私と恋と炒飯

ちくわノート

私と恋と炒飯

 馬鹿げた話かもしれないが、知り合いには決して話せない事なのでここに記させて欲しい。そして、私はこれから妙なことを綴るが、読む前に決して笑わないと誓って欲しい。本人は至って真剣なのだ。大学受験の時の腹痛や、担任の悪口を言っていると実は後ろに当の本人が立っていたことなど比にならないほど私は困窮し、人生の岐路に立たされていた。さあ、清水の舞台から飛び降りるつもりで私の秘密を暴露しよう。


 炒飯に恋をした。


 断っておくが、これは人名ではないし、何かしらのキャラクターでは無い。紛れもなく炒めた飯のことである。

 ここまでで何を話しているのかよく分からないと思うので順を追って説明しよう。


 当時、私は人生の夏休みと言われる大学生活をただ怠惰に、それはもう怠惰に過ごし、時間をドブに湯水のように捨て去って、とうとう三年目になった夏の事だった。

 私は金欠だった。

 数日前は私の財布の中で数人の野口と樋口が押し合い圧し合い、それはもう仲が良さそうに居座っており、私もその様子を微笑ましく思っていたのだが、ちょっとした用事で駅の方まで出かけた時に、不幸にもパチンコ屋が目に入ってしまった。

 私は実家に帰るが如く、それはもう自然に入店した。入らないという選択肢はなかった。

 私は野口と樋口だけじゃ寂しかろうと慈悲の念を抱き、新たな仲間を求めて勇往邁進した。結果はご存知の通りである。

 プロのギャンブラーはそんなのスったうちに入らないと言うかもしれない。しかし、私はプロでは無い。樋口二人、野口三人が殉職され、私の今月の食費は残り二百九十六円となった。南無三。

 さて、今月はどうやって生き抜くか、と私は人並み優れる頭脳をフル回転させ、妙案を思いついた。

 その妙案とは以下の通りである。実は実家から大量の米が送られてきたばかりだったのだ。しかし、これだけでは味気ない。そこで残りの二百九十六円で卵を一パック購入することにより、炒飯が作成できる。タンパク質と炭水化物が同時に摂れて栄養面から見ても完璧である。

 私は早速その足でスーパーに向かい、卵を購入すると下宿に戻り、ご飯を炊き始めた。

 ここで炒飯を作るにあたって、一つだけ問題が生じた。コンロがゴミの山に埋まっているのだ。大学に入るにあたり、初めての一人暮らしをした私は料理男子となって女の子からモテまくろうと勢い勇んで自炊を始めた。これで私もモテモテだと浮かれていたのだが、直ぐにカップラーメンの手軽さに気がついてしまった。そのため自炊をせず、不要になったコンロの存在は忘れ去られ、食器やら謎のぬいぐるみやら靴やらが積み上げられた魔境と化してしまっていた。たまに自炊を久々にやってみようと思いたっても、この魔境が目に入るだけで私のやる気は空気を抜いた風船のようにしおしおと萎んでしまい、結局、近くのファミレスか天下のカップラーメンに頼ってしまうのであった。

 しかし、今回は緊急事態だ。めんどくさいなどと言っていては飢え死にして、大家さんは訳あり物件としてこの部屋を貸さなければならなくなる。そうなってしまっては申し訳ない。

 取り敢えずコンロの上にあるものを手当たり次第床に投げ捨て、コンロの姿を必死に探した。

 一通り掃除を終え、とうとうコンロの姿があらわになったとき、ちょうど良いタイミングでピーっと炊飯器が鳴いた。

 いよいよ、炒飯との邂逅である。私はフライパンを取り出して、フライパンが汚れていることに気が付き、動きをとめた。その間、私の明晰な頭脳はスーパーコンピュータの如く膨大な量の計算をし、火を通せば大丈夫という結論を導き出した。私の頭脳はポンコツだった。

