十三、ヤマトへ②―ヤマトへの道。スサノオに策はあるのか?そしてスクナビコナは?―

「…ううう、…兄上…」


 イワレビコはイツセの亡骸なきがらを見つめながら涙に暮れる。


 戦いが終わったあと、その場に長くとどまるのは危険と判断したスサノオたちは死者の埋葬まいそうを簡単に済ませた。

 そしてイツセの亡骸や負傷者を含む兵士たちと共に舟に乗り込んだ。

 そうしていったん舟で海岸沿いに少し南に移動したのである。


 その地で今はイツセの亡骸を葬る準備を進めている。


 イワレビコは、今は亡き兄の顔をまじまじと見つめる。


 兄の遺体は前鬼の斧によって腰の辺りから真っ二つに切り裂かれる、という見るも無惨な姿であった。

 せめてもの救いは顔には傷が一つも残っていなかったことぐらいである。

 その血色も亡くなってからしばらくたっているにしては驚くほど良かった。

 ひょっとしたら今すぐもう一度動き出すのではないか、と思えるほどである。


 しかしイツセはもう二度と生き返ることはない。

 その残酷な事実がその顔をじっと見つめ続けるイワレビコにも容赦なくのしかかる。


「……」


 イワレビコは涙ながらにイツセを見つめながらじっと動こうとしない。

 その状態はイツセとの別れをこばむかのようにずいぶんと長く続けられる。


「…さあ、そろそろ…」


 ついにはスサノオがイワレビコに近づき、イワレビコにささやく。

 無論、イツセを土の中に埋めることをうながすためである。


「…わかりました…」


 イワレビコはなおも名残惜なごりおしそうに少しの間イツセの顔を見るも、ついにはそう答えてイツセのそばを離れるのだった。



 イワレビコはイツセの墓をじっと見つめる。


 そのかたわらにはスサノオの姿が。


 イツセの墓は少しだけ土が山形に盛られ、そこに目印としてイツセの愛刀が置かれただけの実に簡単なものである。


 イツセの亡骸が土の中に埋められ葬儀そうぎが行われたあと、イワレビコは自分を一人にして欲しいと他の者たちに告げた。


 イワレビコの心中を察したその場にいた者たちは全員その場から離れようとした。


 スサノオも同様にその場から離れようとした。


 しかしなぜかイワレビコはスサノオのすぐそばにまで近づいてきて、この場にとどまってほしいと直接告げに来たのである。


 その言葉にスサノオは一瞬少し驚いたような表情を見せたが、すぐにいつもの平静な表情に戻ってその言葉に従ったのだった。



 イワレビコはずいぶんと長い間イツセの墓を見つめている。


 すでに周囲はにわかに薄暗くなり始め、西の海の先に見える夕日のみがこうこうと赤く輝いている。


 それでもスサノオは一言も言葉を発することなく、じっとイワレビコが口を開くのを待つ。


「…スサノオ殿…」


 イワレビコはスサノオの方に少し顔を向けながら言う。

 その声は消え入りそうなほど弱い。


「…はい…」


 スサノオは短くもはっきりとした声でイワレビコの呼びかけに答える。


「…私はヤマトに入ることができるのでしょうか…?」


 イワレビコの話す声はかすかに震えている。


「…私も結局兄上のようになってしまうのではないかと…」


「イツセ殿は本当に勇敢な方だった。確かにあれほど強い鬼に一人で戦いを挑んだのは無謀なことだったかもしれない。しかしあの場にいた者でイツセ殿の勇気を否定できるものは誰もいまい」


