ、と唸る先生。禿げ上がった頭を擦りながら、何かを考えている様子に見えた。

 それを尻目に知代子さんが、

「安居院って子だっけ? 新歓で塚原くんの中段構えを見ていたとしても、その後謹慎になった訳でしょう? その後、塚原くんが顧問から指導を受けて中段構えを変えたとしても、パッと見で分かるはずなんてないはずよ。しかも敵に塩を送る様な、そんなアドバイスまでするその安居院って子、一体……」

 そこまで言って、黙り込んでしまう知代子さん。

「しかし」

 先生の口が開く。

「塚原の中段構えの変化をひと目で見抜くその洞察力は、凄まじいとしか言えん。そしておそらくだが最初の練習で塚原の中段構えを見て、それだけでお前の強さを見抜いたとも取れる。だから顧問から教わった構えでは、強くなれんと断言したのかもしれんな」

 たった一回で?

 たった一回見ただけでそんな事が出来るのか?

「だがな」

 先生が続ける。

「こうも考えられる。塚原は全中二位の成績を残している。その中段構えで、二位まで登りつめたじゃ。その小僧も馬鹿じゃない。お前の名前を知っていて、お前を意識していたはずじゃ。強い奴と立ち合いたいというのが本音ではなかろうか? じゃからこれだけは言える。中段構えの変化に気付いた安居院は、全中二位のお前の構えを見て、これ、、弱くなる、、、、と思ったのではないか?」

 まぁ、あくまで憶測の範囲だけどな、と付け加えた。

 憶測といえば、それで片付いてしまうが事実、僕は安居院に指摘された。

 何の脈絡みゃくらくもなく、突然に、だ。

 それはやはりどう考えても説明がつかない。

 それに弱くなるとは?

 中段構えを少し、いじっただけだぞ?

 それだけで僕が弱くなるというのか?

「先生、やはり納得が出来ません。構えを少しいじっただけで、僕は弱くなるなんて事、有り得るのでしょうか?」

 すると先生は、間髪入れずに、

「有り得る」

 と答えた。

 僕は愕然とした。

 振りが少し速くなる、あの中段構えでは弱くなってしまうのか。 

 顧問の山本先生の指導は、間違っているというのか?

