16.「だがキャラバンは進む」

 突拍子もなく訪れた、あまりにも現実離れした光景に呆然とするあなたは、巻き上げられた土の一片が頭に降りかかった衝撃で現実を取り戻した。


 巨大ワームが地響きのような唸りを上げ、身を戦慄かせる――大気が震え、壮大な体躯から土塊が剥離、砂のヴェールに隠されていた肉体が露わになった。


 成長しすぎたミミズを思わせる土器色の表皮と所々で隆起した肉腫、そこからワイヤーのような太い体毛が何本か生えていた。肉肉しいその外見を見ているとどこか……遥か昔に失ったはずの、生理的嫌悪感を根底から揺さぶられる。


 ワームが首をもたげ、あなた達を照準に捉えた。つるりとした頭部がぱっくりと三つに割れ、内部に隠されていたすり鉢状の歯と、生暖かい腐臭があなたを視覚と嗅覚の両方から責める。


「走れ、ローシャチ!」


 メイベルの檄が飛び、馬が死に物狂いの全力で駆け出す。自然界の序列か、はたまた恐れをなしたのか、先程までギャアギャアと喚いていたハーピーはもう見当たらない。


 人間二人食べた程度で腹の足しになるかはともかく、ワームはあなた達を捕食すると決めたようだ。


 威勢よく開いた口をぴっちりと閉じ、天高くその頭を伸ばしたかと思えば、勢いよく地中へと潜っていった。何年もかけて踏み固められた地面は何者の侵入も許さないように思えたが、実際は不気味な程やすやすとワームを受け入れた。


 ワームの巨体は見る見る内に沈み込み、今や何処にいるか見当もつかない。一体どんな手段を使ったのか――考えている暇はなさそうだ。


「ツイてない、本当にツイてないわ! あんた厄年!?」


 どうだろうか。少なくとも、この世界に来てから厄介事が多いのは確かだ。こういったワームなんかの襲撃は珍しくないのか? この世界の生態系はどうなっているのか、あなたは疑問に思う。


「んな訳ないでしょ! 私も初めてよ。ワーム……巨大ワームなんて、ずっと図鑑の中だけの存在だと思ってたわ」


 そりゃ結構――そりゃそうか。


 地中を掘り進む化け物が頻繁に見られる世界なら、アルハンスクのような都市を維持するのも難しい筈だ。


 煩雑な思考を一旦捨て置き、目の前の事に集中する。


 どうにもワームは諦めが悪そうだ。ここを切り抜けるには、殺すしかあるまい。となればブラスターガンが最適であるが、ユニコーンのように弾を跳ね返されては非常に困る。


「それは大丈夫、ワームに魔術を使うだけの頭は無いわ。その代わり再生能力が高いらしいけど」


 再生能力が高い輩とは散々向こう側ウェイストランドでやりあってきた。実験体、歪んだ肉細工、ショゴス――みな強敵であったが、あなたの歩みを止められはしなかったのだ。今回だってそうだ。邪魔する者は皆殺す、上手く切り抜けてみせる――内心でそう呟き、心を奮い立たせる。


 あなたを攻撃するなら、当然どのような形であれ地中から姿を現さなければならない。思い浮かべるのは最初の光景、地中から地表へ浮上するにあたり、地面が進行方向へ盛り上がるはずだ。それさえ見過ごさなければ、発見は難しい事じゃない。


 あとはそれをメイベルに伝え、攻撃を回避してワームの横っ腹にキツイのをお見舞いしてやるだけだ。


 戦略をメイベルに伝えると、彼女も同意した。メイベルが操縦に専念し、あなたが攻撃に集中する。


「分かったわ、上手くやりましょう。私とあんたなら出来るわ」


 ブラスターガンのセレクターをスナイパーに弾き、地面に眼を凝らす。しかし、待てど暮らせど一向に変化はない。それはそうだろう。変化は、あなたの視界外で起きていたのだから。


