8.「ゴースト・バスターズ」

 目的の家は街の外れ、内と外を隔てる高壁のそばにあった。


 アルハンスクの郊外は中心部とは打って変わって静かな場所であり、豊かな自然と穏やかな水路が共存する心安らぐ場所だ。芸術家たちが挙って居を構えるというのも納得できるだろう。


 その中でも一等地と言われる場所――緩やかな丘の頂点、街から海への眺めが一望できる場所に、その家はあった。


「凄い景色ね、後ろの防壁が残念だけど」


 メイベルの言う通り、あなたの眼前には素晴らしい景色が広がっていた。ここからなら一年中の何時だろうと芸術家達にインスピレーションを与え続けることだろう。


 ここに立っていると穏やかな気分になってくる。今から亡霊と一戦交えるなど信じられない。と言うか、無念を晴らすのではなかったか。亡霊を再び殺すとは聞いていない。


「この場合、供養するには亡霊を遺体に戻す必要がある。つまり、戦って殺すってこと。下手すればこっちが殺られるから気を付けて」


 メイベルの表情に緊張が浮かぶ。あなたも亡霊と戦うのは初めてだ。肉体があればブラスターガンで殺せる。照準を合わせ、引き金を引けばそれでカタがつく。しかし、恐らくいまから一戦交える相手に肉体は存在しない。そうなれば、一体あなたは何ができるのだろう。掃除機を向ければ多少は効果があるだろうか。


 シアンから受け取った鍵で扉を開け、中へ。最近まで人が住んでいただけあって思いの外荒れていない。少なくとも、幽霊屋敷と聞いてあなたが想像したよりは。


 しかし、少し見渡せばその異様さに気付けるだろう。家の中には、当時の生活が窺い知れる物品がそのまま放置されていた。薪は暖炉の中で眠り続け、食卓に放置された大皿には油の固まったスープが捨て置かれている。まるで夜逃げ後だ。


「検出器、出して」


 あなたはカラカラと音のする金属をメイベルに手渡した。


 恐らく中に何か固形物が入っているのだろう。それを動かさないように、メイベルは手に乗せた検出器を水平に保つ。


「奥に行きましょう」


 言葉少なく、慎重な足運びで奥へ進む。どうやら検出器とやらに命を預けているらしいが、あなたはそれがどうやって動作するかさえ知らない。


「霊的存在が接近したら中の魔石が震えるのよ。カラカラって――」


 カラカラ、カラカラ。音が響く。検出器は水平を保ったままだ。


「後ろッ!」


 その声に反応し、振り向くより早く足元に強烈な衝撃。不意を突かれたあなたは背中から派手にすっ転んだ。上下左右へと揺れる視界の中、舞い上がった埃が不自然に動くのを認めた。


「これでも喰らえッ!」


 銀色に輝く霧のような気体が噴霧される。メイベルがいつの間にか手にしていた噴霧器によるものだ。


 あなたは殺虫剤を想像していたが、どうも違うらしい。


 霧は埃が不自然に動いた場所に到達し、人型を――正確には、そこにいる何かの存在を浮かび上がらせたのだ。


 その存在は次第に可視化し、姿を現す。


 あなたが初めに認めたのは、憤怒の表情だった。一体どんな死に方をしたらあれほどの怒りを浮かべられるのだろう。所々抜け落ちた歯は硬く食いしばられ、濁った眼は映る全てを呪い殺さんと見開かれている。


 肌は緑色に変色し、纏うワンピースであろう布切れは殆ど本来の役目を果たしていなかった。萎びた乳房が大胆に晒されているのだが、本人が気にも止めない様子を見るに羞恥心などないのだろう。


 あなたは右腕を伸ばし、ブラスターガンを引き抜いた。見る限り、今の亡霊には“肉体”がある。それならば、この超兵器は頼れる存在かも知れない。


 独特な銃声を残し、重金属弾が飛翔する。秒速六〇〇メートル、万物を破壊する弾丸はしかし、亡霊を捉える事は無かった。


 確かに命中はした。だが、弾丸は亡霊を素通りして壁に撃ち抜いただけだった。


「集え、月光」


 亡霊の背後、いつの間にか回り込んだメイベルが短剣を構える。その刃には輝ける粒子が集い、青白い刃を形成しつつあった。


 月の光を固めたようなそれを、メイベルが横薙ぎに振りぬいた。やはり亡霊は捉えられない。だが、今度は素通りせず、亡霊が再び姿を消したのだ。


「……時間切れか。大丈夫?」


 メイベルの手を借り立ち上がる。空間を不気味な静寂が支配する。


 短剣片手に警戒する彼女は杖を装備していない。魔術師は杖が主装備とばかり思っていたが。


「杖は遠距離用なのよ、馬鹿ね……ていうか今気にする?」


 あなたとしては、メイベルが主装備も無しに戦場に向かったのかと心配だったのだ。それは拳銃でノルマンディーに上陸するレベルの愚行である。


「これは長丁場になるわよ。敵は手練れ、よほど教会騎士に叩きのめされたのね」


 余計な事しやがって……、と小声で悪態を吐くメイベルの背後をカバーする。あなたはブラスターガンを油断なく構えた。先程の接敵で役に立たないと分かっているが、精神的効果はあるのだ。徒手空拳で亡霊と戦うのは嬉しい経験では無い。