 私は三ツ星シェフの如く、フライパンに油を引き、炊き上がったご飯を炒め、華麗に卵を混ぜ入れた。頃合を見て火を消すとついに完成である。ご飯と卵以外の材料は一切入っていないが、なかなかの出来だ。早速私は炒飯を食べようとした。

 しかし、完成した炒飯は私には美味しそうには思えなかった。

 作り方が悪かったのでは? と聞かれれば頷かざるを得ないが、今は飢餓状態である。ゴミ箱に捨ててあるフライドチキンの骨ですら美味しそうに思える状態である。それなのに、私には美味しそうではなく、別の感情が生まれていた。


 愛らしい。


 私は腹が減りすぎて自身の感情がショートしたのかと思った。否、腹が減りすぎて感情がショートしていた。

 恋とはいうものはいつも突然訪れる。

 街中ですれ違った美女に心を奪われることもあれば、ただの女友達の些細な言動で恋愛感情が芽吹くこともある。

 私もそのような場面を想像して、街中で自身がナンパされた時の対応は完璧に脳内でシュミレーションをしていたし、ティッシュを配るお姉さんには微笑みながら少し低めのダンディな声でお礼を言うのを決して忘れなかった。突然来るであろう恋に万事準備していたのだ。

 しかし、この私でさえ、この恋の訪れは予期できなかった。

 目の前のチャーハンに対して普段は決して覚えない感情がとめどなく溢れ出る。

 可愛い。守りたい。愛おしい。愛してる。綺麗だ。

 それと同時に理性は決死の覚悟でその感情を止めようとした。

 相手は炒飯だぞ? 当然結婚なんか出来やしないし、そもそも会話も出来ない。炒飯が私の恋人です。なんて言った暁には頭のおかしい炒飯野郎と一生言われ続けるに違いない。

 しかし、もう一人の脳内の私がそれに反論し始めた。

 男が好きな人もいれば女が好きな人もいる。二次元に恋する人だっているだろう。これらは等しく尊い愛である。好きという気持ちは誰もが持つ権利があり、馬鹿にされたり、邪魔される筋合いは決してない。胸を張って炒飯を恋人だと言い張ろう。

 言っていることは天使のような事だが、私にとっては悪魔の囁きである。

 長時間の葛藤の結果、後者の意見が採用され、私は頭のおかしい炒飯野郎となることを決めた。

 そう。私の恋人は炒飯である。

 さて、正式に炒飯が恋人になったことで、今まで無遠慮に炒飯のことを炒飯と呼んでいたが、ここからは麗しの彼女と表記を改めさせて頂こう。

 私の迷いが晴れ、改めて麗しの彼女を見ると、彼女はフライパンの上に裸で寝かされていることに気づいた。

 彼女をこの状態で放置するなど彼氏失格である。

 私は慌てて家の中で最も高級なお皿に彼女を移すとサランラップを被せようとした。

 しかし、サランラップだと透けてしまい、エロティックになってしまう。私は赤面をした。

 結局、アルミホイルを被せることにした。


 それからの私の人生は途端に華やいだ。今まで惰眠を貪り、生活習慣が滅茶苦茶になっていた私が規則正しく、朝の七時には起きて、彼女と共に朝食を摂る。彼女と共に大学へ向かう。

 彼女と共に行動をするとどんな些細なことでも幸せに思えた。例えば、信号を待たずに渡れたこと。例えば、道端に咲いているよく分からない花を見つけたこと。例えば全く勉強していなかった小テストが中止になったこと。

 側から見れば炒飯をずっと片手に持っているものだから、変人と陰口を叩かれ、あいつ炒飯臭えぞ、などと暴言を吐かれたが、「最近炒飯にハマっててさ」などと誤魔化し、密かに私と彼女は愛を育んでいた。


 大学からの帰り道、私は彼女をラーメン屋に誘った。

 大学の近くに今にも潰れそうなラーメン屋があるのだが、これがかなり美味い。知る人ぞ知る名店である。私は友人からプライドを捨てて、五千円を借りていた。彼女とのデートの軍資金である。

