第21話

 小夏と杏香に連れられてやってきたのは、カジュアルなイタリアンのレストランだった。オフィスから歩いて10分ほどで辿り着く、隠れ家的な地下のお店。その個室に案内される。


「宮崎さん、こんな所知ってたの?」


「はい。半径五キロ以内のお店は大体把握してますね」


「流石だわ。そのリサーチ能力をぜひ今後の仕事にも活かしてね」


「先輩。今日は仕事の話はなしです!」


 テーブルにつき、各自お酒とアラカルトを数品注文した。程なくして飲み物がやってきて、グラスを傾けカチンと鳴らす。


「凛果。今日はさ、ざっくばらんに話したいと思うのよ」


「どうしたの、急に」


「単刀直入に聞くわ。……内田さん、あなた今、お付き合いしてる人がいる?」


 凛果はグラスを落としそうになった。いつかは来ると思っていた、恋バナ。だけどお酒を一口飲んだ時点でその話になるなんて、心の準備ができていない。


「突然ですね……小夏は?」


「私?! 先輩に聞くんじゃなくて?」


 杏香が元彼を忘れられずにいることを、凛果は知っている。

 トレードマークの栗色のシニヨンはまだ変わっていないが、流していた前髪が短くなったので、髪も少し切ったのかもしれない。シニヨンが少し小さくなった気もする。


「まずは同期から。小夏は?」


「わ、私はいないよ。大学二年生からずっとフリーだもん。それより凛果でしょ、聞かれてるのは」


「私は……」


 言うべきか、言わないべきか。

 でも堂々と言うんだって、この前駿平と話したじゃないか。

 凛果はもう一度グラスをグイッと傾けてから、口を開いた。


「私は……います」


「やっぱり可愛い子には彼氏いるよなぁ。ねぇ凛果、写真は? 写真」


 凛果はスマートフォンを取り出し、アルバムに保存していたツーショットを二人に見せた。夏祭りに行った時の、浴衣の写真だ。


「あっ、これ! 凛果のLINEのプロフィールの」


「そう。あの時の写真」


 杏香はじっと写真を見つめた後、不意に言った。


「この彼氏さんってさ、この前電話で話してた人?」


「え?」


「イヤホンを無くした日……仕事終わりに、電話してた人……?」


「え、あの……先輩……なんでそれを……?」


 杏香は「ごめん。盗み聞きするつもりはなかったの」と言ってから、その時のことを打ち明けた。


「聞い、てたんですか……」


 凛果は全身の熱がスーッと引いていくのを感じた。アルコールを体内に入れたばかりだというのに、手先は今しがた運ばれてきた冷製スープのように冷たい。


 家族にすら、変な目で見られた。幻覚だと思われた。

 それが、会社の人に、バレた。


 ちょっとお手洗いに、とでも言って抜け出したかったが、個室席は孤を描くソファで円卓を囲むようになっており、右は杏香、左は小夏に挟まれている。文字通り逃げ場がなかった。


「あ、内田さん。そんなに怯えないで。別にあなたの秘密を握ったとか、おかしいんじゃないかとか、決してそういうことを言いたいんじゃないの。そりゃ最初はすごくびっくりしたけどさ、でもね。やっぱり本当なんだなって思ったのよ」


「本当って、何がですか……?」


「死者と会話できるってこと」


 今日はね、この話がしたかったのよ、と杏香は言う。「ねっ、宮崎さん」と言われた小夏は、そうそう、と返した。


「実はね、内田さん。私も聞いてほしい話があるのよ」


「元彼さんのことですか?」


「あぁ、今回は違う」


「元彼さんって?」


 どうも小夏は知らないようだ。杏香は短くなった前髪に右手で触れて、「その話はまた今度ね」と笑う。


「話を戻すわ。……私の祖母も、内田さんと同じような経験をしてたの。内田さんがイヤホンで彼氏くんの声を聴いたように、祖母も補聴器から亡くなった夫と娘、つまり私の祖父と伯母の声が聴こえるって言ってた時があってね。あの時私は中学生で、失礼だけど、おばあちゃんも相当ボケたのかなって思ってた。でも一緒に話してるとね、本当に今着信が来た、みたいな反応して、『あぁ、あなた?』って言い出すの。『今、孫の杏香が来ててね、おやつにクッキー焼いてくれたのよ』って。ただ、急に祖父や伯母と話し出す以外には、いわゆるボケたような様子は全くなくってさ。補聴器を外すと、そんな素振りも無くなるんだけど、つけるとまた急に始まるの」


 補聴器。ワイヤレスイヤホン。

 やっぱり耳越しに聴こえてくるというのは、本当なんだろうか。


「いつから聴こえ始めたの? って一度、おばあちゃんに聞いてみたことがある。そしたら、亡くなって二、三年くらいしてから聴こえ始めたんだって。天国に管理人の——」


「管理人のおじいさんがいて、許可をもらったばかりだって、言ってたんですか? 一日一回、五分間だけって」


 杏香は目を丸くした。小夏もサラダを食べる手を止めて、凛果の顔を見る。


「そう。内田さんの彼氏くんも?」


「はい。シュン……駿平が、言ってました。それまではおじいさんの手伝いとかをしてたって」


 杏香は笑い出す。短い前髪が揺れて、凛果も笑い出す。


「私のおじいちゃんも、伯母さんも、多分おばあちゃんも……その駿平くんと同じ所にいるんだね……そっかぁ、みんな一緒にいるんだぁ。何か安心したなぁ」

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