第24話 いつか、空へ

 かえでについていき、しばらく歩くとカフェについた。中に入ると床が木の板になっていて、店全体がレトロな雰囲気とでもいうのだろうか、センスのいい、おしゃれな内装だった。


 棚の上には、先日ボランティアに行く途中で見た物と同じ、スノードームが飾られてた。そのスノードームの中では、長い黒髪の少女が空に向けて手を広げている。その少女はどこか悲しく、寂しげな表情をしていた。


 楓が言うには、このカフェは個人経営の店で、昼から夕方にかけてカフェとして営業し、夜はバーとして営業しているようだ。おしゃれなカフェでゆっくり本を読んでみたいと、日頃から思っていたので、少しだけこういったカフェに興味をもっていた。


 カフェのマスターはやせ型で、気の優しそうなおじいさんだった。僕たちがテーブル席に座ると、メニュー表をもってきてくれて「いらっしゃいませ」と一言だけ言うと、カウンターへ戻っていった。そのメニューは手書きの紙をコピーしたような簡単なものだった。時間的に人がいないのか、僕たちの他に客がいなかった。店の中にはジャズが流れていた。ジャズは聞かないが、僕はこの店の雰囲気が気に入ってしまった。


「雰囲気のいいカフェだね」


「でしょ、あたしここでよく勉強してるのよ」


 楓の成績の良さはこのカフェに秘密があるのかもしれない。そんなことを考えながらメニューを開くと、この店の売りなのか様々な種類と価格帯のコーヒーが並んでいた。安いものは学生の僕たちでも気軽に頼めそうなものから、高いものは誰が飲むんだと声をあげたくなるような値段だった。


 あいにくコーヒーの知識など持っていないので何を頼んだらいいのか分からない。一番安いアイスコーヒーでも頼むか、楓はコーヒーの知識があるのだろうか。楓がコーヒーの種類を名指しで注文するところを、僕が一番安いアイスコーヒーをたのんでかっこ悪くないだろうか。いや、別に楓にかっこいいところを見せようと見栄を張るつもりはないのだが、なんとなく店の雰囲気に合わせたいようなことって誰にでもあって、自ら壊しにいくことはしたくなくて、そんなことを思いながら悩んでいると。


春人はると、決まった?」


「いや、いっぱいありすぎて何がいいのか」


「コーヒー詳しいの?」


 楓に見栄を張ってもすぐ見破られそうだから正直にいうことにしよう。


「いや、あまり詳しくないんだ、こういう店でコーヒーもあまり飲んだことなくて、楓は何にするの?」


「あたしはね、オレンジジュース」


 ……そうですか。


 せっかくだからコーヒーを飲みたいところだけど……。紙のメニューの裏を見ると一番人気と書かれているコーヒーを見つけた。値段も手頃だったので、僕はそのコーヒーを注文することにした。


「で、さっきのことなんだけどさ」


 楓はメニューを脇に置くと僕の顔をじっと見てきた。


「さっきの雪乃ゆきのの弟さん? なんだったんだ?」


「……じつは……」


 楓の声の様子が変わった。そしてどこか今から自分が言う言葉にためらいがあるように感じた。何故か僕が何かを試されているような、そんな感覚がした。


「今からいうことは、結衣のプライベートのことだから、誰にも言っちゃだめよ。春人、朝言ったよね、結衣が笑っているところ見たことないって、今までそんなこという人いなかったの、気づいた人はいたかもしれない、でも、きっと勘違いで終わってて、疑問に思う人はいなかった。桜井君ですら、女子の前では笑ってると思ってる」


 楓の言葉への返答を間違えば、雪乃はどこか遠くへ行ってしまうような気がした。何故かはわからない、それと同時に、楓の瞳にも、何かを求めているような、何かを僕に訴えかけているような、そんなふうに感じた。


「楓、僕は天国の母さんに私の息子は人のために頑張れる人間だって、自慢させてあげたいって言ったはずだよ、何か悩んでることがあるなら、楓のことでも、雪乃のことでも、言ってよ、僕は全力で頑張るからさ、それに、楓のためなら母さんのこと関係なしで力になるから」


「春人? それって……」


「親戚だしな!」


「……そうね! 親戚だしね!」


 何故かわからないが、楓は声を荒らげた。


「お待たせしました」


 店のマスターが頼んだメニューを持ってきて、楓ははっとした表情をして自分の手を口に当てた。そして楓は注文したオレンジジュースを一口飲んだ。僕もアイスコーヒーを一口飲んだ……苦い。


「よろしければミルクもどうぞ。では、ごゆっくり」


 マスターはそういうと小さなミルクピッチャーを置いて、カウンターへ戻った。僕はそのミルクピッチャーからコーヒーへ少しだけミルクを入れた。


「話を続けるわね」楓はせきばらいを一つした。


「小学六年の時に結衣さ、お父さんを病気で亡くしているんだよ、すごく優しいお父さんでさ、結衣もその時、学校に来なくなったりして」


 その言葉を聞いて僕はすぐに声を返せなかった。だけど楓は言葉をゆっくりと確実に、僕に届いているかを確認するかのように繋いでいった。


「みんなで励ましたりして、結衣もようやく学校にくるようになったりして」


「笑わなくなったのってその時から?」


「違う、その時はしばらく笑わなくなったけど、みんなで励ましたりして笑うようになったんだ。でも……」


「でも?」


「結衣が笑わなくなったのは、中学二年になってから、その頃、結衣のお母さんが再婚したんだよ」


「……早くないか?」


 僕からとっさにでた言葉はそれだった。僕も母さんを亡くしている。そして父さんは今も再婚せずに一人だ。僕の父さんと雪乃のお母さんを比べるつもりはないけど、そんなに早く割り切れるものなのだろうかと思ってしまう。


「……早いよね」


 楓も僕の考えていることを感じたのか、そんな言葉を口にした。


「でもね。結衣から聞いたんだけど相手からのアプローチが凄かったんだって、それに負けた感じで再婚したんだってさ。でも、それから少しして、結衣が笑わなくなったの」


「相手とうまくいってないのか?」


「たぶん、それから家に来ちゃダメって言われたり、高校に入ってから、頻繁にアルバイトもするようになって、結構無理してるみたいで」


「雪乃に直接聞いてみるか?」


「それが聞いても大丈夫しか言わないの、それに、中学二年の時一度だけ、あたし見たことがあって、結衣の身体にあざがあった」


 楓はそれをいうと、うつむいてしまった。僕は開けてはいけない何かを開けてしまった気分になった。


 棚の上のスノードームに視線を向けると、中の少女は大空を自由に飛びたくて、空を見上げているように見えた。いつか、その透明なプラスチックの殻を破って、空へ。


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