 待ち構えるが反応が無く、場所を移そうかとした矢先、検出器が振動する。

 無言で備えるが、今度は直接的な攻撃では無かったようだ。

 突如、大きなテーブルが浮かび上がり、勢いよくあなた達へ襲い掛かる――


 ブラスターガンを撃つ暇はない。あなたは自らの肉体に頼った。


 テーブルへ向け、全力でのタックル。かなりの重量だが、あなたの熟練が勝ったのだ。遅れてメイベルの放った光弾がテーブルを木片へと変える。


「ちょ、ヤバ……きゃああああああ!?」


 突然の悲鳴に振り向くと、メイベルが逆さ吊りになっていた。右足を掴まれているようで、自由な左足での反撃を繰り返しているが亡霊には通用しない。スカートを履いているせいで下着が丸見えだが、メイベルには恥じらう余裕が、あなたにも眼福を喜ぶ余裕が無かった。


 メイベルの身体が振り子のように揺れる。予想されるのは、壁への叩きつけか。


 木造の壁と言えども、力強く叩きつけられれば無事では済まない。あなたは高速で思考を巡らせる。ここに至るまで得た情報が次々と脳裏に現れ、家の間取り図が残った。


 隣の部屋は、確か――


 ブラスターガンのセレクターをスナイパーからショックへ弾き、壁へと放つ。

 弾丸では無く、衝撃波として放たれた重金属は木製の壁を容易く吹き飛ばした。

 直後、メイベルの身体が投げ飛ばされる。隣の部屋――寝室へ。


 メイベルは勢いよく、ベッドへと叩きつけられた。肩から突っ込んだようだが、衝撃の多くをクッションが緩和。素早く体制を立て直した。


「ッ――助かったわ」


 礼を言うには早すぎる。危機は現在進行形で迫っており、今にもあなたの命を奪おうとしているのだ。


 砕けた壁の一部、キッチンやテーブルの刃物類――雑多な凶器が宙に浮き、鋭利な刃先があなたたちに向いている。


 扉の位置を確認するが、それは部屋の反対側に位置していた。あまりに遠すぎる。辿り着く頃には全身串刺しになっているだろう。


 あなたがブラスターガンを撃つのと、無数の凶器が弾丸のような速度で射出されたのは殆ど同時だった。


 強烈な衝撃波と凶器が衝突し、衝撃波が打ち勝った。メイベルの手を取り、素早く部屋から脱出する。


「検出器、早く!」


 あなたは検出器を投げ渡す。慌ただしく走り回っていては安定させる事など出来ないが、内部の固形物が尋常でなく振動していると分かった。亡霊はすぐそこまで迫っている。


 だが、何処にいるかは分からない。亡霊は目視で見えず、噴霧器で月の滴を掛けなければならないのだ。しかし量には限りがある。考えなしに撒き散らすわけにはいかなかった。


「来た! 後ろ……違う、前よ!」


 月の滴が霧となって広がり、亡霊の姿を浮かび上がらせた。敵を眼前にして、あなたに出来る事は無い。唯一の攻撃手段はメイベルのみ。あなたは後方へ引き、サポートに徹すると決めた。


 メイベルの持つ短剣に再び月光が宿る。切っ先を亡霊に向け、真正面から躍りかかった。


 肩から胴へ向けての袈裟切り。十分な殺意に太刀筋、タイミングとどれをとっても文句のつけようがない一撃だ。だが、亡霊には届かない。盾のように構えた右腕は見た目から想像できない程強固で、短剣の一撃を完璧に受け止めていた。


 あと一つ、決定的な一押しが足りない。それは、あなたの役割だ。


 あなたは短剣目がけて強烈な蹴りを放った。成人男性の蹴りは、少女の腕力とは比較にならない。短剣は強烈な後押しを受け、亡霊の右腕を切り飛ばした。


 亡霊が悍ましい叫び声を上げて逃げ出す。切断面から煙のような何かが吹き出し、それは姿を消し逃走する亡霊の痕跡となった。もう検出器は必要ない。


「放たれよ、月光!」


 振りぬかれた短剣から月の刃が放たれる。三日月のような光は狙い違わず亡霊を捉え、胴から真っ二つに分断した。亡霊は鋭い断末魔を上げ、しばらくもがき苦しんだ後、塵一つ残さず消失した。