 店に入ると無愛想な店主がおり、手前のカウンター席に見知らぬおじさんが汗を流しながらラーメンを啜っていた。

 おじさんは私が入店したことに気がつくと

「おお、珍しいね! お客さんだよお客さん。俺以外でここ来てる人初めて見たなぁ」

 と大きな声で話し始める。

 私が奥の席に座ろうとすると

「こっち来な、ほれ、ここ座れ」

 と隣の席をばんばんと叩いた。

 予期せぬ苦手な人種との邂逅に私は大いに戸惑ったが、今は彼女がいる。情けないところは見せられない。

 私はおじさんの指示通り、隣に腰を下ろした。

 私が席につき、彼女をカウンターの上に置いた瞬間、「何にしやす?」と店主が話しかけてくる。

「オクラーメンに決まってるでしょ、ここにはそれしかないんだから」

 おじさんが横から口を出した。私は席の自由ばかりか注文の自由までこのおじさんに奪われてしまった。

 自由権の侵害だ。憲法違反だ。私は抗議をしようとしたが、自慢ではないが私は生粋の小心者である。私は喉まで出かかった豚骨ラーメンという言葉を涙と共にこっそり呑み込んで、成り行きに身を任せてしまった。

 しばらくして、お待ち、と私の前に乱雑にオクラが三本乗ったラーメンが置かれた。あからさまに微妙な顔をした私の心情を知ってか知らずかおじさんはウインクをして自身のラーメンをまた啜り始めた。おじさんのウインクなぞ気分が悪い。

 呪言を心の中でおじさんに唱えながら、渋々一口ラーメンを啜る。

 かなり美味い。

 何故オクラとラーメンがここまで合うのかはよく分からないが絶妙なバランスを醸し出している。私はおじさんに感謝をした。

 私が夢中になってラーメンを啜っていると、おじさんが彼女の存在に気づいた。

「おう、大将。この炒飯サービスかい、気が利くねえ」

 そう言って、あろう事か彼女を一口食べてしまった。

 私は我を忘れておじさんに渾身の右ストレートを食らわせた。

 おじさんは椅子を薙ぎ倒してひっくり返った。

「わ、私の彼女になにをしたああ!!」

 おじさんは何が起こったのか把握出来ていない様子で目を白黒させていた。

 私は彼女を見た。

 端の方が少し欠けてしまっている。

「お、おい、どうしたんだあんた」

 店主が騒ぎを聞き付けて奥から出てきた。

 私は肩で大きく深呼吸をした。少しずつ冷静さを取り戻し、突然暴力を行使をするのは紳士ではなかったといった後悔が生まれた。否、むしろ、彼女を食った男の息の根をとめずに殴っただけで済ますのは逆に紳士的なのではないかと考え直した。

 おじさんはのっそりと立ち上がり、殴られた右頬を抑えながら言った。

「あ、ああ、すまねえ。それ、あんたの炒飯だったのか。悪ぃな。ここは奢るからよ。許してくれや」

 私はそれ以上ラーメン屋に居座る気にもなれず、私の全財産である五千円をカウンターに叩きつけ、彼女と共に店を後にした。

「ごめんな」

 私は彼女を守れなかった申し訳なさと自身の不甲斐なさに胸をいっぱいにしつつ、彼女に謝罪した。

 彼女は「大丈夫だよ」と言ってくれている気がした。


 それからも私は彼女と一緒に行動し、思い出を共有した。消費者金融でお金を借り、遊園地に行って「手荷物はこちらのロッカーへどうぞ」と言われ、彼女をとりあげられそうになったり、彼女とカフェで他愛もない世間話に花を咲かせているときも、「当店では持ち込みの飲食はおやめください」と怒られたこともあった。その度に私は「彼女は、この炒飯は私の恋人です。手荷物でもなければ、食べ物でもありません」と堂々と宣言し、彼女を守ることに努めた。私がそういうと大抵奇怪な目で見られたが、私は気にしなかった。もちろん私に一切の羞恥心がなかったわけではない。しかし、私は彼女と思い出を作らねばならなかった。

