3.「衝撃と畏怖」


 ポンチョ越しの日光と朝の生活音があなたを目覚めさせた。

 寝袋から抜け出し、自分が生きていると確かめる。成程、確かに現実だ。


 シェルターの撤収作業を進めていると、カレンがやって来た。


「おはようございます。よく眠れましたか? ごめんなさいね、外でこんな」


 何の問題も無い。あなたにとって、平らな地面があれば何処でも我が家だ。


「朝食ができますから準備が出来たら来てください」


 荷物をバックパックに詰め込み、家の中へ。濡れていたトレンチコートはすっかり乾いていた。袖を通し、席につく。朝食は昨日のパンとシチューだ。シチューは水でかさ増しされているのか少し味が薄いが、朝にはこれくらいが丁度いい。


「今日は狩りに出ますよ。準備しておいて下さいね」

「気をつけなさいよ。西に行っちゃだめだから」

「分かってるよ」


 朝食を終えたあなたは片づけを手伝い、カレンを外で待つ事にした。玄関先に立っていると、一人の男が近づいてくる。昨日薪割りをしていた男だ。


「やあ、よそ者。カレンの家に泊まってるらしいじゃないか」


 男はあなたの眉間に指を突き付けた。


「これは忠告だが……あの子カレンは優しい子だ。だから、甘えるなよ。近い内に、自分の道へ戻るんだ。いいか」


 あなたは深く頷いた。分かっている。借りを返せば、再び旅に戻ると。

 その答えに納得したのか、男は薪割りに戻っていった。


「準備はいいですか? 行きますよ」


 準備を終えたカレンが現れる。昨日のように弓矢とナイフを携え、肩までの美しい黒髪は動きやすいように紐で纏め上げられていた。


 あなたはホルスターの蓋を外し、カレンを追って森へ向かった。


◇ ◇ ◇


 幾分の余裕を取り戻したあなたは、昨日よりずっと慎重に森を観察できていた。


 ここは冷間な土地なのだろうか。先程から針葉樹と落葉広葉樹が混在している。その割に温かいし、昨日の夜も快適に眠れたが。ウェイストランドの方がずっと寒かった。


「今年の冬は暖かかったんですよ。普段はもっと寒いんですけど、春の訪れも早かったですし。来る時期が悪かったかもしれませんね。もう少し早ければ感謝祭に参加できたと思います。今年は盛大でしたから」


 感謝祭、ウェイストランドには無い概念だ。恩を受けた相手に感謝する事はあるが、祭りにはしない。


「この土地の冬は辛く、厳しいんです。冬の間はそれまでに貯蔵したジャムや乾燥肉なんかを食べて冬を越します。そして春が訪れると、残った食料を家庭ごとに持ち合って大地の恵みに感謝してお祭りを開くんです。楽しいですよ。食べて、飲んで、踊って……」


 聞くだけで腹が空くような話だ。あなたは来年の春に期待した。苦難の後に娯楽を求めるのは何処の人間でも同じなのだろう。


 ああ、思い返せばウェイストランドにも感謝祭がある。略奪者たちが仕事の成功を記念し、死体を囲んで乱痴気騒ぎが。あれも言ってみれば感謝祭だろう。自分が殺した人間に感謝するのは、何とも奇妙な話だが。


 ふとカレンが立ち止まってしゃがみ込んだ。落ちていた木の枝を拾い、地面をつついている……いや、何かの糞だ。小石みたいに小さい。


「見てください、鹿の糞です」


 木の枝を使い、器用に糞を割った。


「中が湿ってます。構成物はこの森をもう少し奥に行った所でよく見られる植物。大きさからして成体……状態も良い、食べ頃の鹿ですよ」


 大した洞察力だ。あなたは動物の糞など触ろうとも思わないのに。


「足跡から見て縄張りに戻っているでしょう。追いますよ」


 雪解け水でぬかるんだ地面をカレンは熟練の足運びで進んでいく。随分と慣れた様子だ。狩人になって長いのだろうか。


「子供の時からずっとやってますから。まあ、三日後には村を離れるんですけどね」


 それは驚きだ。あなたは地面に気を付けながら理由を聞いた。


「王都で賞金稼ぎになるんです。父がそうだったように」


 カレンは度々父の名前を出す。だが察するに……既に亡くなっているのかもしれない。あなたは心の傷に触れまいと、そっと質問に蓋をした。


 それにしても賞金稼ぎとは。意味がウェイストランドと同じなら、賞金が賭けられた危険人物を捕まえる仕事だろう。動物狩りと人間狩りに共通点は多いが、本質的な部分が異なっている。


 人間は動物より遥かに危険で狡猾なのだ。あなたはカレンの身を案じたが、きっと何度も悩んで決めた事なのだろう。あなたにどうこう言う資格は無い。


「この木には爪痕がありますね。気を付けましょう」


 カレンは自分の仕事に集中している。あなたもそうしよう。


 木には深々とした爪痕が三つ、平行に残されていた。あなたは自分の指を這わせたが、人差し指の第二関節までがすっぽりと収まった。これ程の長い爪を持った生物とは一体何なのだろう?


