第23話 古き良き時代の長屋住宅?

学校から最寄りの駅へ向かい、その駅から二駅ほど電車に乗り、大通りをしばらく歩いて狭い道に入る。そしてその道を少し歩くとそれはあった。そこにあったのは一軒の長屋住宅というのだろうか。大分古い一階建ての家が建っていた。


かえで、これが雪乃ゆきのの家なのか?」


「うん、中学生になって引っ越したの、前はもう少しきれいなアパートに住んでいたんだけど……」


 何かをいいかけるように楓は声を消した。


「とりあえず行ってみよう」


 僕は楓の後をついていくように歩いた。辺りは静かだが、時折生活音が聞こえてくる。そして早めに夕食の支度を終えたのか、カレーライスの香りがしてきた。昔からある住宅地といったところだろうか、周りの家は比較的古い家やアパートが多い。よくいえば古き良き時代という人もいそうだが、僕としてはこういってはなんだが、夜は一人では歩きたくはないと思えるような不気味さを感じる。


 目的の長屋住宅の玄関につくと、楓は立ち止まった。


 玄関には古いタイプの音だけが出るボタン、たしか玄関チャイムというのだろうか。それがついていた。玄関自体は赤茶色の扉で取っ手は円形のもの、これも古い建物のドアにはよくあるものだ。全体的に時代を感じさせる建物で、家賃などはとても安いのではないだろうか。雪乃はここでどんな生活をしているのか。ちゃんと生活はできているのだろうか。少し心配になってしまうような建物でもあった。


「押すわよ」と楓は言った。


「うん」僕は楓の声に一言で返した。


 僕は正直いうと、雪乃の家に来ることが何の意味を表すのか、よくわからなかった。なので、楓に任せるしかなかった。友達を家に呼ぶなと言われているみたいだが、それを無視して呼んだからといって、何があるのか。ただその程度にしか思っていなかった。たとえ父にそんなこと言われて、友達を呼んだとしても、仕方ないな。と言われて終わるだろう。そもそも呼ぶなといわれる理由自体が思い浮かばない。


「押すわよ」


「え、うん」


 同じことを二回言う楓に、何かの冗談かと思ったが、楓の顔には緊張の色がうかがえた。楓の緊張する顔を見ると、僕まで緊張してきた。楓がここまで緊張するのはいつ以来だろうか、小さいころピアノをやっていて、その発表会以来のような気がする。今はピアノはやっていないようだが。


 楓が玄関チャイムを押すと、家の中で音が響くのが聞こえた。ボタンを押したときに一度音を発し、ボタンを離した時にもう一度音を発するタイプだった。


「はーい」


 そしてどこか聞き覚えのある声がした。


 玄関が開けられると、視界に入ったのは、見覚えのある少年だった。その少年は僕たちを見て、一呼吸の間を置いてつぶやくように言葉を発した。


「楓さん?」


「久しぶり、結衣、いるかな?」


 少年は楓を知っているようで、その少年の声に楓も言葉を返した。その少年は先日、雪乃のバイト先の弁当屋で見かけた少年だった。見た目は僕より年下に見える。


 その少年は僕たちを見るなり、顔色を変えた。


「帰ってください! 今すぐに!」


「え! ちょっ!」


「姉から聞きませんでしたか! ここに来ちゃダメです!」


 この少年は雪乃の弟のようだ。言われてみれば、雪乃に似てなかなかの美形ではあるようだが、どこか弱さというか、もろさを感じさせた。しかし、彼が僕たちに言い放つ言葉の勢いが尋常ではなかった。しいて言えば何かに恐れ、必死に抵抗する小型の動物のように。


「お願いです。ここからすぐ離れてください」


「え! なんで?」


「いいから! 今はとにかく!」


 彼の突然の剣幕に圧倒されるように、僕と楓は意味もわからないまま、言われるままにこの場を去ることになった。


 何が起きたのかさっぱりわからず、納得しないままゆっくりと来た道を歩いていた。


 楓は「うーん」と、うなり声をあげながら歩き続けた。


 本当になんだったのだろうか、少年、もとい、雪乃弟のあの反応は尋常ではなかった。僕たちが来たことによって、なにかとんでもないことが起こるような、起こってはいけない何かが起こってしまうかのようだった。


 雪乃の家を去る僕はもう一度周りを見渡すと、一台の黒いセダンが道路脇に停まっていた。運転席には五十代か六十代の男性が運転席に座っていて、その視線は僕たちに向かっているような気がした。


「ちょっとさ、この先にカフェがあるの。ちょっと寄っていかない?」


 黒いセダンに気を取られる僕の意識を、引き戻すかのように楓の声が届き、僕の意識は楓へと移った。


「うん、そうだな」


 黒いセダンを少し意識しつつも、雪乃弟の件のほうが僕の頭をいっぱいにしていた。このまま帰っても何だか釈然としない、いったんカフェで気分を仕切りなおそうと、楓のいうカフェに行くことにした。




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