7.「ゴースト・ハウス」

 空が白らみ、街に活気が戻り始めた頃。あなたはすっかり寒くなった懐を抱え、裏路地を一人寂しく歩いていた。


 あの後、留置所まで連行されたあなたには二つの選択肢が与えられた。王国法に従って三か月の懲役に服し、強制労働と牢獄の壁に刻まれた落書きで孤独を埋めるか。或いは三百クロナの保釈金を払い自由を買うか。


 第三の選択肢、皆殺しにして街を出るという考えが一瞬脳裏を過ったが、それはあなたを犯罪者から重犯罪者、下手をすれば国賊にまで追いやる行為だったので速やかに否決された。


 結果あなたは自由を買い、こうして早朝から例の安宿を目指しているのだ。


 裏路地の壁に開いた換気口から香しい甲殻類を焼いた匂いが漂ってくる。朝食の仕込みだろうか。否応なく、昨日の夕食を思い出した。たった一晩で人間は奈落に落ちるのだと、あなたは自分の置かれた状況がどこか他人事に思えた。


 実際まったく笑える状況でない事はあなたが一番分かっている。頼れそうな人間はただ一人、メイベルだけだ。彼女は良い仕事に対し適切な対価を払う、そういった面では――あなたはそこしか知らないが――信用が置ける人物だ。ただ、仕事に対し一切の容赦がなさそうなのが怖い所ではあるのだが。


 そうして歩き続け、あなたは例の安宿に到着した。立て付けの悪い扉を潜ると、中年の男がカウンターに立ち寝ぼけ眼を擦っている。あまりやる気が感じられないが、仕事はしているようだ。


「あー……泊まっていくかい? 今はあまり良い部屋は無いけどね」


 提案を拒否し、あなたは本題に入った。メイベルの名を伝え、どの部屋に泊まっているかを聞く。


「メイベルって名前がこの国にどれだけいるかご存知かい? この安宿にすら三人のメイベルさんがいるんだぞ。と言うかだな、お客の個人情報を教えるわけないだろう」


 迂闊だった。あなたはメイベルという名前しか知らないのだ。恐らく、この世界でも性やミドルネームの組み合わせで個人を区別するのだろう。


 おまけに非常識でもある。安宿の前でメイベルが出て来るのを待つべきだった。突然現れた男がうら若い乙女の止まる部屋を聞くなど、警戒されない方がおかしいのだ。あなたは思いのほか疲弊しているのかもしれない。


 あなたが次の行動を考えていると、背後で扉の軋む音が。


「立て付けの悪い扉ね……って、あれ」


 聞き覚えのある声に、思わず希望が満ちる。


「誰かと思えば――おはよう、って言った方がいいかしら?」


 そこには、分厚い本を抱えたメイベルが立っていた。


◇ ◇ ◇


 場所を移し、港沿いの小さな喫茶店へ。漁に出る漁船を横目に、あなたは事の顛末を話した。


 酔っ払いに絡まれ、咄嗟に反撃してしまったこと。その結果憲兵隊に捕まり、保釈金を払って昨日の稼ぎを全て失ったこと。挙句の果てに宿屋で不審者扱いされたこと。


 全てを聞いたメイベルは分厚い本を畳み、ティーカップを優雅に傾けて言った。


「肩に触れられただけで殴り返すなんて、実に砂の民らしいわね。実に頼もしいわ。あ、今のは馬鹿にしたんじゃなくて、純粋な称賛だから。まあ……馬鹿だとは思うけど」


 ぐうの根も出ない。自分の半分程度しか生きていないであろう少女に諭される状況に、あなたは少し泣きたくなった。


「あんた、私としばらく組みなさいよ」


 メイベルは得意げな顔を浮かべ、そう言い放った。


「この街で幾つか仕事があるの。雇ってあげるから、私を護衛しなさい。報酬は働きに応じて出すわ。どう? 悪い話じゃないと思うけど」


 仕事と言っても色々ある。あなたが得意とするのは荒事で、魔術の研究などに関しては全く役に立てるとは思えないのだが。


「大丈夫よ、大体荒事だし。それに新たな魔術を産み出せとは言ってないのよ。私が術式を組む間、本を開いとくぐらいは出来るでしょ。最初は簡単な仕事しか任せないから」


 簡単なお仕事。それはアットホームな職場に並び信用ならない言葉だと知らないのだろうか。


 甘い言葉に惑わされると、大抵ロクな事にならない。とはいえ、あなたに残された選択肢がそう多くないのもまた事実だ。


「じゃ、早速行きましょ」


 メイベルは本を抱え、会計を済ませるとさっさと行ってしまう。あなたが追いかけると、彼女は店先で何やら魔術を使っているようだった。


 分厚い本が宙に浮かび、ひとりでにページが開かれていく。一瞬、眩い閃光を放ったかと思えば、淡い緑色の光が浮かび上がる。良く見れば、それが見覚えの無い文字であると分かるだろう。文字は楽譜のような列となり、奔流として天に消えた。分厚い本は、今やどこにもない。