 私は彼女とのこの夢の生活が長く続かないことを知っていた。


 ある朝、刺激臭が私を夢の世界から現実へ引き戻した。私は隣で寝ている彼女に「おはよう」と言って、臭いの元凶を探した。そしてそれはすぐに見つかった。

 彼女だ。

 私はとうとうこの時が来てしまったのかと悟った。考えてみれば当然のことである。今は夏。炒飯である彼女を連日のように外に連れ出して遊んでいると当然腐ってくる。しかし、私には彼女を冷凍して悪戯に彼女の寿命を伸ばすことはできなかった。私のエゴかもしれない。しかし、彼女には外の世界を知ってもらいたかったのだ。この世に生まれて良かったと思って欲しかったのだ。

 彼女が腐ってしまった時、私はどういった行動を取るのが最適なのだろう。ずっと頭の隅でぐるぐると考えてはすぐに思考を放棄して現実から目を逸らしていた。

 しかし、もう逃げられない。

「どうしたらいいんだよ……」

 そう呟いた時、私は彼女と目があったような気がした。彼女は私に訴えかけている。「私を食べて」と。

「そんなことできるわけがないだろう。だって君は、君は……」

 そこまで言って、私は彼女の視線に気づいた。

「私はあなたに食べられたいの」

「……本当に、それしかないのか」

「私はあなたと過ごせて本当に幸せだった。産んでくれてありがとう」

 私の目から涙が溢れ出た。たかが炒飯。多くの人はそう言って私を笑うだろう。しかし、彼女はこの数日間、紛れもなく私の恋人だった。

 いくら感謝してもし足りない。死を覚悟している彼女を前に何を言えばいいんだろう。きっと、誰も正解は知らない。私は一言だけ彼女に告げた。

「愛してる」

 そうして、私は彼女を食べた。


 その後、私はしばらく入院した。医者からは「一口食べた時点で分かったでしょう。腐っているって」とお叱りを受けた。私は彼女との関係を話すのも億劫だったのですいません、と頭を下げて退院した。

 そこから私はバイトを始めて友人に借りていたお金を返した。部屋の掃除もし、大学の授業にサボらずで出席するようになった。私の変わりっぷりを見て人々は口々に「なんか変なもんでも食ったか」と噂した。


 ある日の講義後、私は声をかけられた。

「すいませーん、これ、あなたの携帯ですか?」

 振り返ると黒髪で目がぱっちりとしており、可愛らしい子が立っていた。講義で何度か見かけたことがあった。

「ああ! そうです。ありがとうございます。よく私のだって分かりましたね」

「実はロック画面を見てしまって、あなたの写真が映っていたのを見てピンと来たんです。あ、講義で最近よく見かける人だって」

 そう言って彼女はにへへと笑った。眩しく、とても可愛らしい笑顔だった。

 そして、その笑顔に私は胸を打たれた。


 恋はいつも突然やってくる。


 例えば喧騒とした街中で。


 例えば汚らしいキッチンで。


 例えば昼下がりの講義室で。


「あの、ご迷惑でなければお礼させてください。美味しいラーメン屋があるんです」

 突然こんなことを言って、警戒されるかと思ったが、彼女は彼女は思いのほか目を輝かせた。

「え、いいんですか。私ラーメン大好きです!」

 彼女は弾んだ声で答える。

「今からお時間ありますか。そのラーメン屋、すぐ近くなんです」

 彼女は可愛らしく頷く。

 私たちはラーメン屋に向かって連れ添って歩き始めた。

「そういえば、炒飯好きなんですね。ロック画面の写真に映っていたじゃないですか」

 私は携帯を取り出してロック画面を見た。炒飯を抱えて満面の笑みを浮かべた私が写っている。

 私はその思い出をそっとポケットにしまうと、

「大好きです。大好きだから、食べられないんです」

 そう言って私は笑った。

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