第5話 円城寺岬

 やはり塚原だった。

 しかも単身で俺に挑んできた。

 その心意気は認めなければならない。

 賞賛に値する。

 本人が理解しているか、していないかの問題じゃない。

 俺に立ち向かうやからがいる事は、決して悪くないはない。

 それぐらいの気概を持った奴がいなければ、俺としては面白くも何ともない。

 例え実力がともなっていようと、いなかろうと。

 立ち向かってくる者には容赦はしない。

 それが俺のやり方だ。

 日輪無神流とは関係ない。

 俺自身のことわりであって、ブレる事など一切ない。

 しかし余計な事を奴に、吹き込んでしまった。

「中段構え。その構えでは塚原の本気は出せない。元に戻せ」

 我ながら呆れてしまう。

 敵に塩を送るような行為をしてしまった事に。

 塚原が竹刀袋から竹刀を抜いた時に、すぐに中段に構えた。

 その構えに、ひどく俺は違和感を覚えた。

 全中二位の成績を持つ塚原が普段の中段と違い、少し変えた中段構えを今更してくるだろうか。

 俺だって馬鹿じゃない。

 初日の新歓での打ち込みの際に、新入部員全員の構えを俺は全て記憶している。 

 自慢ではないが、昔から勉強は得意だった。

 だから覚えるのも得意だ。

 塚原の中段構えには、迷いがない。

 基本から自分なりに叩き上げてきた成果でもあるのだろう、理想と言えるほどの中段構えだ。

 この俺でさえ認めざる得ないほどだった。

 そしてすぐに悟った。

 おのれを叩き上げるという事は、己の心の弱さを良く知っている証拠だ。        

 だからこその理想的な中段構えなのだろう。

 それをここで変えるなんて、決してあってはいけない。

 そんな事、塚原を弱くするだけだ、、、、、、、

 おおむねね、察しは付いている。

 塚原の中段構えにテコ入れしたのは、県警上がりの山本であろう。

 塚原が己で手に入れた中段構えを、何の躊躇ちゅうちょもなく、勝手に改変させた。

 県警、、という肩書きに、胡坐あぐらをかいている山本。

 気に食わない。

 塚原に対してもそうだ。

 県警という肩書きに惑わされ、自分が築き上げた中段を、あっさりと変えてしまった。

 もっと骨のある奴だと思ったが……。

 だが事もあろうに俺は塚原に、アドバイスしてしまった。

 これも俺自身の心の弱さなのか? 

 それとも塚原の中段構えに、何か可能性を感じたのか、どう考えても分からずじまいだった。

 ガラにもない事をした、と自分でも思ってしまう。

 暫く外出でもするか、それともこのまま寮に帰るか、迷いながらも、正門前まで近づいていた。

「あれ? 貴ちゃん。外出かい?」

 聞き覚えのある声。

 というか、いつも聞いている声。

 振り向くと、半袖短パンジャージ姿の千葉がいた。

「っていうか、探したんだぜ? 部屋に帰ってもいないからさ」

「探した? そんな事より、お前は部活中だろう? スポーツ推薦で入学したっていうのに良いのか? そんな自由気ままで」

「あ、その辺はちゃんと許可貰ったから」

 千葉は相変わらず笑顔を絶やさず、俺に向かってそう言った。

「んで、探したってどういう意味だ? 用事なら部屋でも済ませられるだろう?」

「よくぞ聞いてくれた!」

 何を俺が聞いたんだ。

 用事があるなら、って言っただけだろう。

 それにその言い回し、まるで俺が何かを期待しているように、聞こえるじゃないか。

 やっぱり、千葉にはどう言っても敵わない。

 だが千葉の背後に誰かがいるのか、さっきから気になっていた。

 確かに誰かがいる。

 千葉の背の高さで、綺麗に隠れてしまって、全く誰だか分からない。

「貴ちゃん、前に女子には興味がない、って言ってたよな?」

「あぁ、言ったよ。だからどうした?」

「でも俺はこう思うんだ。貴ちゃんは無理してるんじゃないかってさ」

「はぁ?」

 何を言っているんだ、こいつは。

 俺は女に興味なんかない。

 確かにそう言った。

 しかしこの言葉には裏がある。

 女にうつつを抜かしている暇などない。

 俺の計画を遂行していくのに、ただ邪魔なだけだ。

 だから女に興味などないのだ。

 そこまで説明するべきだったか?

