第22話

「凛果は、どうやって駿平くんの声を聴いてるの?」


 小夏が尋ねた。杏香の祖母は、補聴器をつけていると突発的に繋がったらしい。凛果の場合は自発的にアプリを起動させる必要があるが、それは現世に遺された人間の年齢によって方法が異なってくるのだろうか。


「このアプリを開いて、『日陰の星』っていう曲の再生ボタンを押すと、繋がるの。これで毎日毎日、駿平に近況報告をしてる」


「私達のことも?」


「うん、たまにね。小夏って同期がいることと、杏香先輩のことは駿平も知ってる」


「そうなんだ。いいなぁ、定期的に聴けるの。私は方法が分かんなくって」


 小夏はそう言った後、あ、という顔をした。つい口が滑ってしまった、といった様子だ。杏香はそれをすぐに察して、「今日はざっくばらんに話そうって言ったの、宮崎さんじゃない」と促す。小夏はモスコミュールのグラスを空け、話し始めた。


「私、一回だけ、亡くなった人の声を聴けたことがあるんです……母の」


「え、お母さん? この前家に来たって言ってなかった?」


 新幹線のチケットを間違えて予約して、フライング訪問したおっちょこちょいのお母さんの話はどういうことだろう、と凛果は疑問に思いながらマルゲリータを一切れ、皿に乗せる。


「あぁ、今のお母さんはね、血が繋がってないの。私の本当のお母さんは、高校一年の時に病気で死んじゃってるんだ。その後大学一年生でお父さんが再婚して、今二歳の弟がいるの」


「そうだったんだ……」


「まぁ、今のお母さんはすごく明るくて元気な人で、はじめのうちは良い意味で私を放置してくれてたから、感謝してるの。ちゃんと本当のお母さんだって思えてる……でね、実のお母さんの声を一回だけ、センター試験の時に聴いたんですよ」


「試験中に?」


 杏香が再び目を丸くすると、小夏は「はい」と頷いた。


「英語のリスニング試験、一人一人に小さな機械が配られて、有線のイヤホンでリスニング問題を聞くじゃないですか。あれで最後まで解き終わって、イヤホンを外そうとしたら、『お疲れ』って聴こえてきたんです。すっごいびっくりしてイヤホンをもう一度強く耳にあてたら、『お母さんだけど、覚えてる?』って。『入試まで生きてられなくてごめんね、応援してるよ』って。幻聴なのかなって思ってるうちに、試験時間自体が終わって強制的にイヤホンを外さないといけなくて。返事もできないまま」


「それは、すごい応援になったんじゃない?」


「はい。ただ私は私立文系の受験で、リスニングって最後の試験科目になるから、あとは天に祈るしかなかったんですけど。でも多分、一時間目の日本史の時から母は応援してくれていて、最後の最後にメッセージをくれたのかなって。実際、センター利用で第一志望に合格できたので」


「みんな、亡くなった人の声を聴く体験、してたんですね……」


「そうみたいね。私はさっき祖母の話をしたけど、私も体験したの。弟が事故で亡くなったんだけどね、実況見分した警察から携帯電話が戻ってきて。今考えればなんであんなことしたのか分かんないんだけどさ、私、自分の携帯電話から弟に電話かけたの。弟の電話は電源が入らないくらいに壊れてますって警察の人に言われて返されたんだけどさ、その時、弟の電話から着信音が鳴ったの。で、しばらく鳴って、途切れて。『もしもし』って言ったら、『姉ちゃん?』って。『本当に勇太なの?』って聞いてみたんだけど、もう返事はなかった。でも『姉ちゃん?』って声は確実に勇太の声だった」


 だからさ、と杏香は続ける。


「駿平くんは本当に、天国にいるんだね。少なくとも私はそう思うし、毎日連絡を取れてるって素敵なことだと思うよ」


「でも……家族は、信じてくれませんでした」


「私もそうだったよ。弟の電話の着信音、家族にも聞こえてたはずなのに、『そんなわけない。お前の頭がおかしくなった』って父親に言われたんだから」


「私も。お父さんにだけ、リスニング中にお母さんの声が聴こえたって話したら、『相当疲れるまで勉強してきたんだな』って謎な方向で褒められたし」


「自分の身に起こったことは、どんなことでも真実だと思うよ。だから内田さんが今経験していることは、全て真実。誰にも否定する権利はないの」


「本当、そうですね。凛果、先輩の言う通りだよ。究極、私達が今こうやって食事してることすら、現実じゃないかもしれないじゃん。でも私の隣には今、凛果と先輩がいるって信じてて、言葉を交わしてる。たとえうちの社長が否定しても、私にとってはこっちが真実」


 何で社長が出てくるのよ、と杏香が笑う。


「凛果。毎日天国の彼氏と連絡取れるなんて、幸せ者よ? 最高の遠距離恋愛じゃん。私は全力で応援する」


「私も応援する。内田さんのおかげで私、色々立ち直れた気がするし」


 杏香はシニヨンを解き、ミディアムの栗色の髪を下ろした。


「この前はね、胸の下まで伸びてたの。思い切って切ってみたら、駅でナンパされて。ナンパについてくような年じゃなくなったけど、何か新しい自分になれた気がしたんだよね」


「あ、髪切ったんですね?」


「うん。切っても何だかんだ、お団子が楽で髪型はそのまんまなんだけどね」


「先輩、下ろしても綺麗ですね」


 凛果が思わずそう言うと、元彼見返す恋愛できるかな、と彼女は笑って、二杯目のキューバ・リブレを飲み干した。

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