「――前から来るわ!」


 メイベルの声に前を向くと、ワームはあなたの前方で大口を開けて向かってきていた。喉奥で蠢く舌のような器官と、汚らしい黄色の粘液が見える。このまま走ればクソ汚い口内にストライクだ。


 無論、メイベルの見事な馬術によってそれは回避される。急激な右折に伴う横Gに耐えつつ、ブラスターガンを射撃、見慣れた青白い弾丸がワームの口内へと飛び込んでいった。脇道に入ったため効果のほどを目視できなかったが、少なからずダメージは与えた筈だ。


 細い路地を高速で駆ける。馬が地面に散乱した木箱を蹴飛ばし、腐りかけの果実を踏みつぶした。意識を張り巡らせ、ワームの次の出方を窺う。まだ姿は見えない。


 鋭敏になった聴覚が、左に破砕音を捉えた。最初は遠く、今は近い。


 叫ぶ間もなく、メイベルの頭を強く押して半身を伏せさせる。直後、凄まじい轟音と共にワームが頭上を過ぎ去っていった。迂闊だった。あれだけ図体が大きいのならば、それを振り回すだけでも十分な武器になる。外見のインパクトから口にばかり集中していたが、認識を改めなければ。


「また背後から来る!」


 見えていた。今度は姿を隠さず、土埃を巻き上げながら表層に近い部分を這い進んでいる。そのまま掬い上げるつもりだろう。


 あなたは背後に手を回し、器用にバックパックからお目当ての物を取り出した。


 それは錆びたブリキ缶で、ぐるりと張り付けられたラベルには薄っすらとだが『ポークビーンズ』との印字が読み取れる。一度開けられた蓋はテープで強引に閉じられ、一本の導火線が飛び出していた。


 空き缶と火薬、金属片を利用したお手製の爆弾だ。爆発の規模こそ小さいが、本命は金属片であり、高速で飛翔する金属片は人体など容易に引き裂いてしまう。


 あなたは爆弾を右手に、ライターを左手に持ち、メイベルに減速するよう伝えた。


「……作戦は?」


 非常にシンプルで、作戦と言う程の物でも無い。ただ近づき、口の中に爆弾を放り込んでやるだけだ。外皮はともかく、口内はそこまで固そうに見えなかった。


「よし、外すんじゃないわよ!」


 少しばかり減速し、ワームが好機とばかりに勢いを増す。花弁のような口を開きっぱなしに、地を掘り返しながら突撃する姿は装甲列車を連想させる。


 タイミングを見計らって、あなたは導火線に火を付け、爆弾を放り投げた。爆弾は地面で不規則に跳ねつつも、見事に役割を果たして見せたのだ。


 導火線が燃え尽き、土埃の奥で小さな火焔が熾った。茶色の靄の中、僅かに光が漏れる。火薬を取り囲むように敷き詰められた金属片は凶器と化し、柔らかな口内を滅茶苦茶に蹂躙した。


 ワームが激痛に首を振り、黄色い血液を振りまく。怒らせただけのようにも思えるが、一応の成果は上げられたようだ。


「街が終わる、反転するわ!」


 再び急激な横Gが襲う。メイベルはパニックになりかけた馬を魔術で沈静化し、細い路地を反転、今まで進んできた道を戻り始めた。


 メイベルの言う通り、あのまま進めば何もない野原に出てしまう。それならば、破砕された建材が直撃するリスクを考慮しても、視線を切れる街を進んだ方がまだ勝ち目がある。


 ――ワームの真横を駆けるのは、いささか勇気がありすぎる気がするが。


 ブラスターガンを連射しつつ、ワームの反対側へ。その過程で見えた事だが、やはりかなりの再生能力を持っているようだ。重金属弾は確かに有効打を与えているが、抉れた肉体は見る見る内に再生を始めてしまう。この様子では、先程の爆弾も思うような戦果を挙げていないかも知れない。


