第5話

 家に帰ってからも、半ば狂ったように凛果は『日陰の星』の再生ボタンを押し続けた。

 しかし、いくら押してもエラーメッセージしか出てこない。


 やっぱり、幻聴だったの?

 でもあんなにリアルに、シュンの声が……。

 自分の願望が、過剰に出てしまっただけ?


 同じ行為を繰り返すうちにスマホの充電が少なくなってしまい、凛果は諦めて夕食をとり、風呂に入った。火照った体のままでベッドに転がり、右腕で目元を覆う。


 また同じ過ちを繰り返してしまった。

 時間は二度と返ってこないというのに。

 駿平が死ぬ前日、照れたせいで「大好き」と言葉にできなかった。

 せっかくシュンの声が聴けたのに、彼を優しく包み込む言葉もかけられないまま、あろうことか責め立ててしまった。結局、シュンを悲しませてしまった。


 もう、本当に声は聴けないんだろうか。

 きちんと謝りたい。ちゃんと本心を伝えたい。もうシュンの腕に飛び込むことができなくても、彼を笑顔にしたい。



 ◇



 気づけば、日付が変わっていた。

 夜更けだったが、どうしても駿平と話したくて、充電がフルになったスマホを再び手に取る。自宅ではあったが、ワイヤレスイヤホンを耳に付けた。これがないと、駿平とは繋がれない気がした。


 音楽アプリには、変わらず『日陰の星』が登録されている。再生ボタンを押すと、画面が切り替わった。


『リン……?』


「シュン? シュン?」


『うん、俺だよ。どうした?』


「さっきは……本当にごめんなさい。せっかく声が聴けたのに、私……シュンのこと傷つけた。シュンのこと許せないって、勢いで言っちゃったけど、あれは違うの。言葉が簡単に取り消せないのは分かってる。でもあれは本当に違くて……シュンがこの世にいないことを、まだシュンを責めることでしか確認できない自分が、許せなかったの。遺される側の気持ちも考えずに道路に飛び込むシュンを自己中だとも思った。でも一番自己中だったのは私」


『リン。いいんだよ。俺のこと、ああやって叱ってくれるの、リンしかいないし。確かに浅はかだったとも思ってる。あの時の正解が何だったのか、未だに俺には分からない。でもリンの言う通り、昔同じような事故を見た時よりも遥かにずっと、俺には守るべきものがあった。それに気づいてなくて、ごめん。そのせいできっと、俺が死んだ後もリンを苦しめてたよな?……だから、もう俺のことは忘れてもらって……』


「できるわけないじゃん。私はシュンしか好きになれない。忘れることなんて、一生できやしない」


『リン……』


 耳元で、少ししゃくりあげるような声がした。それにつられるように、凛果の視界も再び大きく揺れ出す。今日、何回涙を流したんだろう。


「素直になれなくてごめん。私……死んじゃっても、シュンのことが大好きなの。本当に、本当に、大好きなの……」


『俺もごめんな。水族館デート、行けなくて。こんなことならデートを前倒しにして、リンの笑顔をもっと焼き付けておくべきだった。もっとハグしてあげたかった』


 駿平が死ぬ前日の電話で、週末の水族館デートの話をしたこと……覚えててくれてたんだ。


「ううん、いいよ。今なぜか、シュンの声が聴けてるから。これ幻聴じゃないもんね? 本当に、シュンと繋がってるんだよね? もうそれだけで、幸せ。今までの悲しかった時間がチャラになるくらい、幸せだよ……私」


『うん。天国こっちのルールでさ、一日一回、しかも五分しか繋げないんだ。だから日付が変わって今やっと、またリンの声が聴けた。あの後、もう声が聴けないかと思ってたから……嬉しくて俺泣きそう』


「五分か……短いけど、毎日聴けるなら私、慣れない仕事も一人暮らしも頑張れそう」


『一人暮らししてるの?』


「うん。総合職だから、全国転勤があるの」


『そっか、頑張ってるんだね。努力家ですごいなぁ、リンは』


「ありがとう。すごい報われた気がしてくる」


 耳元で駿平が「良かった」と囁く声がした後、背後で何やら別の人との話し声が聴こえてきた。


「シュン?」


『あぁ、ごめん。五分ってあっという間だな……もう切らなきゃ』


「あ、待って! シュン……大好き、だよ」


『あれ? リンから言うなんて珍しい』


「もう照れ隠しして、後悔したくない。それに言っても顔見られないから、恥ずかしくないし」


『ははっ、そっか。俺も大好きだよ、リン。あと最後に……約束してもいい?』


「約束?」


『今の俺ができることは限られてるかもしれないけど、俺がリンのこと守るから。一日五分しかないけど、リンの嬉しいことも悲しいことも全部教えて。俺に、リンのこと、守らせて』


「うん……分かった。約束しよ」


『よし、リンと約束できた。じゃあそろそろ終わりだね。繋げてくれてありがとう。大好きだよ』


「私も……大好き……」


 ふっと繋がりが消えて、別の音楽が流れ始める。


 二度も駿平の声が聴けた。きっとこれは幻聴ではない。

 そして、初めて、自分の想いを率直に伝えることができた。しっかりと届けられたことに、凛果は久方ぶりの充足感を覚えていた。


 でも、これで今日はもう、駿平の声を聴くことはできない。翌日までお預けだ。

 名残惜しい気持ちと、明日が輝いて見えることに驚く気持ちを抱えながら、凛果は自分の体に布団をかける。


 目が覚めたら、きっと今までとは違う気持ちで誓いを立てられる気がする。


 今日こそ、変わろう。

 今日こそ、「今日こそ」の山を減らしてみよう。


 きっとできる。駿平がいるんだから。


「おやすみ」


 凛果は自分と、天にいる駿平に声をかけ、そっと電気を消した。

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