6.「アルハンスク」

「助かったわ。砂の民がたった金貨三枚なんてお値打ちじゃない」


 どうも誤解されている。あなたは砂の民でもなければこの世界の人間ですらない、れっきとしたウェイストランド人なのだが、誤解を解こうとすれば厄介そうだ。


「そう言えば砂の民が何でこんな所にいるのよ。あんたどっから来たの?」


 最近まではベレズニキに居たとあなたは答えた。丁度アルハンスクまで行こうとしていた所にメイベルが現れ、護衛をするだけで金貨三枚が貰えるうえ目的地まで迷わずに連れて行ってもらえる。なんとも美味しい話ではないだろうか?


「あぁ、ベレズニキ。じゃあ、あの老女には会った?」


 あの瞳を隠した老婆の事だろうか。光り輝く魔術の儀式は、あなたに大きな衝撃を与えた。


「凄い人なのよ、天文台の六代目首席なんだから。あ、天文台分かる?」


 天文台と言えば、天体観測をする場所に決まっている。あなたが元いた世界では略奪者が武装した難攻不落の要塞として悪名高い。その堅牢さと言えば、元政府軍の一個中隊を壊滅させた程だ。


「まあ間違ってはいないんだけど、天文台ってのは王都にある魔術研究の名前なのよ。天体観測もするけど、主な活動は星に関する魔術の研究が目的なの」


 思い返せば、確かに老婆の魔術は星のような輝きを放っていた。


 だが、天文台の首席と言われてもあなたにはその凄さがいまいち分からない。そもそも魔術に関して全くの無知、門外漢なのだ。初歩中の初歩から学ぶ必要がある。


 そう言えばメイベルは魔術探求家と名乗っていた。道中の暇つぶしがてら、魔術に関する簡単な講義をしてもらえると助かるのだが。


 あなたがそう言うと、メイベルは大きな眼をキラリと光らせた……気がする。


「しょうがないわね、実に無知な砂の民らしい言葉だわ!」


 あなたは砂の民ではないが、何か馬鹿にされた気がする。


「難しい話をしても分からないでしょうから簡単に言うけど、魔術とは等価交換なのよ。小さな望みなら失う物も小さいけど、奇跡を起こそうとすると最悪命まで奪われる。それが魔術だった」


 “だった”それは過去形を意味する言葉だ。今は違うのだろうか。


「その通り。昔の人々にとって魔術とは、選ばれし者だけが使える理解不能な力だった。理解不能……と言うより、理解しようとする動きがなかったのね。さて、ここで質問。理解とはなーに?」


 あなたは自らの乏しい語彙を総動員し、稚拙ではあるが思考を伝えようと努力した。


 理解とは、再現する事。その対象を把握、分解、再構成し、自らの知る定義に当てはめる、或いは新たに再定義する事では無いだろうか。理解できるなら、再現できる。


 素人考えだが、あなたがいた世界では義務教育など過去の遺物であったし、学校にも行っていない。読み書きが出来るだけで御の字なのだ。


「まあ、いいでしょう。で、私たちが生まれるずっとずっと昔に魔術を理解しようとする動きがあった。するとある時、人体の中に魔力と宇宙が発見された。宇宙に遍く神秘を、魔力を用いて人の身で再現する技法が魔術って訳ね。それまでは命を削って魔術を行使する物とばかり思われていたけど、実際に削られていたのは魔力だった。強力な魔術――命を奪われるようなものは、魔力が枯渇して代わりに肉体の生命力を奪っていたからだと分かったわけ」


 メイベルは上機嫌だ。長旅の間、誰かに講義する機会に恵まれなかったのかもしれない。


「魔力がどんなものか分かれば、探すのも楽になる。よく探してみると、大気中にも魔力が少ないながら存在した。それを術式――規則のような物ね、それに当てはめて、大気中の魔力に魔術の行使に伴う負担の一部を肩代わりさせる事で等価交換を誤魔化してるの」


 息継ぎも無しに語り切った彼女は、ふとあなたの視線に気付き、赤面した。


「何よその目は。アイツ魔術の事になったら急に早口になるよな、みたいな目は!」


 あなたはそんな事微塵も考えていないのだが。むしろ関心していたまである。

 知らず知らずのうちにメイベルのトラウマを刺激してしまったのだろうか。


「あの忌々しい学徒共め……望まれず暗澹と生きればいいわ……」


 暗い瞳でぶつぶつと小声で何かを呟いている。しばらくはそっとしておいた方が良いかもしれない……


◇ ◇ ◇


「また来たわよ! 四時の方向、さっさと殺って!」


 あなたから見て四時の方向、確かに一匹の怪物がこちらに迫ってきている。


 筋骨隆々の皮膚を剥かれた人間のような姿ではあるが、口に収まり切らない牙と知性を感じない血走った瞳は怪物そのものだ。ミュータントの如きその姿に、あなたは少し面食らった。


