3.名誉ある男たち

20.「王都」

 目を覚ますと、あなたはベッドに横たわっていた。


 いつぞやの宿屋を彷彿とさせるが、質がまるで違う。日当たりの良い部屋、ベッドは真っ白で清潔に乾いており、身体が沈み込むほど柔らかい。傍のサイドテーブルには、一輪の花まで生けてある。


 香りを嗅ごうとすると、花よりも消毒液の匂いが鼻腔を突いた。もしやここは……病院、なのだろうか。


 ――何か、夢を見ていた気がする。


 その中であなたは生態系の頂点に座していて、全てを手中に収めていた。熟した林檎のような肉の味、甘美に誘う血液の香り……喉が、乾いた。


 あなたは水が無いかと周囲を見回し、花瓶の横に置かれた手紙に気が付いた。差出人はメイベルで、短いメッセージが記されていた。


 『目が覚めたら手紙を丸めて、窓の外に投げなさい』


 手順に従った。手紙は緑光の蝶となって、ひらひらと飛んで行った。


◇ ◇ ◇


 軽いノックが三回聞こえた。どうぞ、と声を掛ける。


「失礼するわ」


 現れたのはメイベルだった。黒いゴミ袋のような物を右手に、松葉杖を突いての登場だ。


「手紙、届いたから」


 メイベルの手には先程の蝶が止まっていた。

 まずは軽く挨拶と、ここが何処であなたがどれだけ寝ていたかを訊ねる。


「見ての通り病院よ。寝てたのはざっと二週間ってとこね。それなりに心配はしてたわ」


 “それなり”らしい言葉だ。あなたは内心で笑い、今に至る経緯を辿った。


 彼女を背負って歩いた記憶はある。しかしそれから――喉が、乾いた。

 あなたは本能的に舌を噛み、己の血を飲み下した。


 甘く、香り高い。知らなかった――自らに流れる血が、かくも甘美な味わいだったとは。ずっと傍にあったのに知らず、一度知ればもう元の認識には戻れない。それこそが啓蒙である。


 乾きが落ち着くと、記憶が少しずつ戻ってきた。


「取りあえず座るわね」


 メイベルはパイプ椅子に座り、黒いゴミ袋と懐から取り出した巾着袋をあなたに渡した。


「そっちのゴミ袋はあんたの装備。こっちは……まあ見てみなさい」


 装備がゴミ袋に入れられていたのは釈然としなかったが、少なくともブラスターガンは無事だった。ジーンズは若干傷があるが、縫えばまだ使える。トレンチコートは買い替えた方が早いだろう。似た物が売っていればいいのだが。


 さて、巾着袋の中身は……目も眩む、大量の金貨だ。上手くいったのか、ユニコーンの角は。  


「まあね。完璧じゃなかったけど、それでもしばらくは遊んで暮らせるはずよ。調子に乗って家なんか買わなきゃだけど」


 誰が家など買うものか。そもそも、あなたの金銭に対する関心が奇妙な程に薄れていたのだが。


 それにしても、一体どうやってここまで来たのか。まさか、手負いのメイベルがあなたを担いだ訳でもあるまいし。


「伝令に走った騎士がいたでしょ。そいつが増援連れてきたのよ。着いた頃にはぶっ倒れたあんたと、喰い尽されたワームの死骸が転がってたけどね」


 喰い尽した……ああ、思い出した。あなたが喰ったのだ。つまり、見られたのか。奴らに。


「いいえ。あんたは人間の形だったし、ワームの件は私がどうにか誤魔化したわ。感謝してよね、大変だったんだから」


 感謝はしよう。しかし、少なくともメイベルは見た筈だ。はっきりとは覚えていないが、きっと惨たらしい光景だっただろう。それにも関わらず、こうしてあなたの元を訪れたのが信じられなかった。


「見たけど、忘れるわ。あんたのお陰で助かったのは事実だし、誰しも一つや二つ秘密はあるものよ。ただ……」


 言葉を切って、鏡を差し出された。


「その眼は隠した方が良いかもね。砂の民どころの色じゃないし、王都では普通じゃない奴は嫌われるから」


 鏡に映る眼は、瞳孔が真っ黄色に染まっていた。明らかに人間のものではない。ここは大人しく忠告に従い、何かしら隠せる物を手に入れるべきだろう。確か、眼鏡を掛けた人間を何度か見かけた覚えはある。サングラスに近い物があればいいが。


「あと、これ」


 二つ折りの小さな紙切れが手渡された。開くと、それは地図だった。ラウラの物と違い、分かりやすく精緻に書き込まれている。


「財布が潤ったからしばらくは魔術に集中するわ。日中は地図に囲ってある喫茶店にいるから、暇なら顔出しなさい」


 それだけ言うと、席を立って病室を出るメイベル。しかし、扉に手を掛けたところで立ち止まり、振り返った。


「……あんたが誰で、何処から来たかとか詮索しないし、一切興味ないから。それだけ言っとくわ」


 そう言い残すと、今度こそメイベルは病室を出て行った。


 一人取り残されたあなたは、身体が動くことを確認し、ベッドから出た。軽い筋肉痛のような痛みが残っていたが、生活の妨げになるほどではない。


 蝶を飛ばしたばかりの窓を開け、外を覗く。穏やかなそよ風と、控えめな悪臭が届いた。石畳の道を人々が忙しなく行き交い、家々の煙突から煙が吹き上がっていた。


 アルハンスクよりも人口はずっと多そうだが、衛生環境はそれほど良くなさそうだ。


 しばらくそうしていたが、人間を見つめるにつれ、少しずつだが空腹を自覚した。あなたは咄嗟に窓とカーテンを閉めて、視線を遮った。何だが、自分が恐ろしく感じたのだ。


 少なくとも自己認識上、あなたは人間としての自覚が薄らいでいた。自分がどのような産まれであるかは知っている。尋常ならざる血が流れていることも、高次元暗黒との繋がりも、ずっと昔に今は無き母に聞かされた。


 それでも、自己認識の損失は大きな問題だった。まさか、この年になってアイデンティティ・クライシスに直面するとは……。


 この世界であなたの秘密を知る者は二人になった。あなたと、メイベルだ。

 しかし、メイベルはあなたを訪れ、興味が無いとまで言ってのけた。


 それが優しさだったのか、他者に対する無関心による物なのかは分からない。彼女はどちらも等しく持ち合わせているように思えたからだ。どちらにせよ、あなたが多少救われた事実に変わりわない。


 ここを出たら、メイベルに顔を見せに行こう。ひょっとしたら、カレンとも再開できるかもしれない。


 結局のところ、前向きに生きて行くしかないのだ。


 大人しく、あなたはベッドに戻った。

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