第23話

 小夏と杏香が凛果を信じてくれたことで、心が軽くなっていた。息がしやすくなった、と言っても良いのかもしれない。


 駿平にももちろん、そのことを話した。『認めてくれる人がいて、本当に良かった』と嬉しそうだった。

 家族に改めて駿平とのことを伝える勇気は、凛果にはまだない。でもこれを真実だと思える勇気は、もう備わっていた。




 ◇




 8月の終わりから9月にかけては、色々なことが起きた。


 まず、杏香が9月1日付で転勤になった。会社全体で二番目に規模が大きい、大阪だ。ここからは直線距離でも600キロ以上離れている。

 話を聞いたのは転勤の一週間前のことだった。以前イタリアンレストランで小夏達と食事をした時には、杏香には既に内示が出ていたが、守秘義務があった。


「ごめんね、あの時言えなくて。実は元彼を吹っ切るためと、新しい環境に飛び込むために髪切ったんだ」


 凛果は小夏と共に、三人でのささやかな送別会を開いた。凛果と小夏は4月に入社したばかりで、まだ四ヶ月しか面識がない。それなのに、気づけば頼れるお姉さんのような存在として慕っていた。


「でも、先輩にとっては良いことだったんですよね? 大阪に行くこと」


「うん。また規模の大きい所で頑張るチャンスをもらえたわけだからね。流石にすぐ東京に戻れるわけじゃないみたいだけど、大阪で全力を尽くそうって思ってる。もし良かったら来てね」


 凛果と小夏からの花束とプレゼントを抱えた杏香は、思ったより華奢きゃしゃだった。


「宮崎さん、あなたはとても明るい人だから、きっと先輩の立場になっても慕われると思う。頑張ってね。内田さんは客観的に物事を見られる人だから、上司からもっと重宝されると思う。自信を持ってね」


 小夏はポロポロと泣いている。笑顔しか見たことのない凛果にとっては新鮮で、思わず彼女の肩を抱いた。


「……あ、あと、内田さん。私さ、個人的に気になってることがあるんだ」


「何ですか?」


「私もワンチャンを狙ってさ、同じ音楽アプリを入れてみたの。でも『日陰の星』は出てこない。もしそれが、天国の人と繋がれる共通の窓口だとしたら、どうやったらその楽曲に出会えるのか教えてほしいの。もしかしたらさ、内田さんと駿平くんの間でしか通用しないものなのかもしれないけど……」


「あ、それ……実は私も気になってた。またお母さんと話せないかなって、あの日話した時からまた、思っちゃうんだよね……」


 もちろん、凛果自身も気になっていた。でも直接駿平に聞いたら、その瞬間あの楽曲名がなくなってしまうような怖さもあって、うやむやにしていた。

 あれは全ての人に共通する窓口なのか。それとも、凛果と駿平専用の窓口なのか。


 もし後者なら、なぜそれを『日陰の星』と言うのだろう。


「折を見て、聞いてみます。駿平に。私自身もよく分かってないんです」


 じゃあ、約束ね。と杏香は小指を立てた右手を差し出そうとするが、その途端に抱えた花束やプレゼントが落っこちそうになる。凛果と小夏はそれを慌てて支えて、約束です、と言った。

 杏香は「今までありがとう!」と、今まで聞いた中で最も大きな声を出して、夜道に消えていった。



 次に大きな出来事は、小夏に彼氏ができたことだ。念の為言っておくと、もちろん生きている人だ。


 相手は、あのイタリアンレストランのオーナー。小夏より15歳年上だ。

 一体どうやって交際まで発展したのか、と問えば、成り行きだという。


「あそこ、カウンター席もあるでしょ? だから時々行ってたんだけど……ある日、ハンカチを忘れていっちゃってたみたいでね。後日行った時に綺麗にアイロンかけて渡してくれて、そこからたくさん話すようになって……みたいな」


 引き締まった体躯たいくと、学生のような可愛らしい顔つき。そのアンバランスさが、小夏がいう所の母性本能を駆り立てるらしい。確かに外見だけでは、15歳差などとは思わない。


「ねぇ、Wデートって成立すると思う?」


「え?」


「天国と現世のWデート」


「五分間しか成立しないよ」


「あ、そうだった。でもすごいよね、五分を毎日積み重ねる恋も。私なんか休みの度に一日中、タクさんとデートしてる」


「それはそれでいいんだと思うよ。会えるうちが華だって、すごく痛感してるから」


「何だろ……凛果が言うと、すっごく重みがある」


「幸せになるんだよ」


「ふふっ、うん。ありがと」


 やっぱり小夏には、笑顔が似合う。きっとタクさんもそう思っているに違いない。

 凛果は小夏の肩を、ぽんと叩いた。




 ◇




『同期に彼氏かぁ。ますます心配だ』


「何を心配するの」


『同期に男子二人いるんでしょ? いつ告白されちゃうか心配だ』


「そんなことないって」


『まぁそれはいいや。……あのさ、今日は俺から話があるんだ』


「シュンから? 珍しいね」


『うん。ちょっとした予言なんだけど』


「予言?」


 凛果の頭に、あの時の映像が蘇る。

 テレビ越しに見た、火の手が上がった電車——。


「あ、あの。やだよ予言は」


『あぁ……大丈夫。そういう危ないやつじゃない。実はさ、サークルの奴らが何人か集まりたいって感じているみたいなんだ』


「そんなのも分かるの?」


『自分と関係の強かった人の場合は、たまに分かる。……ユウが近々、同窓会の案内を送ってくるはず』


 久々に聞いた、ユウの名前。

 凛果が所属していたサークルの先輩で、駿平の幼馴染。

 駿平の死後も何かと凛果を気にかけてくれたのに、それを無視し続けてしまった。


「……それが、どうしたの」


『ユウは、リンに会いたいと強く思ってる』


 恋愛的な意味じゃなくて、人として気になってるってことだよ、と駿平は慌てたように付け足した。

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