 だが流石にあなたも歴戦の戦士だ。冷静にブラスターガンの照準を合わせ、四足歩行で迫る怪物を撃ち抜いた。


 青白い弾丸は怪物の右肩を捉え、そこから先をすっかり消し飛ばした。絶命し、しかしその速度を維持したまま地面を転がり、あなたの足元で止まった。


「グールね。さっきの死体の臭いに惹かれたのかも」


 ミュータントと似ているが、死体を貪る所まで同じなのか。ならば丁度良い、そういった存在を殺すのはあなたの十八番中の十八番である。


 恐らくあれも魔物の一種なのだろうが、一体何処から湧いているのか。近くに巣があるのならついでに潰して行かないか、とあなたは提案した。


「確かに魔物は生殖を行うこともあるけど、自然発生する事もあるのよ。今のは多分自然発生ね。グールが巣を作ればそこら一帯に腐臭が漂うから、近くにあれば分かるはず」


 自然発生という言葉にあなたは驚きを隠せない。生物の自然発生説が否定されて久しいが、魔物は生物の範疇から外れているのか。


 奇妙な感心を覚えるあなたをよそに、メイベルは黒い皮手袋を着け、ナイフ片手にグールの死体へと向かう。


「鼻つまんどいた方がいいわよ」


 そう言うと、メイベルは突如グールの腹部にナイフを突き立て、引き裂いた。大量の血液と腹圧に押された腸、殺人的な腐臭が広がる。臭いで気を失いかけたのは久し振りだ。


 あなたが密かに窮地に陥る中、メイベルはえづきながらもグールの体内に手を突っ込み、拳位の大きさの赤黒い塊を取り出した。血が滴り、プディングのように震えている。レバーのようだが、もしや食べるつもりなのか。あなたは静かに背筋を震わせた。


「食べないわよ……私はね。一部の美食家が好んで食べるから、奴らに高値で売りつけてやるのよ。旅するにはお金が必要だから。あんたも旅人なら分かるでしょ」


 一応の理解は示す。あなたが元いた世界では略奪すれば良いだけの話だったが、この世界――特に無害な人々――に対し乱暴を働くほどあなたは腐っていない。


 勿論敵意を持って接してくる奴は血祭りにあげ、身包み全て剥がした上で木から吊るすぐらいの気概は持ち合わせているが。ウェイストランド人の嗜みである。


 それにしても、グールのレバーを食すなど本気だろうか? 幾ら美食家と言えども見上げた根性である。


 もしあなたが食事をして、食べ終わった後に『実はこれはグールのレバーでした』などと言われようものなら逆にそいつの腹を掻っ捌いてやるまである。そいつ自身のレバーを食わせてやってもいい。ソラマメを添えて、ワインのつまみだ。


◇ ◇ ◇ 


「ほーら、やっと見えてきた。長かったわね」


 あれから幾度かの襲撃を切り抜け、空が暁に染まり始めた頃、ようやくその街は見え始めた。


 半周を高い壁で囲み、残りの半周が海に面した港町。穏やかな海に夕日が映えて美しい。


 壁に近づくと、上部に幾つかの建造物が見て取れた。陰になって見にくいが、目を凝らせばバリスタなどの防衛兵器だと分かる。流石規模が大きいだけあって、ベレズニキとは大違いだ。


 大きなアーチ状の門があり、傍らにプレートアーマーで全身を覆い、ハルバードを携えた重装備の兵士が二人控えていた。


「止まれ、ここから先は通行税を徴収する。減税等の権利があればここで提出しろ」

「私は二等市民よ。ほら」


 メイベルがローブのポケットから銀色の小さな金属板を取り出した。ドッグタグのようだが、それよりかは幾分か大きく、チェーンが付いている。本来なら首に下げるものなのだろうか。