 ワームがその巨体をぐるりと捻り、あなた達を捉える。再び巨躯を天高く伸ばし、いたちごっこが始まる――と思っていたが、何かがおかしい。


 周囲を舞っていた砂塵や散らばった木片、家々の基礎などが、ワームの口目がけて飛んでゆく。いや、吸い込まれてゆく――と言った方が正確だろう。頭を大きく振って周囲の物を吸い込むにつれ、ワームの胴体がぶくぶくと膨れる。


 なるほど、これはマズそうだ。あなたの力ではどうしようもない。


「何、後ろ? ……ああ、これはヤバそうね」


 あなたの声を聴いたメイベルが振り向き、咄嗟に馬の荷物に差していた杖を引き抜いた。身体を捻り、あなた越しに杖をワームに向ける。


「防壁ッ!」


 美しい青光の層が壁を成すと同時、ワームが吸い込んだ一切合切を放出した。せき止められたホースが勢いよく水を吐き出すが如く、殺傷力を持った廃材が奔流となって襲い掛かった。


 それは砂嵐でもあり、機関銃の掃射でもあった。


 最初はまともに受け止めていたメイベルだが、直ぐに守り切れないと判断したのか、瞬時に術式を切り替えて逸らす方向へとシフトした。防壁に当たって逸れた廃材が周囲の家屋を砕き、それすらもが押し流され状況を悪化させる。


 やがて全てを吐きつくしたのか奔流が止み、メイベルも防壁を消して操縦に戻るが、もうもうと立ち込める砂嵐に対抗する手段は無い。数メートル先も視界すら確保できない中、記憶と勘を頼りに馬を走らせていた。


「あんたから何か――げほっ、えほっ……ああもう、口中砂だらけよ!」


 それはワームの口内にあった砂だろうから、これは間接キスだな。あなたは心中でそう思いつつ、予備のスカーフをメイベルの口元を覆って首元で結び、水泳ゴーグルで目元を保護してやった。砂交じりの唾を吐きだしつつ、あなたも口と目を保護する。


「ありがと、それで何か見えない? これはマズいわ」


 あなたから見えるのは砂嵐越しの、嫌に不気味な光を放つ太陽だけだった。 

 ワームからすれば絶好の機会のだろうに、一向に仕掛けてこない。


「待ち伏せかしら、いや、でも……」


 メイベルの声が違和感に曇る。同様の違和感をあなたも覚えていた。


 乗り心地が、悪い。


 高速で駆ける動物は複数存在するが、その中で馬が選ばれた理由の一つが乗り心地だ。チーターなどの肉食獣は文字通り全身の筋肉を使って走るのに対し、馬は脚部の筋肉を中心に走る。そのため揺れが比較的少ないのだ。


 しかし今は……どうにも不気味だ。


 硬い地面を走ればその反動が馬の背を伝って騎手にも伝わるが、先程までと違って反動が少なく、どこか不気味な――吸収されているような、ゴムの上を走っているかのように感じる。


 あなたは視線を下げ馬の足取りを確かめようとして、地面から突き出したワイヤーのような何かを発見する。その瞬間、理解した。


 ワームの奇襲や待ち伏せを警戒するには遅すぎたのだ。あなた達はとっくに、ワームの攻撃を現在進行形で受けているのだから。 


 ブラスターガンを地に向けて撃つと、黄色い液体が吹きあがり、抉れた肉の奥に鮮やかな脂肪層が見て取れる。あれだけ蓄えていれば、ゴムのような感触も納得だ。


 あなた達は、ワームの上を走っていた。同時に、メイベルも事態を把握する。


「――やるじゃないの、ワームの癖に」


 ワームが尺取虫みたく胴を跳ね上げ、あなた達を打ち上げた。


 馬の足が空を切り、上下左右へと回転する。最早墜落は避けられないが、馬の下敷きは御免だ。メイベルを掴み、馬の背を蹴ってあなたは飛び出した。


 激しく錐揉みになりつつも、あなたは体制を整える手段を探す。


 少なくともメイベルは右手で捉えている。落下するなら、あなたがクッション代わりに下敷きになるのが最善だろう。


 自分よりも小さいメイベルの身体を抱き留める。

 取れるだけの対策を講じ、あなたは激しく墜落した。

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