「驚いたでしょ、私だけの魔術なの。旅で本は持ち歩けないからね」


 書籍の内容を情報化し、非物質として保管する。それがあなたの考えた魔術の正体だった。戦前に存在したという“クラウドシステム”に近い物だろうか。


 メイベルはこれを私だけの魔術だと言った。成程、旅する魔術探求家に相応しい物だろう。


 こんな物を間近で見ていると、否応なく魔術への興味も沸いてこようというものだ。先程魔術研究の役に立てないと言ったばかりだが、あなたも魔術を使ってみたくなった。


「それは無理ね。あんたから魔力を感じないもの」


 何気ない問いかけは、たった一言で切り捨てられる。ならば魔力をつけるにはどうすればいいのかと、あなたは尋ねた。筋力トレーニングなら得意だ。


「魔術で最も大切なものは生まれ持った資質なの。持つ者は基礎的な部分を抑えるだけでそれなりにはなれる。持たざる者はどれだけ努力しようと成功する事は無い。残酷だけど、魔力は増やそうとして増えるものじゃないの」


 九十九パーセントの才能、一パーセントの努力と言った所か。どこぞの科学者とは真逆の言葉だが、それがこの世界の真理ならば仕方がない。抗おうとしても、抗えないものはある。


「ほら、しゃんとして。もうすぐ今日の依頼主に会うんだから」


 メイベルがあなたの背を叩く。不器用な、彼女なりの優しさに思えた。無論、推測でしかないが。


 嬉しいは嬉しいが、まず今日の仕事内容が聞きたい。


「今日は幽霊退治に行くわよ。お化けとか苦手なタイプ?」


 苦手ではないが、幽霊と対峙した経験が無いだけだ。


 受けた衝撃で増殖するスライムや、高速で這いまわる死体の塊と戦った事はある。だが、幽霊など……そもそもあなたは幽霊の存在に対し懐疑的だ。


 そういった存在と戦うのは霊媒師とかであって、世紀末生存者の仕事ではない。

 などと考えている間に、どうやら依頼主の元へ到着したようだ。


 眼前に広がるのは、石造りの大きな建物。玄関と思しき両開きの扉には、『アルハンスク商人組合』と書かれた木製プレートが掲げられている。


 一歩中に踏み入れば、あなたは膨大な熱量と活気に襲われた。防音がしっかりしているのだろう、室外に声が漏れ出ている様子は無い。


 人でごった返す室内を、メイベルはまるで子猫のような器用さで奥へ進む。一方あなたにそこまでの器用さは無く、様々な人に謝りながら後をついて行く。ようやく追いつくと、彼女は一人の男と話していた。


「もしやメイベルさんで?」

「そうだけど。あんたが依頼主ね?」

「ええ、ええ! 良かった、本当に困っていたんです!」


 ささ、どうぞ。と男が椅子を二つ引く。あなた達は、促されるままに座った。


「申し遅れましたが、僕はシアンです。ええと……メイベルさんお一人と伺っていたのですが」

「あぁ、こいつ? 私の部下だから、気にしないで。報酬も変更ないし」


 メイベルの言葉を聞いたシアンは一瞬顔を曇らせたが、直ぐに元の明るい表情に戻った。報酬額が変わらないと分かり安心したのだろうか。シアンは人懐こい顔をした優男だが、こういう面を見るとやはり商人なのだとあなたは再確認した。


「で、幽霊屋敷だっけ?」

「はい、もう手に負えなくて……初めからお話しさせて頂いても?」

「情報は多い方法がいいしね、話してよ」


 シアンは頷き、神妙な顔持ちで話し出した。


「僕、家貸しをやっていまして、最近また一軒買ったんですよ。それが安くて安くて……しかも良い家でしてね。何かウラがあるのかと疑って一晩過ごしてみたんですが、何も起きなかったのでお客様に貸したんです。最初は何もなかったようなのですが、数日後お客様がいらっしゃって、『何かがおかしいぞ』と」


 だんだんあなたも不安になってくる。まるで怪談話を聞いているようだ。 


「話を聞いてみると、夜な夜な女の声が聞こえたり、朝起きると家具の配置が変わっていると。勿論責任はこちらにありますので、協会騎士様に依頼して家を見て貰ったんです。すると亡霊ファントムが住み着いているそうで。ええ、そのまま退治して頂きました。そうして収まったかと思ったのですが――」