「確認した、減税しよう。そこのお前はどうだ?」


 どうだ、と言われても。あなたは通行税など初めて聞いたのだ。駄目もとで手作りのドッグタグを出そうかとも考えたが、止めておこう。下手すれば戦争になりそうだ。


「彼は三等市民よ」

「それでは五クロナを徴収する。又は期間労働だ」


 貴重な時間を不本意な労働で失う気はない。あなたは大人しく、ポケットから五枚の補助通貨を渡した。


「よろしい、では滞在を楽しんで。アルハンスクへようこそ」


 門を塞ぐように構えられていたハルバードが避けられる。芸術と美食の街の門が開かれた。


 街に一歩入ると、港町に特有の潮の匂いに交じり人々の喧騒、華やかな料理の香りが漂ってくる。昼食抜きのあなたには辛い仕打ちだ。


 少し周囲を見渡せば、港を背景に油絵を描く男、花壇に座り楽器を演奏している女など、様々な芸術活動に打ち込む人々が見て取れる。芸術と美食の街という名は伊達では無い。


「じゃあここでお別れね。はい、報酬の金貨三枚」


 約束通り、あなたは金貨三枚を受け取った。


「しばらくはこの街で仕事してるから、稼ぎたかったらまた来るといいわ。それなりに腕も立つようだし」


 残念だが、あなたは金遣いに関し慎重な方だ。急激な出費にでも見舞われない限り、世話になる事はないだろう。


「砂の民にしては利口じゃない。ま、朝はそこの安宿にいるから。それじゃあね」


 メイベルは街の一角に立つ小さな建物を指さし、街へと消えていった。


◇ ◇ ◇


 思えば金貨三枚という報酬は、あの仕事内容にしては破格だったのではないだろうか。


 あなたは満腹になった腹をさすり、そう思った。


 今日の夕食は魚と海老の煮込み、それに蒸留酒だった。


 海産物など、ウェイストランドでは滅多に食べられたものでは無い。殆どの海は放射線で汚染され、そうでなくとも不用意に近づけば凶暴な人喰い蟹の餌食になってしまう。運良く魚を口にしたとしても、その多くは戦前の古い缶詰だ。


 腹を満たしたあなたは小さな酒場に行き、少し飲む事にした。


 小規模な音楽隊の生演奏に人々の笑い声。何処の世界でも酒場は同じなのか、とあなたはグラスを傾けながらそう考えた。


 その時、酒場の扉が乱暴に開かれた。何事かと振り返ると、すっかり出来上がった五人の男達が千鳥足で入って来る。二次会には見えない。三次か、もっとだ。


 男達はあなたが座るカウンターにやっとの思いで辿り着き、度数の高い蒸留酒をボトルで注文した。不意に、視線があなたと交わる。


「……なんだよ、黄眼野郎」


 何が気に障ったのか、男達があなたを取り囲む。絡み酒、という雰囲気ではなさそうだ。


「お前みたいな奴を知ってるぞ、何だったか……ああ、砂の民だ」


 ボトルを勢いよくあおり、顔を真っ赤にした男があなたに顔を近づける。


 取るに足らない、何処にでもいる酔っ払いだ。ここはウェイストランドではないのだから、無視するに限る。あなたのその態度が気に入らなかったのか、雰囲気はますます剣呑になっていく。


「砂の民は強いって有名じゃねえか。ちょっと腕前を見せてくれよ、ええ?」


 そう言う男とは別の、あなたの背後に立っていた男があなたの肩に手を置いた。それが、あなたを激しく刺激した。


 辛く、残酷な世界で生きてきたが故に鍛え上げられた防衛本能。敵意に対するほぼ反射的な反撃、徹底的に打ちのめし、確実に無力化するまで止まらない戦闘ロボットのような精神。肩に手を置くという、男からすればコミュニケーションの一環でしかなかった行為が、あなたの導火線に火をつけた。


 考えるより早く、あなたは背後の男に肘打ちを食らわせていた。


 お馴染みの、骨がへしゃげる感覚が肘を通じて伝わる。戦闘態勢を取る肉体が精神に追いつこうとする中、驚く人々の顔が見えた。


 あなたはバネ仕掛けの如く椅子を立ち、ボトルを持っていた男の後頭部を掴み、全力でカウンターに叩きつけた。残り三人。


 ナイフに手を触れなかったのは、あなたの僅かばかりの良心が働いたからだろうか。ナイフを掴みかけた手をリセットし、男の腹部を拳で打ち抜く。背を折り曲げ、苦し気にえづく男に膝を落とす。残り二人だ。


 あなたが残りに対処しようと振り向くと、男達は既に酒場から逃げ出していた。

 と、そこであなたは違和感を覚える――酒場が静まり返っているのだ。


 あなたが元いた世界では、酒場での流血騒ぎは愉快な催し物の一つだった。群衆が沸き立ち、音楽隊は状況に合わせて激しい音楽を演奏する。勝者を予想し、飛び交う金銭を巡りまた喧嘩が始まる。それがあなたの知る酒場だ。


 それがどうだろう。音楽隊は沈黙し、群衆は顔を寄せ合ってひそひそと何かを話し合っている。テーブルに立ち煽る者も、賭け金を集計する者も見当たらない。唐突に始まった暴力に対する困惑と恐怖が、ただこの空間を支配していた。


 すると、再び酒場の外から足音が聞こえる。慌ただしくはあるものの、先程とは違う規則正しい足音だ。


 今度は酔っ払いでは無く、帯剣した男達だった。


「憲兵隊だ、暴力の報告を受けた。犯人は貴様か?」


 黒い羽根つき帽子を被ったリーダーらしき男が、あなたを睨んだ。

 言い逃れ用の無い状況だ。倒れた男に膝を押し付けたままなのだから。


「我々と共に来てもらおう、罪状は公共の場での暴行だ。裁きは留置所で行う」


 不本意な形で、あなたは酒場を後にした。 

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