 いや、そんな説明はいらないだろう。

 っていうか千葉よ。

 ルームメイトであれば、少しは悟れ。

「俺は無理なんかしてないぞ、千葉。何か勘違いしていないか?」

 しかし、千葉も譲ろうとしない。

「勘違い? してないしてない。あの手紙、、、、を見れば分かる事だよ」

 ばあちゃんに手紙を出している事を、千葉なりにギリギリではあるが、言葉をにごしてくれた。

「だから無理してるって言いたいのか?」

 千葉は大きく頷く。

 それよりさっさと本題に入ってほしい。

 前置きが長い。千葉の悪い癖だ。

「で? 結局何が言いたいんだよ?」

「良くぞ聞いてくれた!」

 だからそれはもうさっき聞いたって。

 これがわざとじゃなく、天然で言っているのだから、怒るに怒れない。

「こちらの女子が、貴ちゃんに用があるそうだ」

 千葉の合図とともに、背後から女子生徒が姿を見せた。

 小柄過ぎる。

 身長が150センチ前後といったところか、前髪が綺麗に揃っており、おそらくロングヘアだろう。

 そして顔立ちは品行方正といっていい、言葉にはどうにも言い表せない。

 不覚にも俺はその女子生徒に、魅入ってしまった。

「んじゃ、俺は部活があるから。この娘をここまで連れてきたんだ、失礼のない様にな」

「おい! ちょ、ちょっと待て!」

 千葉は早々と体育館の方に消えていった。

 まいったな。

 生まれてこの方、女と話なんかした事もない。

 唯一、ばあちゃんぐらいだ。

 同世代の女となんか、会話も無ければ会う機会もない。

 というより、やはり俺の計画には邪魔でしかない。

 千葉が何を勘違いして連れて来た女子。

 面倒くさいが失礼のない様に。

 仕方がない。

 ちょうど俺も考え事をしていたところだ。

 彼女を見た限り、何か思いつめているような、そんな表情だった。

 何がキッカケになるか分からない。

 これも縁、というやつなのか、俺にもさっぱり分からないが、話だけは付き合ってやるか。

「とりあえず、外で話します? それとも学食で?」


              ※※※※※


 彼女に連れられて、駅に近い喫茶店に入る事になった。

 俺はいつも学校と寮しか行き来しない。

 用があるとすれば、校内にある売店である程度済ましてしまう。

 つまり、この辺りの土地勘は全くないのだ。

 たまたま今日偶然にも外出してみるか、と思った矢先に千葉によって紹介された女子生徒。

「ご注文は?」

 店員が水の入ったコップを2つ、テーブルに置きながら尋ねる。

 俺には似合わない喫茶店だ。

 レトロ感がある造りに、店内に流れるBGM、どれをとっても俺とは無縁のものだ。

「コーヒーを」

 女子生徒の声が、俺の耳の中で反響する。

 とても透き通っていて、聞き心地の良い声。

 その声に俺は、我を忘れそうになってしまった。

「何にいたしますか?」

 ハッと我に返る。

 そもそも、こういう店に入った事なんてない。

 山育ちの俺にとっては、生まれて初めてだ。

 メニューを見て迷っていると、

「コーヒーを二つ、それでお願いします」

 女子生徒がすかさずそう言った。

「かしこまりました」

 店員はそのまま、厨房へと姿を消していった。

 どうも調子が狂う。

 これだから女は嫌なのだ。

 俺の邪魔をする対象でしかない。

 しかし。

「こういうお店は初めてですか?」

 俺にそうたずねてきた。

「あ、まぁ、そうだけど……」

 狼狽うろたえている。

 この俺が。

「そうなんですか。でもここのコーヒー、美味しいですよ」

「へ、へぇ…」

「あ、自己紹介がまだでしたね。私は安居院さんと同じ、剣道部女子一年の円城寺えんじょうじみさきっていいます。よろしく」

「同じ剣道部か?」

 岬と名乗った女子生徒は、小さく頷いた。

「だったら、今頃練習中じゃないのか? 良いのか? こんなところにいて」

「今日は練習、休みですよ?」

 だからか、塚原が俺を尾行してきたのは。

 それだったら合点がいく。

 いや、待て。

 何でこの岬さんは、そもそも俺の名前を知っている?