 あなたは恐ろしい動物を頭の中でリストアップする。熊に山猫、毒蛇や変異生物――


「熊ならまだいいのですが、稀に人狼も出ますから」


 人狼などおとぎ話の存在だ……よく考えればここはおとぎ話の世界だ。何の不思議もない。


「待って、鹿です」


 会話しながら歩いていたので気付くのが遅れたが、随分森を深くまで進んだらしかった。


 カレンの指す先――木々の隙間から何匹かの鹿が見える。大きいのが二匹と小さいのが三匹だ。家族のようだ。幸いにも、あなたは風下にいるので臭いで気付かれてはいない。


「矢の射程まで接近しましょう」


 木々の間を縫うように進むカレンを制止する。確かにこの距離では矢は届かないだろう。しかし、あなたの武器ならどうだろうか。


「え? その魔道具で撃つんですか、この距離から?」


 魔道具が何なのかは分からないが、百聞は一見に如かずだ。あなたはベルトの右側に括り付けたホルスターからブラスターガンを引き抜いた。


 ――AW-B23、重金属粒子を加速して放つ最新鋭のエネルギー銃だ。重金属は人体にとって有害だが、十分な加速を得た弾丸は着弾部分を爆裂の如く吹き飛ばす。その周囲を切り捨てればいい。


 サソリの尾のように跳ね上げられていたストックを展開すると、拳銃サイズだったそれは倍近くにもなった。しっかりと肩付けし、グリップを右手で握り込むと指紋認証によって安全装置が解除された。


 ライフルモード起動。ただのアイアンサイトでしかなかった場所からホログラムが立ち上がり、リアとフロントを結ぶ仮想スコープが生み出される。あれだけ遠かった鹿も、今では白目まで見える。


 撃つならこのタイミングだ。あなたは目を丸くしているカレンに指示を仰いだ。


「え? ああ……じゃあ、一番大きな鹿を」


 鹿の心臓に狙いを定め、呼吸のリズムを深く、ゆっくりと安定させる。

 そして息を吐くと同時、引き金を絞った。バイオリンの弦をノコギリで力の限り引っ掻いたような独特な銃声が木霊する。


 初速実に一六〇〇メートル毎秒。青白い弾丸はコンマ数秒の間に鹿の心臓を寸分違わず吹き飛ばした。


「……凄い」


 あなたはブラスターガンのストックをたたみ、鹿の死体の回収に向かう。

 絶命した鹿の胸部は黒く焦げ、細く煙が上っている。ライフルモードは二発分の弾丸を圧縮し、より高速で発射する。獣には過剰な威力かもしれない。


「あの、ちょっといいですか?」


 武器を仕舞うあなたにカレンが困ったような声を掛けた。

 はて、どうしたのだろう?


「この大物、どうやって村まで持っていきましょうか……」


◇ ◇ ◇


「っ、重い……」


 結果から言うと、あなたは鹿を殺す事しか考えていなかった。普段狩りなどしないあなたにはこういった事のノウハウが無いのだ。


 一方カレンと言えば、初めて見るテクノロジーと久方ぶりの大物にすっかり興奮してしまっていた。


 そこであなたは鹿を解体、内臓の一部と廃棄部位を捨てて軽くした上で運ぶ事にした。ポンチョで肉塊を包み、二人でゆっくりと引きずって行く。


 軽くなったとはいえ、成体の鹿はかなりの重量がある。あなたは人よりは筋力があると考えているが、それでも重い物は重い。


 地面がぬかるんでいるのが不幸中の幸いだった。昼食を食べる間も惜しみ、必死に引きずる。


「おお、カレンちゃん。不味い事に……なんだその荷物!?」

「大きな鹿を仕留めまして……ちょっと手伝って貰えますか」

「あ、ああ……凄いな、村の皆が食えるぞ」


 男が合流したのは殆ど村の入り口だった。三人でカレンの家近くまで運んだが、村が妙にざわついている。様子がおかしい。昨日とはうって変わり、斧や槍で武装した男達が歩き回っている。


