18.「追う者、追われる者」

「水飲む? 汗でも拭こうか?」


 病人の手を煩わせるのは気が引けたが、そのくらい甘えても罰は当たらないだろう。あなたは口に宛がわれた水筒から水を飲み、とめどなく頬を流れる汗を拭ってもらった。


 それにしても、このエクソダスは過酷の一言に尽きる。


 幾らかマシになったとは言え、砂の所為で足元はおぼつかず、背中のメイベルと荷物の重みは着実にあなたの体力を奪ってゆく。


 しかし、それより辛いのは……。 


「――ッ! なんだ、気のせいか……」


 これだ。精神的な苦痛である。


 見えざる敵に追われての逃避行では、肉体よりも精神が摩耗するのだ。普段は気にも留めない些細な物事が、全てあなたの生命を狙う悪意に思えて仕方がない。


 遠く空に鳥が鳴けば背筋が凍り、鋭い風が地面の砂を乱せばそこにワームを幻視する。まだそれほど長時間歩いていない筈だが、あなたにはもう何年も歩いているように感じられた。


 今、あなたは何時間歩いているのだろうか。地図上で言えば何処なのだろうか。せめて王都までの距離が分かれば、幾らか気も休まるだろうに。


「ちょっと待ってて……この調子で歩けば日が変わるまでに着きそうね」


 それは結構だ。現在時刻によるけども。


 あなたは懐中時計を持っているが、生憎今はズボンのポケットに入っている。メイベルに取ってもらってもいいが、それで体勢を崩すのは問題だ。


「時計なら私も……壊れてたわ」


 メイベルは小さなため息を吐き、「結構良い値段したんだけど」と言って壊れた時計を投げ捨てた。


 小さな金属音が響き、あなたをぞっとさせる。ワームが聞きつけやしないかと思ったのだ。冷静に考えれば、足音の方がずっと大きいのだが。


 とにかく、落ち着かねば。


 来たら来たで可能な限り抵抗して、駄目なら大人しく食われようではないか。ワームが何処で何をしているか知らないが、所詮は弱肉強食だ。強ければ生き、弱ければ死ぬ。その位の心構えが丁度良い。今のあなたはまるでパラノイアだ。


「勘で悪いけど、午後三時半位だと思うわ。あまりはっきりとは言えないけど」


 あなたがぐるぐると考えているうちに、メイベルはどうやってか時間を割り出したようだ。太陽と物の影から導くにしても、周囲は荒野で木など見当たらない。


「月の位置と魔術量の相関で時を計算してるのよ。古いやり方だけどね」


 ということは、あと九時間近くもこの状態で歩き続けるというのか。


「そうも言いきれないわ。親切な誰かが通りかかって助けてくれれば短くなるかもしれないし、厄介な誰かが絡んで来れば遅くなるかも。まあ、結局は時の運でしょうけどね」


 願わくば親切な人間であって欲しいものだ。何かしらの助けになってくれれば目付物だし、もしワームが襲ってきても人数が多ければ色々と役に立つ。


「いろいろ、って? 仮に五人がかりで斬りかかっても話にならないと思うけど」


 あなたに言わせれば、正面切って戦うだけが戦闘ではないのだ。例えば、親切な誰かを脅して明後日の方向へ騒々しく走らせれば。例えば、親切な誰かの脚を切断して悲鳴を上げさせれば。


 ワームが彼らに感けている内に、その分遠くまで逃げられるではないか。


「……忘れてたわ。あんたがやべーやつだってこと」


 呆れたように呟くメイベル。失礼な、あなたはメイベルの方がやべーやつだと思っている。


 あなたは死ぬまでウェイスランダーだ。どこの世界でもそれは変わらない。世紀末生存者にとって戦闘の最終目的は自己の生存であり、それの為なら何をしようが許される。弱者を踏みつけようが盾にしようが構うまい。


 狩られる鹿は不運などではなく、弱いのだ。


◇ ◇ ◇


 あれから数時間、あなたはまだ歩き続けている。誰も訪れることもなければ集落も見当たらない。ただ変わったのは、地面が草原に変わったこと位のものだ。


 あなたは全く同じペースで、無駄口を叩きもせずターミネーターのように歩き続ける。


「――ねぇ、ねえったら。ちょっと!」


 後ろから頬を軽く叩かれ、ようやく気付く。


「あのさ、ちょっと休憩しない?」


 何を言うか、そんな時間は無い。今にも日が落ちそうだというのに。


「そうかも知れないけどさ、やっぱり休んだ方が効率いいと思うわ。もう何時間も歩き通しだし……背負われてる私が言うことじゃないけど」


 休まずともあなたはまだまだ歩ける。


 強靭な足腰なくして、何がウェイストランダーか。


「さっきから水しか飲んでないでしょ。ちょっとでも座って何か固形物食べた方がいいわよ。栄養とらなきゃ」


 ……一理ある。激しい運動の後は、水だけを飲むのは良くない。

 気の利いたスポーツドリンクなんて物は無いが、塩分くらいは摂るべきだろう。


 背負っていたメイベルを下ろし、あなたも座った。バックパックを開いて水筒とドライフルーツ、瓶入りの塩を取り出した。ちょっとしたお茶会だ。


 水を飲み、夕陽を見て一息。何か、どっと疲れが出てきた気がする。


「……思ってたより、大変なことになったわね」


 確かに。何かしらのハプニングが起きるとは思っていたが、まさか巨大ワームに追われることになるとは予想外だった。


 あなたの人生でも三本指に入る危機である。あれほど焦ったのは、元政府軍の一個大隊に追われた時ぐらいだ。


 ……そう言えば、あなたはメイベルを詳しく知らない。この危機は人生で言えばどれくらいのレベルなのか、あなたは尋ねた。


「ご期待に沿えない答えかもしれないけど、普通に一番よ。あんなクソでかいワームに追われるとか、大抵の人間は一生ないと思うわ」


 貴重な体験だ。何処の酒場でも武勇伝に困ることはないだろう。生きて帰らねば話せないが。


「私は聞いてもいないのに武勇伝を話しだす奴が大嫌いなのよ」


 それはあなたとてそうだ。そういう輩の鬱陶しさと言ったら……何度か、一生喋れないようにしてやったことがある。


 メイベルは小さく笑うと、背負っていた包を開けてユニコーンの角を確認した。


 出発前は真珠と見紛う程の白さだったが、今となっては所々が茶色に変色している。素人目では何とも言えないが、これはまだ価値があるのか?