 まさかとは思うが、千葉が言いふらす事なんてあるまい。

 だとすれば、

「噂は聞いていますよ。新歓でいきなり謹慎を言い渡された一年がいるって」

 あぁ、そっちで知られているのを忘れていた。

 ろくでもない噂だ。

 だが噂が噂を呼び、俺という名が知れ渡るのも、中々悪くはない。

 例えそれが悪名あくみょうであってもだ。

 それだけのインパクトを与えた、という事実でもあるから。

「ちなみに、どんな風に噂が?」

「男子剣道部部長を、いとも簡単に倒した。しかも防具も付けずに、剣先が当たる事もなく、凄まじい速さで立ち合った、と。男子と女子の道場は別なので、この目で見た訳ではないのでそういう噂でしか聞いていません。悪い噂も聞きました。剣道を馬鹿にしているとか、作法が滅茶苦茶だとか、冒涜者ぼうとくしゃだとか」

 彼女の言う通りである。

 敢えてそう立ち回ったのだから、そういう悪評が付いて回るのは仕方がない。

 しかし尾鰭おひれはひれとはよくいったものだがよくもまぁ、ここまで噂が大きくなったものだ。

 冒涜者か。

 冒涜しているのは、噂を流している奴らだろうに。

 しかし、どうもに落ちない。

 そこまでの悪評あくひょうなる噂が飛び交っているというのに、岬は何故俺に会おうとしたのだろう?

 女というのは、大半が噂というものが好物だ。

 井戸端会議、、、、、という言葉が、生まれるぐらいだ。

 噂の根源というのは、大抵女からと相場が決まっている。

 若干、俺の偏見へんけんも入っているかもしれないが、学校、、という小さな社会では女が噂をまき散らす。

 その女である、女子生徒である岬さんが、俺に何の用があるというのだ?

「悪評で有名な俺に、女子のアンタが一体どういう了見で、用があるっていうんだ? 冒涜者とまで言われているんだぜ? 寧ろ話したくもない、同じ空気を吸いたくもない様な相手なんじゃないのか?」

 千葉が言う、


「失礼のない様に」


 を逆手にとって、敢えていつもの俺の普段の言葉遣いで、岬さんに言い放った。

 直後に店員が、コーヒー二つを、テーブルに置いていった。「ごゆっくり」と言って、また厨房へと消えていく。

 間が空いた。

 岬は下を向いている。

 言いたい事があるのならさっさと話せ、と思ったが、その気持ちを抑えながら、コーヒーカップに手を伸ばそうとした時だった。

「あの!」

 突然の事で驚いてしまった。

 一瞬、不覚にもビクッとしてしまったが、平静を装いそのままコーヒーカップに手を伸ばして、コーヒーを飲み始める。

「私、強くなりたいんです。噂では確かに悪評が多いです。でも男子部員が言っておりました。足捌きから、面打ち、小手打ち、残身に至るまで、安居院さんは全てにおいて、完璧だったと。だから御指導して頂きたいのです! 強くなりたいんです!」