「…はい…」


 イワレビコは相変わらず浮かない表情をしながら小さく答える。

 どうやらスサノオの言葉を聞いても、まだイワレビコの不安が消えることはないようである。


 その不安は全くもって当然のことだとスサノオは思う。

 今日経験した、生まれて初めての戦いで兄イツセを目の前で惨殺ざんさつされた。

 それは本当に衝撃的なことであったのと同時に、兄が背負っていた責任が全てイワレビコに移ったことをも意味している。

 いまや軍を率いてヤマトに入らなければならない、という責務は全てこのイワレビコが負っているのである。

 あの恐ろしい鬼どもを退け、ヤマトに入る。

 それは単に難しいというだけでなく、己の命をも危険にさらすことだ。

 それはおそらく大の大人でさえも逃げ出したくなるほどの重責である。

 それをまだたかだか十五歳程度の年頃で背負っているのである。

 これは不安で押しつぶされてしまってもなんらおかしくないことなのだ。


「…イワレビコ殿…」


 スサノオはイワレビコの目を見てその名を呼ぶ。

 それは静かでありながらも非常に力強い声である。


「…ここではっきり申し上げておきたいことがあるのだが…」


「…はい…」


 イワレビコはスサノオの言葉に答えながら、その話にじっと耳を傾ける。


「…このスサノオ、当初よりイワレビコ殿をヤマトに連れて行くためにこそここに来た…」

 

 スサノオの言葉がにわかに熱を帯び始める。


「…それは無論高天原から来た他の者たちとて同じこと…」


 イワレビコはなおもじっとスサノオの話を聞いている。


「…それは今でもなんら変わることはない…」

「…ええ、それはわかりますが…」


 イワレビコは不安そうにスサノオの方を見ながら言う。


「…確かにヤマトに入るのは簡単なことではない。現に今日の戦いは負けてしまった…」


 スサノオはわずかながら深刻さを増した調子でしゃべる。


「…今日の我々はあまりにも無策だった。正面からヤマトに入ろうとし、完全に相手の術中にはまった…」


 スサノオは悔しそうに、わずかに顔を歪めながら言う。


「…しかし、今このスサノオにはいくつかの策があります。その策を実行すれば鬼共を打ち破ることは十分に可能…」

「そんな策があるのですか?」


 スサノオの言葉を聞いたイワレビコは驚いたように聞き返す。


「ありますとも。ただ…」


 そう言うと、スサノオは西に見える沈みゆく夕日に目を向ける。

 もう夕日は水平線に半分以上隠れており、周囲も視界がかなり悪くなり始めている。


「…その話は後日改めて話すとしましょう。今日はもう早めに休んだ方が良い。今後のためにも…」

「そうですね」


 スサノオの言葉にイワレビコもすぐ同意する。


「フッ、まあこのスサノオはまだ疲れてはいませんがな」

「えっ、そうなのですか?」


 スサノオの言葉にイワレビコはまたも驚く。


「フフッ、まあたかだかこの程度の戦いが一日あったくらいでは疲れることなどまずあり得ませんな。まだまだ力があり余っているほどだ。おそらく高天原から来た他の者たちも同じはずだ」


 そう言うと、スサノオはイワレビコに対してニヤリと笑ってみせる。


「それは頼もしい。今後もぜひ力をお貸し願えれば!」


 そんなスサノオの様子を見て、イワレビコの顔にも笑顔が戻る。


「ハッハッハッ、もちろんだ!」


 このスサノオの言葉を最後に二人は立ち上がる。

 そしてイワレビコはスサノオと共に他の者たちの元へと戻るのだった。



「…ふう、とりあえずヤマトに着いたぞ…」


 ヤマトに着いたスクナビコナはつぶやく。


 今日の早朝、起きると同時にスクナビコナはサルタヒコと共にスサノオからある“指令”を受けた。


 それはヤマトの周辺と内部をなるべく詳しく調べるというものだ。

 周辺は空を飛べるサルタヒコが調べ、内部は屋内にも容易に忍び込めるスクナビコナが調べるというのが役割分担である。


 そして指令を受けたあとすぐにサルタヒコと共にヤマトへと向かった。

 空を飛ぶサルタヒコの腰帯と服の間に身体を挟めての移動である。


 ヤマトに着いたのは思いのほか早く、空に見える太陽の位置から言ってまだ正午にもなっていない。


 ここにたどり着くまでに、空中を飛んでいるときにヤマトを俯瞰的ふかんてきに見てみた。

 そのときにわかったことは、ヤマトというのは盆地になっている場所にうっそうとしげっている木々の一部を切り開いて、人の住む場所を作ることでできている、ということである。