 やっと終わったと、あなたはようやく全身の力を抜いたがメイベルの瞳はまだ鋭い。


「まだ終わってないわよ。早く本体をどうにかしないと、手が付けられなくなる」


 亡霊を始め、ああいった“幽鬼”と呼ばれる魔物は特別な例を除き死体に対処しない限り根本的な解決にはならない。


 倒された幽鬼は何度でも復活する。消える前の記憶、経験を引き継いで。つまり、場当たり的な対応を繰り返せば繰り返すほど、次第に手が付けられなくなっていく。あの個体は特に学習能力が高かったらしく、たった一度協会騎士と戦っただけであれ程の戦闘能力を手に入れたのだ。次の復活を許せば、今度こそ命は無い。


「あいつの姿見た? 肌が緑色だったでしょ、あんたは何を想像する?」


 亡霊は全て緑色の肌を持つものと――あなたは初めて見たのだから無理も無いが――思っていたが、どうやら違うらしい。


 さて、緑色の肌から連想するものだが……あなたの答えは水死体だ。


「せいかーい、多分ね。家の近くの水路、ちょっと見に行くわよ」


 家を出て、穏やかだが深い水路へ。辿り着くやいなや、メイベルがくい、と水路を指さした。飛び込んで探せと言うのか。


 あなたはやんわりとオブラートに包んで自分で行けと伝えたが、報酬カットという言葉がチラついたので大人しく上着を脱いだ。幸いにも、この街の水は汚染されていない。あなたのいた世界で水泳でもしようものなら忽ち死亡するか、遺伝子が滅茶苦茶に捻じれるかしたものだが。


 あなたには前向きな姿勢が必要だ。これはまたとない水泳の機会なのだ。確かにここは生活排水垂れ流しで、あまり見たくない物が浮いたりしているかもしれないが、そうそう死にはしないだろう。


「どう、何かある?」


 冷たい泥底を手で浚うが、これといった物は無い。せいぜいが空き缶や石などだ。


「もっとしっかり探しなさいよ。早いとこ見つけないと大惨事よ」


 二人でやればもっと効率が良いと思うのはあなただけだろうか?


 ウェイストランドとはまた違った理不尽さを噛みしめ、あなたは再び潜水した。致死的な汚染が無いとはいえ、目を開けるのは良い考えではなさそうだ。


 必死に探っていると、何かが手に当たった。取り敢えず引き上げようとするが、抜けない。掴んだまま足を地につけ、背筋を使ってようやく抜けた。反動で水面まで浮上する。


「それは……手、かしら」


 あなたの手に握られていたのは白骨化した手だった。親指の位置からして左腕だろう。所々に藻のような物体が絡まっているが、薬指に錆びた輪っかが引っかかっていた。


 引っ張ってみると、それは見た目よりずっと簡単に抜けた。恐らく……結婚指輪。


 良く見ると、裏側に文字が彫られている。精巧な出来栄えの、きっと高価な品だったろう。


「結婚してたのね。いや、する予定だったのかしら。何れにせよ、こんな水路で忘れ去られるのはあんまりだわ。可能な範囲で引き上げて」


 メイベルの意見とあなたの考えは同じだった。結局自分一人の仕事になりそうな事以外は。まあ、濁った水で泳ぎたくない気持ちは分かるが。


 あなたは長い時間をかけ、多くの骨を引き上げた。背骨の一部や肋骨、腕に脚、欠けた頭蓋骨――可能な範囲でのベストを尽くしたが、最終的に集められたのは半身だけだった。


 夕日が差す中、所々が欠損した白骨遺体を地に並べる。骨盤が残っていたのは幸いだった。形状から女性であろうと推測できたからだ。


「花嫁か……きっとこいつが亡霊の正体ね」


 そうだとして、一体どうやって供養するのか。それがあなたの疑問だった。


「本当なら供養してあげたかったけど、今回は無理ね。手がかりも時間も足りないし」


 ならばどうする、とあなたは聞く。何かしらの対策を講じなければ亡霊が戻ってきてしまう。更に経験を積み強くなった亡霊と戦って勝つ自信はあなたに無かった。


「残念だけど、こうするのよ」


 メイベルがポケットからスキットルを取り出し、中身を遺体に掛けた。鼻を衝く刺激臭が広がる。

 次の行動を察したあなたは、ライターを点けて火を近づけた。瞬く間に炎が燃え広がってゆく。


 突如、絹を裂くような悲鳴が響く。白骨に肉体が宿ったかと思えば、次の瞬間には跡形も無く消え去っていた。

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