「茶色い所は使えないけど、他の部分はまだ使えるわ。多少価値は下がるけど、まだまだ売れる」


 結構だ。この努力が報われると良いのだが。


「あのさ、その話なんだけど」


 メイベルはあなたを見ず、言った。


「ユニコーンの角の為に王都に行こうとしてる訳だけど、なんて言うかさ……死んだらそこまでだから。確かに角は高価だけど、それでもあんたの命と比べて優先する物でもないから」


 いまいち要領を得ない話だが、要するに命を大事にしろと言っているのか。


「そういうこと。私が煽っといてなんだけど、命あっての物種だから」


 当然、分かっている。あなたはウェイストランダーだ。


 しかし、十年は遊んで暮らせるとの言葉に踊らされたのも事実だ。らしくもなく、あなたは焦っていたかもしれない。ここからはゆるりと、ゆっくり急いで行こうではないか。


「そうそう、それでいいから……うん?」


 メイベルの後方、あなたから見て十字の方向から物音がした。

 ややあって、薄暮に影が浮かぶ。馬に乗った三人組だった。


 メイベルがユニコーンの角を隠す中、あなたは立ち上がって人影に向かう。


「君たち、こんな所で何をしている」


 そこにいたのは、銀の鎧に身を包んだ三人の騎士だった。


 果たして味方なのか、敵なのか。まだ判別できないが、敵意は感じない。


「案ずるな、我らは巡回中の王国騎士。王国民ならば剣は向けぬ」


 あなたは王国民ではないが、好都合だ。 

 こういった交渉事はメイベルが得意としている。あなたは騎士達をメイベルの所まで案内した。


「あんた達、王国騎士?」

「然り。怪我をしているな、見せてみよ」


 兜に赤い羽根飾りを付けた騎士――恐らく隊長格――が馬を降り、メイベルの脚を改めた。


「手酷くやられたな。痛みはないか?」

「ええ、鎮痛剤飲んだから――ところで、王都まで送って貰えたりしない?」

「良かろう。ただし、ここで何をしているか、我々が満足する回答を得られたらの話だ」


 近頃の治安は良くないとメイベルが言っていた。あなた達の素性も疑われているようだ。幸いにも、探られて痛い腹はない。


「旅人よ。アルハンスクから王都に向かってたんだけど、道中で巨大ワームに襲われてこのザマね」

「今、ワームと言ったか?」

「どうせ信じないと思うけど、そうよ。本当に大きいヤツなんだから」


 あなたはメイベルの説明を補強するべく、その大柄の身体を活かしたジェスチャーを交えて事を伝えようとしたが、その必要は無かった。


 騎士に疑う素振りは見られなかったのだ。


「疑ってはいない。近頃、我々にもそのような報告が寄せられている。未だこの眼で見てはおらんが」

「見ない方がいいわ、気持ち悪いし」

「しかし、我らが滅さねばな。よし、王都に連れて行こう」


 騎士がメイベルを担ごうとした時だった。後ろに控える騎士の一人が、突如地面を指差して叫ぶ。


「隊長!」

「あれは……」


 あなたは絶句した。地面が隆起し、一直線に向かってきている。まるで、内側から掘り返されているかのように。


「ワームか!」

「キリル、伝令に走れ! チャパエフ、私と共に来い!」


 一目で劣勢を悟ったのか、騎士長は一人を逃がし、もう一人と共に剣を抜いた。


 すらりとした長剣は美しく、夕陽を鋭く返す。


 騎士長は剣を高く振り上げ、迫るワームに対し一文字に振り下ろした。眩い斬撃が飛び、地面に深い痕跡を刻む。追撃とばかりに、乗馬した騎士が駆ける。


 見事な一撃だ。相手が巨大ワームでなければ。


 巨大ワームが勢いそのままに飛び上がり、馬ごと騎士を一瞬で飲み込んだ。


「チャパエフ……仇は取るぞ!」


 猛然と突撃する騎士長をよそに、あなたはメイベルを抱えて走った。残念だが、結果は見えている。


 事実、数秒後には金属をミキサーにかけたような音があなたの耳に届いた。


 二重で残念だ。彼らは、思ったより時間を稼いでくれなかった。もう一つは、あっという間に巨大ワームがあなたに回り込んだことだ。


「……何考えて今更襲ってきたのかしら。腹立つわ」


 そんなことどうでもいいだろう。それこそ今更だ。


「まあね。で、どうする? 祈ってみましょうか。祈る神は持たないけど」


 そう、祈るのだ。


 あなたは己の高次元暗黒に祈りを捧げた。

 それは祈りに感応する力だ。邂逅する。あなたは眠り、眠りが目覚める。

 あなたの奥底、人間性とも呼べる鎖が一瞬、ぴんと張り……弾け、自由になった。


 わたしを縛る鎖は最早存在しない。わたしは遥かに望む深みより来たれり銷魂の来訪者。さあ、この異世界に真の名を轟かせようではないか。


 わたしがきみの蒙を啓いてやろう。

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