 そしてヤマトのすぐ近くの森に着いたところでスクナビコナはサルタヒコと別れた。

 空を飛んでヤマトの内部まで行かなかったのは無論ヤマトの人間に見つからないためである。


 今回の“指令”でサルタヒコのやれることは少ない。

 ただ単にヤマト周辺の地形を調べるだけなので、空を飛べるサルタヒコならおそらく一瞬で終わらせることだろう。


 今回のヤマトの調査ではスクナビコナの役割の方がはるかに重要なのである。


 実際出発前にスサノオにも、此度こたびの戦いで我らが勝てるのかどうかはひとえにお前の働きにかかっているのだぞ、と言われた。


 今回のヤマト内部の調査ではスクナビコナはヤマトの宮殿にも忍び込まなければならない。

 宮殿にはおそらくヤマトの“最高機密”があるものと予想される。


 それがニギハヤヒに関することなのか、鬼に関することなのかは今のところわからない。


 しかしそのあたりもこれからおいおいわかってくるのだろう。


「…さてと、まずは…」


 宮殿に忍び込もう、と言いたいところだが、その前に“ある者たち”に話を聞いておかなければならない。


 その“ある者たち”に会うためにスクナビコナは歩き始めるのだった。



「はっはっはっ、こりゃあ楽勝なんじゃないかな!」


 スクナビコナは一人満足げに笑う。


 スクナビコナはヤマトに着いたあと、まずはヤマトの周辺を歩き回った。

 そしてある者たち―ヤマト周辺にいる鳥たち―を呼び止めて話を聞いた。


 その結果ニギハヤヒやヒルコ、鬼たちがヤマトにやって来た経緯けいいが全部わかった。


 そして鳥たちにヤマトの宮殿の位置をも教えてもらい、さらに宮殿に着いてからは宮殿の床下の穴の中に住んでいるネズミたちに話を聞いた。


 ネズミたちは宮殿の内部でのヒルコやニギハヤヒたちの過去の会話を全て聞いていた。

 そのためにニギハヤヒが現在宮殿の奥に監禁かんきんされていることや、現在はニギハヤヒに化けたヒルコが実質的にヤマトを支配していることもわかった。


 そして現在スクナビコナは宮殿の床下で一人愉快ゆかいそうに笑っている。


 何しろたった一日でこれだけのことがわかったのだ。

 もはや十分すぎるほどの成果と言っていい。


 あとやることといえば宮殿の中に忍び込み、ヒルコやニギハヤヒのことを色々調べるくらいである。

 これがおそらく一番難しい任務だと思われる。


 しかしスクナビコナは楽観的にこれも簡単にできるだろうと思った。

 スクナビコナは元々楽観的な性格だったが、今日一日で簡単に成功を重ねてきたことでさらに楽観的になっていた。


 スクナビコナは床下で寝そべりながらニヤニヤと笑う。

 そして食料として持ってきて袋の中に入れていたご飯粒を一粒食べた。

 今はすでに夜ふけで、外は完全に暗闇に包まれている。

 行動を始めるのは明るい時間帯で十分だろう。

 この任務は特別急いでいるわけでもないので時間なら十分にある。

 ありがたいことに宮殿の床下は土が軟らかく、雨露もしのげるので意外に過ごしやすい。

 しばらくは何の問題もなくここで生きていけそうである。


「…まっ、こんなのはさっさと終わらせちゃおう…」


 スクナビコナは一人つぶやきながら眠りにつく。


 のちにこの考えがとんでもない誤りであることをスクナビコナは身をもって知ることになるのだが。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る