19.「宙を継ぐもの」

 二〇二五年が終わりに差し掛かった頃、各国の諜報機関は最早全面戦争は避けられず、それによって齎される被害は壊滅的だとの報告を上層部に提出した。


 それを受けた国家上層部は極度のパラノイアに陥り、かつてない規模の予算と技術を投じた計画、人類保存プロジェクトを始動させる――全ては、崩壊後の覇権を勝ち取る為に。


 その手法は、各国によって実に様々だった。


 極東の島国は地下深くにコールドスリープシェルターを築き、ロシアは人体を放射線で意図的に変異させ、崩壊後の極限環境下での生存を図った。Empire帝国 Union連合は第三帝国主導の元、人体と機械の融合体、サイボーグ化を推し進める――大抵は悲惨な結果に終わったが。


 アメリカ連合国だけは、宇宙に活路を見出そうとしていた。


 大量の遺伝子を搭載した宇宙船を宙に放つノアの方舟計画、宇宙の果てに生存可能な惑星を探すラザロ計画。大量の宇宙探索機が地球を離れ、しかし殆ど成果を上げられなかった。


 そしてある時、遂に連合国は遭遇した。宇宙を彷徨う奇妙な生命体、黄色い瞳に頑強な肉体を備えた知的生命体との邂逅だ。二光年の追跡の果てに彼らを殺害した連合国は、地球に持ち帰った彼らの死体――身に着けていた装備と体組織を解析、身に余る知識を得たのだ。


 装備に用いられていたテクノロジーはSDIと重金属粒子投射銃ブラスターガンに。体組織は人体遺伝子に組み込まれ、強力な放射線体制を獲得した次世代兵士を産み出した。


 月日は流れ、崩壊後。宇宙に固執した連合国は計画に失敗。国家を失い地上に放逐された次世代兵士と生き残った人類とが交わり、旧世代と次世代の混血が産み落とされた。大半は獲得した能力を失ったが、極一部はそれを引き継ぎ、脈々と血が受け継がれてゆく。


 あなたはその内の一人、薄まった血と突然変異によって想定外の能力を獲得した、第三世代変異兵士だ。


◇ ◇ ◇


 あなたの肉体を、急激な変異が襲っていた。筋繊維が捻じれ、脳と精神の構造が、大凡人間離れした――より狩猟に適した物へと変わる。耳は聞こえなくなったが、瞳は遂に黄色に染まって錐体細胞が急増、紫外線を捉えられるようになった。


 両腕の前腕筋群が皮膚を突き破り、頑強で鋭い刃を形成した。同様の変異が全身で起こり、トレンチコートを押し上げ、一部が貫通する。


 変異した筋肉は赤黒く、謎の粘液が滴っていた。今のあなたは姿こそグロテスクであるが、生態系の頂点に立つ存在、淘汰の担い手だ。連合国の希望、極限環境下適応生命体である。


 今やあなたの目には、ワームが唯の獲物としてしか映っていなかった。


 先んじたのは、ワームだった。巨大な肉体を収縮させ、あなたに覆い被さるように襲い掛かる。それをあなたは後方へ飛んで回避、着地の衝撃を前方への突撃に変換し、ワームをすれ違いざまに切り裂いた。表皮が裂け黄色い体液が吹き出す。


 それはあなたの顔を汚し、どうしようもなく酩酊するような……恍惚とした感覚を与えた。狩りに特化した脳が齎す、不可逆的後遺症の一つだ。


 血が欲しい。血を浴びたい。乾きが抑えられない。


 それは性欲にも似て、極めて直観的な衝動だった。興奮を鎮める理由も、手段も持たないあなたは、爆発的加速でワームに襲い掛かった。


 四肢を最大限に活用し、本能のままに攻撃を続ける。ワームの表皮を裂くのは楽な仕事だったが、その下の脂肪層は中々に手強い。すぐに再生してしまうし、脂ぎって刃が滑るし、齧っても美味しくなかった。