 その透き通った目で俺に訴えかけてくる。

「強くなりたいんだったら、普通に練習をすればいい。自分の剣道を磨けばいいと思いますが」

 何をもって強くなりたいのか、、、、、、、、。心か、技か、力なのか。

 岬の目を見れば必死である事は分かるが、強さ、、矛先ほこさきがいまいち分からん。

 だから、あしらう言葉しか出てこなかった。

 すると岬さんは再び項垂うなだれて、下を向いてしまう。

 あー、面倒くせぇ。

 今日は厄日やくびだな。

 塚原といい、千葉から押し付けられたこの女といい。

 部活動謹慎中において千葉を使って、剣道部の情報集めがあだになってしまった。

 こればっかりは想定外だ。 

 しかも相手は女。

 本当に、面倒くさい。

「あの…」

 まだ何か言うのか? この女子は。

「私を見て、気が付きませんか?」

 気が付く? 何をだよ。

 そう思いながら岬さんを、まじまじと見つめる。

 そういえば俺は最初から、この女子生徒を直視していなかった。

 岬さんが立ち上がる。

 見事なまでに身長が低い。

 千葉と一緒にいた時に低いとは思っていたが、改めて近くで見ると想像していた以上に低い。

「私、145センチしかないんです。他の女子に比べても、約10~20センチの差があるんです。それでいて竹刀の長さは、男女関係なく117センチ以下。身長も低ければ、体重も軽い。中学生から剣道を始めて、勝てたのも指折りで。それでも剣道が好きなんです。好きだからこそ、強くなりたいというのはいけない事なんでしょうか?」

 真っ直ぐ見つめられて、少々困ってしまった。

 剣道において身長が低いから弱いとか、強いとかあまり関係ないと言われるが、実際の結果は如実にょじつに出ていたりする。

 特に個人戦においては、他の武道とは違い階級別がない。

 団体戦では他の武道と同じではあるが、個人戦だけは違う。

 団体戦になった場合、例えレギュラーを獲ったとしても、真っ先に先鋒にされるのがオチだろう。

 あくまで俺の個人的な見解だが。

 だから俺は少し、意地悪な質問を投げかけてみた。

「岬さん、だっけ? アンタは強くなりたいから、河口高校に入学したのか? 指折りしか勝てないアンタの事だ。一般受験、もしくは偏差値での推薦で入学してきたんだろう? 河口高校で強くなれると思ったから、強豪校だから強くなれるんじゃないか? そう思ったんじゃないか?」

 岬さんは頷いた。

「でも、やっぱり難しいみたいで、顧問に言われました。『お前は向いていないから辞めた方がいい』って」

「顧問? まさかとは思うが、顧問って…」

「山本先生ですけど……」

 あの県警上がり!

 これだ。

 狭い世界でしか、物事を図れない俗物ぞくぶつめ!

 男子も女子も顧問は一緒。

 中には違う学校もあるらしいが、河口高校は顧問が統一されている。

 だったら…。

「岬さん」

「はい」

「俺は面倒くせぇ事はまっぴら御免ごめんだが、気が変わった。岬さん、強くなりたいって言ったな?」

「はい」

「もしかしてなんだが、面打ちにこだわっていないか?」

「いえ、そんな事は。自分の身長が低い事は、重々承知の上ですし」

 なるほど。面打ちにはこだわっていない。

「中学生になってから、剣道を始めたって言ったよな?」

「はい、入学してすぐです」

 という事は、基礎もちゃんと出来ているはずだ。

 だとしたら防御がなっていないのか、もしくは足捌あしさばきが身長というハンデで、上手く捌けないのか。

 俺はコーヒーを、一気に飲み干した。

「いいよ。謹慎中だが岬さんの弱点をまず探し、そこからどう動いていくか。考えてみる必要性はあるかもしれねぇな」

「ありがとうございます!」

 岬は深々と頭を下げる。

「まだ礼を言うのは早い。まだアンタの立ち回りを見ていないからな。部活が休みの時に、俺が入っている寮の裏庭で教えてやる。それで良いか?」

「はい!」

 岬さんは嬉しそうに答えた。

 何だか調子が狂う。

 俺らしくないというか何というか。

 だが、あの山本が気に食わない。

 それだけだった。

 県警上がり、威張りくさって、岬に辞める様に、諦める様に伝えたのだろう。

 だったら、狭い視野しやでしかものが言えない貴様が辞めろ!

 そういう奴が剣道を、衰退させていっている。

 岬さんを使って、俺の力を、日輪無神流を見せつけてやろう。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る