15.「犬が吠え、風が伝える」

「さて、と。ここらで休憩にしましょうか」


 メイベルの後ろで馬に揺られ数時間、日が暮れ始めた頃にそう号令がかかった。幸いにして天気が崩れる事もなく、依然として雲一つない、美しい夕焼けが望めていた。


 ここまでは順調と言って差し支えないだろう。魔物の襲撃もなく、野党などの連中とも出くわしていない。概ね予想どうりのペース、良い感じだ。


 馬の歩みがゆっくりと止まり、メイベルが下乗する。止まるや否や草を食み始める様子を見るに、ローシャチもまだまだ元気そうだ。


「ここをキャンプ地とするわ。あんたも荷物下ろして設営を手伝って」


 そう言って、メイベルはあなたが背負っていた荷物から大きな布や金属製の棒などを取り出す。


「あんたは焚火とか食事の準備よろしく。食材はその袋に入ってるから、献立は任せるわ」


 恐らく、メイベルは野営地の設営をするのだろう。それなら少し待って欲しい。野営地――シェルターの設営はあなたの得意分野だ。


 旅慣れしているメイベルもそれなりのシェルターを創り上げて見せるだろうが、あなたのそれはより現代的で、実戦的な物だ。現にメイベルが持っている布は自然素材の綿製だが、あなたが持っているのは化学繊維製の撥水、迷彩加工が施されている。


 戦前と戦後のハイブリッドテクニックを駆使したシェルターは、恐らくこの世界での最先端を行っているだろう。


「ふーん? ちょっと何言ってるか分かんないけど、まあ自信があるってんなら任せるわ。夕食は私が作るけど、あれこれ文句言わないでよね」


 文句は言わない……多分。あまりに酷い物が出てくれば分からないが。


◇ ◇ ◇


 約三十分後、あなたのシェルターは完成した。


 金属製の棒を主柱に化学繊維の布を斜めに張り、地面に防水シート。内部は二人で入れば窮屈だろうが、最低限寝袋を二つ置くのに十分な広さを確保できている。簡素だが、防水と擬態の二つを満たした立派なシェルターだ。


 一仕事終えたあなたが満足げな気持ちで感傷に浸っていると、ふと鼻腔を素晴らしい香りがくすぐった。振り返らずとも、匂いの発信源はすぐに分かる。


「出来たわよ。乾燥食品を誤魔化しただけだから適当だけど」


 そう言う割には、随分と立派な料理が出来上がっていた。たき火にくべられた鉄鍋にはごった煮のシチューと、串に刺された謎の肉が二つ並んでいた。


 差し出された皿を受け取り、たき火を囲む。はて、この肉は何だろう。形状は……所々で切断されて細長い、大人の掌ほどの大きさだ。


「ああそれ? トカゲよ。足元でうろちょろしてたから焼いてやったの。丁度二匹いたし、うっとおしかったしね。ちゃんと食べられるやつだから安心しなさい」


 恐る恐る齧りつく。


 味は……思ったよりずっと良い。香草のお陰か臭みもないし、塩加減も最高だ。ウェイストランド暮らしが長かった所為で野生動物の肉―正確にはそれに含まれる放射線―を文字通り遺伝子に刻み込まれるレベルで恐れているが、味自体は申し分ない。それでも、恐れを忘れるにはまだ時間がかかりそうだが。


 それにしても、メイベルが料理出来るタイプとは意外だった。完全なる偏見で申し訳ないが、料理の味にこだわるようには見えないし、ましてや自分で料理などしなさそうなのに。


「めっちゃ失礼ね。ぶん殴ってやろうか」


 だから完全なる偏見だと言ったのだ。


「……まあ、いいわ。一人旅が長ければ料理だって多少は上手くなるでしょ。食事が不味いとやる気も出ないしね。無駄話はいいから、早く食べちゃいなさい」


 促され、シチューを一口。


 旨い。カレンの家で食べたような上品さは無いが、塩味が強めの、考えられたワイルドさがある。とは言え、決して粗雑と言う訳でなく、素材の持ち味を活かした、と言うのが正解だろう。旅人にはうってつけの食事だ。


「明日は荒れるわよ。多分、沢山の死体を見ると思う」


 それは……構わないが、どちらの意味だろうか。文字通り見るだけなのか、あなた達が死体を作る側に回るのか。あなたとしては別にどちらでも構わないが、後者なら少し面倒だ。弾薬の配分を考えなければなるまい。


「馬鹿、文字通りの意味よ。ま、その時になれば分かるだろうけど……野ざらしの死体があれば、どういう状況になるか想像できる?」


 当然、それを狙った死肉喰らいやスカベンジャー共が集まってくるだろう。


 装具目当ての卑しき者どもにコヨーテ、ハゲタカ……この世界ならグールも考えられるか。いずれにせよ、ブラスターガンの敵ではない。


「せいぜい頼らせて貰うとしましょうか。私は走らせるのに忙しいから、後ろのあんたが頼りよ」


 ベストを尽くす。約束できるのは、それだけだ。あなたは二杯目のシチューをつつきながら、そう言った。


◇ ◇ ◇


 翌朝、日が昇ると共にあなた達は出発した。


 モーニングティー――そこらの雑草を乾燥させただけだが――を飲む時間すら与えられなかった為、乗馬したままの優雅なモーニングだ。馬が一歩歩くたびにカップの中の茶色い液体がちゃぽちゃぽと揺れて飲み辛い事この上ない。