「より一層激しくなった」

「その通りです」


 話の続きを言い当てたメイベルが顎に手をやり、考え込む。

 眼を瞑り、頭の中の知識と照らし合わせながら敵の正体を暴こうとしている。


「多分、その亡霊の遺体は今も家の近くにあると思う。今までは存在に気付いて欲しくていたずらしてただけだけど、剣を向けられて怒ってる。退治するには、無念を晴らすしかない」

「無念ですか……困りましたね。私の知る限りあの辺りで事件は起きてませんし」


 二人が話す中、あなたが手を挙げる。一つ、聞きたい事があったのだ。


 即ち、話に出た教会騎士に任せるべきではないかと。どういった存在かは知らないが、一度退治に成功したのだから対処の仕方は心得ているのだろう。それに、一度受けた仕事は完遂するのが筋ではないか。


 話を聞いたシアンが、「ええ、本来は教会騎士様に対処して頂きたいのですが……」と言った。その表情は浮かばない。


「教会騎士ってのは忙しいのよ」


 引き継いだのはメイベルだった。


「正教会は王都にしか無いから、彼らは大陸中を巡回してるの。次に来るのは半年後ぐらいじゃない?」


 次に訪れるのが半年であれば、実際に対処した際の状況も聞けないという訳だ。

 これは思いのほか難題かもしれない、手探りで対処しなければならないのだから。


「取り敢えず、私たちは現場を見てくるから。何か分かったら連絡する」

「お願いします。日中はここにいますから」


 退出するメイベルに続き、外へ。


 シアンから渡されたメモには手書きで例の家の場所が記されていた。街からは外れているが、そう遠くない。


 いざ向かおうとしたあなただが、当のメイベルは別方向へ進んでいる。全くの逆方向だ。


「いきなり行ったって何も出来ないでしょ。まずは道具を揃えてからよ」


 再び歩き、街の中心を少し外れた一軒の建物へ。今度は木造の小さな小屋で、プレートも掲げられていない。一見してただの民家だが、メイベルはノックも無しに乗り込んだ。


 室内は狭く、四方を大きな棚に囲まれており、怪しげな液体が入った瓶や何かの干物が所狭しと並べられている。奥まった所にカウンターがあり、赤い髪を肩の位置で切り揃えた女性が気怠げな表情で座っていた。肘をつき蕩けきっていたが、メイベルを見るなり立ち上がる。


「……メイベル?」

「ええ、三年ぶりかしら」

「四年と半年だよ!」


 駆け寄って軽い抱擁を交わす二人。友人らしく、お互いの近況を話し合っていた。


 すっかり蚊帳の外になってしまったあなたは棚に置かれた奇妙な品々を物色していた。そのうちの一つ、小さな肉片が紫色の液体に沈められた瓶を手に取る。時々ピクリと動き、絶えず小さな気泡を吐き出し続けていた。


 瓶をぐるりと回すと、小さなラベルを発見した。生きた肉、と手書きで書かれている。


 背筋に嫌な感覚を覚えたあなたはそっと瓶を戻した。


「そう言えば、そこの人は?」

「私の部下よ。最近拾ったの」

「メイベルに部下!? くふっ、あははははは!」


 驚いたかと思えば、ゲラゲラと笑い始める赤髪の女性。メイベルは顔を真っ赤にして話を打ち切った。


「いいから! 今日は仕事で来たんだからさっさと仕事してよ!」

「分かった分かった……あ、あたしはラウラ。よろしく」


 あなたも名を名乗り、差し出された手に握手を交わした。


「で、今日は何をお求めで?」

「亡霊を倒せる道具を。聖水とか、検知器とか」

「あー……検知器はあるんだけど、聖水は切らしてるかなー」


 ラウラが棚から小さな金属を取り出した。拳大の大きさで、振るとカラカラ音がする。


「先に検知器ね。それで聖水の代わりなんだけど、月の滴なら用意できるよ」

「んー、月の滴ね……まあそれでもいいわ。噴霧器もお願い」

「一緒にしとくよ。友達のよしみでね」


 金属の筒と、これまた金属の霧吹きによく似た道具が手渡された。どちらも精巧な装飾が施されており、ずっしりとした重量感がある。五百クロナ、と書かれた紙片が張り付いているのをあなたは発見した。その値段に思わず顔をしかめる。


 が、メイベルは特に気にした様子も無く五枚の金貨を払っていた。思い返せば、あなたも報酬として三百クロナを受け取った記憶が近しい。もしかすると彼女は金持ちなのだろうか。


 あなたが下世話な考察を進めていると、メイベルに脇腹を突かれる。


「ほら、ぼさっとしない! これ持って、行くわよ」


 先程の道具が納められた紙袋が押し付けられる。有無を言わさず荷物持ちとなったあなたの背後に、「いってらっしゃー」と気の抜けた言葉が掛けられた。

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