第4話

「そんな……なんで、シュンが」


『まぁ、色々あってさ。やーっとリンの声が聴けて、俺本当に……』


「待って。成りすましは許さないから」


 あり得ない。

 少なくとも現代科学じゃあり得ない。

 亡くなった人間と、ワイヤレスイヤホンで通話できるなんて。


『もしかして、疑ってる?』


「そりゃ……あり得ないし、こんなこと」


『じゃあ俺らしか知らないようなクイズ出してよ。それ答えられたら、信じてくれるでしょ?』


「うーん……じゃあ、私達が付き合ったのはいつ?」


 駿平の笑い声が聴こえてきた。

 あぁ、あのカラカラとした笑い声。耳障りにならない、ずっと聴いていたい笑い声。

 シュンの好きなお笑い芸人がテレビに出ていた時、いっつもこんな笑い方してたな。


『簡単すぎるよ。俺らが付き合ったのは、5月10日……だから、明日で四年だね、リン』


 ゆっくりと歩みを進めていた凛果の足が、止まった。

 そうだ、今日は5月9日だったっけ……。駿平のいない毎日があまりに味気なくて、日にち感覚すらも薄くなっていた。


「四年……私達、まだ付き合ってるってことで、いいの……?」


『うーん、それは難しい所だけど……でも俺はまだ、リンに恋してる』


「そう、なの……?」


 シュン、死んでから一年以上経っているのに。


『リンが4月の初めにサークル入会してきた時から既に一目惚れだったけどさ、中旬に新人公演のオーディションしたじゃん? もうあの時の役に入った真剣な顔がたまらなく可愛くてさ。居ても立ってもいられなくなって、ユウに相談したら、色々あいつ助言してくれて。そっから一回リンとデートした翌日には告白しちゃってたもんなぁ。本当、懐かしい。あんな勢いで恋したの、初めてだった』


「シュン……私も、私もシュンの声、ずっとずっと聴きたかった」


『待たせてごめんな。天国こっちで管理人やってるおじいさんがいるんだけどさ、その人の手伝いを一年近く続けてたら、やっと現世にいる人と話せるようになったんだよ』


 天国に管理人がいることも、それがおじいさんであることも、普通に聞けば突飛な話だ。しかし凛果にとっては、駿平の言葉は全て事実だった。


「そうなんだ。シュン、元気でやってるんだ」


『うん。リンは? 今はもう、社会人だよね?』


「うん。でもシュンがいないから……つまんないよ」


『そんなこと……』


 凛果は再び歩き出す。会社から歩いて15分ほどの社宅まで、ゆっくりと。

 地球は夏に向けて動き始めていて、定時でも空はまだ明るい。


「ねぇシュン。何で死んじゃったの。何でシュンまで道路に出ちゃったの」


『あぁ……俺もさ、まさか死んじゃうとは思ってなかったんだ。多分あの車が普通の乗用車だったら、怪我はしても生きてたと思う。でも俺、女の子しか見てなくて。迫ってきたのがデカいトラックとは知らずに轢かれてたなぁ』


「何で……女の子しか、見てなかったの? 死なずに済んだって、怪我したら家族とかユウさんとか私が心配することくらい、分かってたよね? 私達の顔……浮かばなかったの?」


『ごめん。あの時はとにかく、助けなきゃって考えしかなかった』


「それは……シュン以外の人でも、良かったはずなのに」


 違う。こんなことを言いたかったわけじゃないのに。

 責めるべきじゃないし、責めたってシュンの体は戻ってこないのに。

 だけど、凛果がこの一年半、抱えてきた思いは止まらなかった。人目がないのをいいことに、凛果の声は次第に大きく、感情的になっていく。


「私より、名前も知らない女の子の方が大事だったの? 何であの子が助かって、シュンが死んじゃうの?」


『リン……リンが大事なのは当たり前だよ。でもどの命も大事だし、俺はあの場面を見て見ぬふりはできなかった。昔さ、俺が小さかった時に、同じような事故を見たことがあったんだ。今にも車に轢かれそうな女の子を何人も見ていたのに、誰も助けようとしなかった。小さかった俺は怖くて動けなかった。目の前で人が血を流すのを見た。だから、あの場面を見た瞬間、その時のことがフラッシュバックして……助けないと一生罪悪感に苛まれるって思ったんだ。まぁ、庇った瞬間に俺の一生、終わっちゃったけど』


 正義感が強く、人から頼りにされる駿平のことが、凛果は大好きだった。彼の悪い噂など一度も聞いたことがなく、彼氏を誇りに思っていた。

 でもその正義感で、彼は自分の命を終わらせてしまった。それが凛果にとっては、どうしても許せなかった。


「何もシュンまで飛び出さなくたっていいじゃん……! その代わりに一刻も早く通報さえすれば、シュンもあの子も助かってたよきっと! 何でシュンが死ななきゃいけないの?! 何でシュンのお母さんが崩れ落ちるようなことしたの?!」


『リン……リンは、俺を……許しては、くれない……?』


 耳元で囁くような声音は少々震えていて、今までと比べ物にならないくらいに頼りないものだった。

 駿平を許せないわけじゃない。人の死を責め立てるような非常識な自分が、許せないだけだ。頭では分かってるけれど、分かってるけれど。


「許せるわけ、ないじゃん……」


『そっか……。分かった。急にごめん。死んだ後までリンを苦しめたくなかった。もう消えるよ』


 交差点まで来た所で、駿平の声がふっと途切れた。その直後、今までの会話など全て幻聴であったかのように、別の音楽が流れ出す。


「えっ……シュン? シュン?」


 流れてくる音楽を一時停止して、再び『日陰の星』をタップするも、何も聴こえてこない。「この楽曲は再生できません」のエラーメッセージが出るだけだ。

 何度も、何度も試した。何度も、何度もエラーメッセージが出た。


 車の走る音がする。ワゴン車、軽自動車、タクシー、バス、トラック。駿平の生きた音がする。

 車道が赤信号になり、車がブレーキをかける。駿平の死んだ音がする。


 社宅に帰るまで、凛果の視界はひどく揺れたままだった。

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