 カップを傾けるたびに茶が零れ、先程から密かに唇を火傷しているのは秘密だ。


 一方のメイベルは、左手で馬を操りつつ右手でグラノーラを齧っていた。器用な物だ。


「ねえちょっと。口の中パッサパサなんだけど、それ一口くれない?」


 勿論良いだろう。そして口を火傷するがいい。心中でしたり顔を浮かべつつ、メイベルにカップを手渡す。


「ありがと――うわ、まっず! あんたよくこんなの飲めるわね!?」


 同じ苦痛を与えたかと思ったが……なんか違う。


 あなたは物理的ダメージを受けたが、メイベルはそうでないらしい。乗馬に慣れれば熱い液体を火傷せずに飲むテクニックが身につくものか……?


 帰ってきたカップを見るが、殆ど減っていない。舐めただけ、と言っても過言ではないだろう。余程口に合わなかったのか。


 そんなに不味くないと思うが……あなたが自身の味覚を疑っていると、不意に悪習が鼻を突いた。


 嗅ぎ慣れた、不快な臭い――甘いのだ。砂糖をふんだんに用いた焼き菓子とも違う、どちらかと言えば熟れすぎたフルーツに近い。しかし、それは余りにも重苦しく、何時までも鼻に纏わりつく。


 これは腐臭だ。それも肉――恐らくは人間の。


「……臭ってきたわね、急ぐわ」


 メイベルの合図で馬は速足まで速度を上げる。

 やがて見えてきたのは、荒れ果てた廃村だった。


 骨組みの木材は真っ黒に焼け焦げていて、路地には多くの死体が野ざらしに放置されていた。一般の農民服を着た死体もあれば、一部にだけ金属鎧や皮鎧を装備した兵士らしき死体も見受けられる。


 うつ伏せに倒れた老人の背中を啄んでいたカラスと眼があったかと思えば、次の瞬間には飛び立っていた。


 ここで、一体何があったと言うのだ。


「農民の反乱よ。前に今の王の統治は良くないって言ったでしょ? この不作の時期に税を上げやがったもんだから、農民と兵士が衝突したのよ。で、こうなった」


 それはそれとして、誰かが死体を片付けるべきだろうに。あなたのいたウェイストランドですら、街中の死体は放置されなかった。


 腐乱死体は耐え難い悪臭を放つだけでなく、様々な病原菌をも媒介するのだ。この世界の教育レベルは悪くない。こんなこと分かり切ってる筈だ。


「反乱はここだけじゃない、国中で起きてるのよ。何処もかしこも死体だらけ。片付ける人手が足りないって訳ね。王都じゃ死体清掃の求人もあるわけだし、あんたもやってみれば?」


 私は絶対やらないけどね。とブラックジョーク気味にメイベルは言いつつ、廃村を速足に進む。細かく入り組んだ路地の何処を見ても死体があった。生きた人間など一人も見つからない。


「っと、十時の方向からからグールが二匹。やって!」


 ブラスターガンを抜き、立て続けに発砲する。特にこれと言った事もなく、グールは肉塊になった。いつぞやの森で見かけたグールと同じ種だ。皮肉にも、今やグールだけが死体清掃係なのだ。


 一息つく間もなく、今度は背後から金切り声が響く。振り返ると、やせ細った人間の頭部を鳥にすげ替え、背中から不格好な翼を生やした怪物が追ってきていた。見ているだけで正気を削られるような、悪趣味なオブジェにも見える。


「ハーピーね。飛ばすわ!」


 メイベルが威勢のいい掛け声と共に馬の脇腹を蹴ると、全速力の襲歩で駆け出した。正に人馬一体。見惚れている場合ではないが、絵画の如き美しさがある。


 さて、あなたも仕事をするとしよう。ブラスターガンのセレクターをショックへと弾き、銃口をハーピーへと向ける。


 波を圧縮したような、独特な弾丸が放たれる――ハーピーの口から。


「おおっと! 面白くなってきたわねッ」


 即座に進行方向をずらし、弾丸の経路から逃れる。ハーピーの放った衝撃波が巻き上げた土埃の中、仕返しとばかりにブラスターガンを撃ち返し、ハーピーの右上半身を消し飛ばした。


 成程、荒れると言ったのは脅しでは無かったな――そこで、あなたは違和感に気付く。


 ――揺れている。全力で駆ける馬に乗っているのだから当然? いや、そうではない。それだけならば、周囲の建物は崩壊しないだろう。


 揺れているのは、地面だ。


 突如、廃屋一つが木端微塵に撒き上がり、猛烈な勢いで“何か”が向かってくる。それはまるで畑の畝のような、地面を下から掘り返しているような……。


 それは姿を現す。とてつもなく大きく、日光を遮ってあなた達をすっぽりと陰で覆ってしまった。


「――嘘、でしょ」


 メイベルがぽつり、と呟いた。

 それは、大型トレーラー程もある巨大なワームだった。

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