 降りかかる血液に酩酊しつつ攻撃を続けていると、不意にワームの身体が戦慄いた。所々が肉腫がさらに隆起し、散弾銃の如く体液が発射される。


 咄嗟に右に飛ぶが一拍遅く、あなたの左半身は一瞬でボロ雑巾になった。


 激痛が襲い、あなたは歓喜の金切り声を上げる。


 痛みは生きる感覚。傷跡は勲章であり、それが狩りに付随するならば、崇拝するに足る十分な理由だ。


 体重を支える左脚の筋肉を失ったあなたは膝を突きかけたが、傷は瞬く間に再生した。しかし、入れ替わりに強烈な飢えが襲い掛かる。著しい発達を遂げた筋肉は人の身には過剰すぎて、常に何かを食べていなければ動かすことが出来ない。例えるならば、普通自動車のエンジンで戦車を動かしているようなものだ。


 幸いにも、今は眼前に大きな肉がある。


 散弾を吐き出したばかりでまだ開いている肉腫目掛け、あなたは螺旋を描きつつ突撃した。ワームの肉体に電動ドリルを刺すが如く体内に潜り込み、手当たり次第胃袋に収めて反対側へと脱出した。


 あなたは黄色い体液濡れになり、声帯が独りでに叫んだ。ワームも悲鳴をあげたらしいが、あなたにはどちらも聞こえなかった。


 ワームは、恐れをなしていた。己を蹂躙する小さな怪物は、捕食者の頂点、淘汰の実行者なのだ。逃げなければ。出来るだけ遠く、あの獣が襲ってこない所まで。


 ワームの巨体が天を貫き、勢いよく地中へと潜り込んだ。攻撃ではなく、逃げる為に。全身を超高速で微振動させ、周囲の土を粒子化しつつ地中を泳ぐ。


 それをみすみす逃すあなたではない。背中から六本の触手を生やし、地中へと突き刺す。ソナーのように、地中からの振動が伝わる。獲物の位置が手に取るように分かる。


 本能が導く。どうすれば狩れるのか。空腹を満たせるのか。


 あなたは大口を開け、大量の空気を吸い込む。肺が破裂せんばかりに吸い、胃酸を分泌し食道まで押し上げる。


 そして息を吐く。口から胃酸が放たれ、ウォータージェットのように地を切り裂いた。それは鉄をも溶かす強酸。地中のワームを穿ち、逃避を諦めさせるに十分な威力だ。


 薄暮の中に、赤外線のシルエットが浮かぶ。待望の獲物である。

 触手をしまい、四肢を駆使して駆けるあなたを、ワームは正面に捉えた。


 逃げられないと悟っての一騎打ちだ。


 つるりとした頭部を三つに裂き、すり鉢状の歯を構えて待ち構えるワーム。両腕の刃を更に尖らせ、口元から止めどなく胃酸交じりの唾液を流すあなた。


 先んじたのは、やはりワームだった。チューリップにも似た口で土を掘り返しつつ、猛然とあなたに向かう。あなたは躊躇なくそれに飛び込んだ。


 舌があなたに絡みつき、回転する歯が肉を削り取った。あなたはもがき、胃酸を撒き散らし、両腕の刃で辺り構わず暴れ回る。


 共に強力な再生能力を持つ者同士の戦い。勝利を収めたのは、あなただった。


 舌と歯をすっかり溶かし、体内へと潜るあなた。


 ワームは毒餌を飲み込んだカエルみたくあなたを吐き出そうとしたが、それは獲物ではなく狩人であり、叶わなかった。


 外へと押し出そうとする筋肉を切り付け、抉り、奥深くへと潜り込む。日の届かない体内は当然暗いが、熱さえ捉えることが出来れば、問題ない。


 暗闇の中、纏わりつく繊毛を切る。腸壁を蹴って、何かよく分からない臓器を喰らう。斬って喰らって……やがて体外へと飛び出した。


 大量の血液を浴びたお陰で幾らか平静を取り戻す。振り返ると、ワームはもう動いていなかった。それから、再び激しい飢えがあなたを襲う。


 無我夢中で喰った。それ以外は、覚えていない。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る