「塚原よ、お前がここの道場に来て、もう何年になる?」

「えっと、かれこれ…約十年近くになりますか?」

 うむ、と首を縦に振る先生。

「そうだな。うーむ」

 腕組みをして、何やら考え込む先生。

 そしてソファから立ち上がると、

「言葉であれこれ言っても仕方がない。塚原、道場に行くぞ」

「道場ですか?」

「その顧問から教わった構えで、ワシに面を打ってこい。そうすればその小僧の言った事の真意が分かるじゃろう」


              ※※※※※


 道場に場所を移すと、先生は僕に竹刀を渡した。

 よわい八十越えの先生が、面を付けずに、教わった構えで、全力でワシに打ってこい、と言い始める。

一緒に付いてきた、知代子さんも驚きを隠せない。

 僕はてっきり、防具を着けるものだと思っていた。

 だが、お互い着の身着のままの状態で、竹刀を持って立ち合う事になった。

「ちょっとお爺ちゃん!」

「黙ってみておれ」

「お爺ちゃん、いくら何でも…」

「黙ってみておれと言っている」

 その語気に威圧され、知代子さんはそれ以上何も言えなくなった。

「先生、いくら何でもこれは。先生に怪我を負わせてしまいます。僕にそんな事は出来ないですよ」

 僕が怖気づいていると、

「ワシを誰だと思うておる? 塚原ごときに面を取られる訳なかろう」

 先生がそうげきを飛ばした。

「一度でもワシから一本を取ったことのないお前が、いつからそんな自信家になったというのだ?」

 そうだ。

 僕は先生から一度も一本を取ったことがない。

 先生の目を見る。

 面を付けていないから、その眼光が良く見える。

 鋭く、そして静かに中段に構える。

所作しょさなど不要、このままかかってこい!」

 僕は帯刀していた竹刀を抜き、顧問から教わった中段に構える。

 先生は本気だ。

 ならばそれに応えるのが剣士の務め。

 り足で、距離を測る。

 そして言われた通りに、そのまま僕は先生の面を取りにいく。

 顧問から教わった中段からの面取りの出方でかたは、いつもの構えより素早く出る。

 普段の練習の様に、面を取れるはずだった。

 しかしその刹那、先生は待っていましたと言わんばかりに、素早く懐に入り込み、僕は胴打ちされていた。

 あまりの出来事に、膝をついてしまう。

「ふむ、確かに面打ちには効果があるかもしれんが、今のお前では使いこなせん。少し中段を上げた様だったな。しかしそれでは脇が甘くなる。要は防御がしにくいと一緒だ。このままではインターハイ、いや、県大会でも通用せんな」

 手を抜いとるから、そんなに痛くは無かろう、と先生は笑いながら僕に伝える。

 知代子さんが僕に駆け寄る。

「大丈夫? 長義くん」

「えぇ、そんなに痛くもないので」

 というより、全く痛くなかった。

 本当に先生に手を抜かれていたんだろう。

 先生が話を続ける。

「約十年、塚原はここで教わった中段からの、面、小手、胴の動きが身体に染みついておるはず。今年のインターハイにレギュラーが取れなかったとしてもだ、来年再来年と長い目で見たとして、その構えではおそらく攻撃は出来ても防御がままならん。今まで通り上手くいっていたものが、全く通用しなくなると、塚原自身が悩むだけ。おいそれと構えを変えて、強くなるものではない。顧問は憶測じゃが防御対策までは、考えてはおらんだろう。それをあの小僧は見抜いた、としか今は言えんな」

 一枚も二枚も上手うわてじゃな、その小僧は、と高らかに笑う。

 現に軽く振り上げた瞬間、胴打ちをもらった感覚だった。

 僕自身、胴がくる、と頭では反応していたが、思うように身体が動かなかったのは事実だ

 体感した。

 このままでは、僕は僕の剣道が出来なくなってしまう。

「先生! 僕はどうしたらいいんですか? このまま自分の構えでいけばいいのか、それとも顧問の指導をしっかりと受け止めた方がいいのですか?」

 惨めだ。

 こんな事を先生に、質問するなんて。

 これが僕の、心の弱さか…。

 心技体の心。

 僕に欠けているのはこれだ。

「塚原の弱さは前にも言ったが心だ。お前は誰よりも実直で真面目だ。だからこそ心にスキが生まれる。いいか?」

 先生は一呼吸入れるて前のめりになる。

「強くなりたいのであれば、物事を柔軟じゅうなんに考えてみろ。そして自分の剣道に合う、練習、指導を見極めてみろ。こればかりはワシも、その顧問もどうすることもできない。つまりこれは、お前自身の問題だ」

 ぐうの音も出ない、正論を先生に述べられる。


 柔軟さ。


 確かにこれは欠けていると自分でも思う。

 剣道は自分自身との戦いでもある。

 僕はその自分自身にさえ、負けてしまっているのだと思う。

「だが…」

 先生が何かを言おうとした。

「何です?」

「塚原を何もせずにくっし、己の威圧だけで相手の気合いを殺すなど、中々の小僧だな。十五、六の若さで、その様な技をどのようにして身に付けたのか、興味があるな」

 その場に正座をしながら、ふむふむ、と感心しながら僕にこう言ってきた。

「その小僧を、ここに連れてこい。剣術を使うとしてもそこまでの力があるとは、ワシも中々信じ難い。それにな、ワシも剣術は色々と流派を知っておるし、どのような流派でどのような歴史を辿ったのか、その知識はあるのだがそこまで鍛え上げた小僧の流派と一致する流派が、皆目見当かいもくけんとうがつかんのだ。百聞ひゃくぶん一見いっけんにしかず、だ。だから塚原、この道場にその小僧を連れてこい」

 細川先生は僕にそう命じた。

 再び僕は、安居院と対峙しなければ、ならなくなってしまった。

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