「はぁ……はぁ……どうか、したんですか?」


 肩で息をするカレンが男に尋ねた。


「……ジョージの息子が消えた」

「――そんな、まさか」

「ああ、そうさ。森の主だ」


 あなたは村の広場の人だかりに気が付いた。


 人の壁でよく見えないが、一人の女性が力なく座り込み、その周囲の人々が慰めの言葉を掛けていた。あなたは村に漂う雰囲気の正体を察する。ウェイストランド中に蔓延していたこの感じ――重苦しい閉塞感、ドン詰まりの絶望だ。


 あれほど長閑で明るかった街がこれほどの絶望に包まれるなど、余程の出来事ではない。“森の主”とやらが関係していると見ていいだろう。あなたは先程の男の元へ戻り、話を聞く事にした。


「なんだ、よそ者。お前に話してどうこうなるとも思えんが」

「待ってください、この鹿を仕留めたのはこの人です。知る権利くらいあるはずでは」

「……カレンちゃんがよそ者の何を気にいったか知らんが、よかろう。話してやるよ――」


 森の主。古くはフェンリルとも、狼の王とも呼ばれる魔物。通常の狼よりも二回りも大きい体格で、常に飢えており、性格は狡猾かつ凶暴きまわりない。


 それが現れたのはごく最近になってから。存在を忘れかけていた人々に畏怖を思い出させるかのような確かな衝撃と共に、それは再び君臨した。


 夜深く、草木も眠る頃に西の森から気配も無く訪れ、家畜や人間を連れ去ってしまう。森の主に対して村人がとれる対策はたった一つ――ありもしない慈悲を祈るのみだ。


「俺達が出来る事は最早何も……魔女様をお呼びする金も無いんだ」

「王都から返信は来ましたか?」

「一生来ないよ。奴らは俺達なんて気にもかけていないんだから」


 重い沈黙が横たわる。それを破ったのはカレンだった。


「失礼します。母が心配なので」

「ああ、ちゃんと戸締りして、油断するなよ」

「ありがとうございます。お互い気を付けて」


 あなたも後を追おうとしたが、男に呼び止められた。


「悪い事は言わん、早く村を離れろ。次に消えるのはお前とも限らんからな」


◇ ◇ ◇


 鹿の肉を村の人々に分けた後、あなたはカレンの家族と食卓を囲んでいた。立派な肉が並べられているが、雰囲気は暗い。あんなことの後では当然か。


「母さん、私……王都に行くの止めようかと思ってる」

「駄目よ、カレン。あなたは王都へ行くの」

「でも!」

「いい? よく聞きなさい。あなたは若いの。こんな村で一生を終えちゃ駄目。人生を切り開くのよ」

「村の皆が心配で――」

「私たちに出来る事は何もないの。今村長様が祈祷を捧げてるから……」


 会話は過熱する。


「そしてジョージさんの息子が消えた」

「カレン! あなた何て口の利き方を」


 完全にオーバーヒートしてしまう前に、あなたは口を出した。自分の考えを話すのだ。受けた恩を返すために。


「……森の主を狩る、ですって? 何を馬鹿な」

「待って、母さん。最後まで聞こう」


 あなたのブラスターガンと卓越した技術ならば、狩れぬ敵は無い。あなたは自らの経験を少し誇張して話した。安心させる為の嘘ならば、罰せられないだろう。それに、あなたはふらりと立ち寄ったよそ者だ。森に消えた所で村人はそこまでの罪悪感を負う事は無い。己の意思で生じた結果は全て自己責任なのだから。


「……死ぬのが怖くないんですか?」


 あなたが恐れるものはただ一つ、未知だ。恐怖は無知より訪れる。分からないものは怖いが、あなたは死を知ってしまった。人類最大の未知は、あなたにとって既知なのだ。


 自らが死んだことは伝えなかったが、あなたの考えを聞いたカレンは黙り込んでしまう。代わりを母が引き継いだ。


「あなたと過ごした時間は短いけれど、悪人でないのは分かってる。でもね、善人だからと言って全ての責任を押し付けていい訳じゃないの」


 それならばそれでよい。あなたは許可を求めてなどいなかったのだから。ここでした会話は全て忘れて日常に戻り、あなたは消える。


「……分かったわよ、何言っても止めないのね。あなたみたいな人種は」

「母さん」

「村長様には私から言っておくわ。明日、朝日が出る前に祈祷を受けなさい」


 あなたは不敵な笑みを浮かべ、鹿の肉に噛りついた。

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