第34話 Mたるモブは姉妹を守る
大きく両手を広げて、俺は声高らかに言い放った。
その瞬間、全員が揃って『は?』みたいな顔になる。
「こう見えて俺はドMだからな。殴られることには慣れてるんだよ」
「え……急に何、てかキモッ……」
やがて安達は露骨に顔を歪ませ身を引いた。
早速飛んできた軽いジャブに対し、俺はチッチッと指を振る。
「その程度じゃこれっぽっちも気持ちよくない」
「き、気持ちいいって……マジのM……?」
「だからそう言ってるだろ」
もはやここまで来て引く気つもりはない。
こいつが戦意喪失するまでМを演じてやる。
「どうした。早く俺にもご褒美くれよ」
「……」
「古賀にやっていた以上に強烈なやつをくれ」
「……」
「お前の本気はあんなもんじゃないはずだ」
口を開けば開くほど、安達は顔を青くして一歩、また一歩と後ずさる。俺は負けじと安達との距離を詰め、その艶のある口から罵倒が飛び出すのをしぶとく待った。
「ほら、早く」
「チョ、チョット……」
やがて俺は、安達を壁際まで追い込んだ……が、それでもこいつは顔を青くするばかりで、頑なに俺を攻撃しようとはしない。だんまりである。
「どうして何もしてくれない」
「うぅぅ……」
「お前の好きなようにやってくれていいんだ」
「ヤメッ……」
「殴るなら古賀じゃなく俺を殴れ!! 俺の心をズタボロにしてくれー!!」
妙に気分が高揚していたからだろうか。
気づけば俺はこんなことまで叫んでしまっていた。
先ほどから妙に静かな空気を不審に思い、安達から身を引いて周りを見れば。場に居た全員が、もれなく顔を真っ青にして、生ゴミを見るような目で俺を見ていた。
古賀も、夏希も、安達も、加瀬も、受付に居た店員も。あろうことか陽葵までも、頭を抱えて「はぁ……」と大きなため息を溢す始末。
(あれ? さては俺、やり過ぎた?)
なんて、今になって気づいたがもう遅い。
「それは流石にキモすぎ……」
一番に古賀が嫌悪感丸出しでこう溢し。
「陽葵が可哀そう……」
続けて夏希は、まあまあ心に刺さることを。
「マジでキモい……てかムリ……」
安達は吐きそうな顔で加瀬の元に逃げ。
「それなー……」
加瀬は相変わらずのそれなbotだった。
でもドン引きしてるのだけはわかる。
(なるほど。やり過ぎましたねこれは)
共通の敵になるつもりが、どうやら俺はそれ以上のやばい存在になってしまったらしい。咄嗟の思い付きでMのフリしたけど、効果は抜群だったみたいですわ。
「と、とにかくさ」
すると古賀はパチンと一つ手を叩いた。
これにより場の注目は俺から彼女へと移る。
「井口がキモいのは当然として」
当然としないでよ。
演技だってこれは。
「遊びならまた今度誘ってよ」
「でもせっかく会えたしサー」
「予定立ててまた会えばいいじゃん?」
「それはそうなんだケドー」
Mを演じた甲斐あってか。
先ほどまでの険悪な空気がリセットされた気がする。
今の安達には人を攻撃するような素振りは無いし。古賀も古賀で気持ちの整理がついたのか、いつもの調子を取り戻しているように見える。
「次は絶対来てヨネー」
「もち」
やがてグイっと親指を立てて肯定した古賀。
「じゃあ、あたしら行くねー」
「ほいほーい、そんじゃネー」
「それなー」
未だ俯いたままの夏希の手を引き、足早に店を出ていく。その際古賀に『ほら、行くよ』と目で合図されたので、俺は陽葵を連れてその後を追った。
「マジキモかったよネー」
「それなー」
「Mとかマジないワー」
背中で安達と加瀬の会話を聞く限り。
どうやら奴らの中で、俺はMで確定されたようです。
* * *
店を出るや否や。
古賀姉妹の間に何やら不穏な空気を感じた。
「どうして止めようとしたの」
数メートルほど歩いたところで、ついに夏希は口火を切った。その表情からは確かな怒りが感じ取れたが。古賀はあくまで優しい声音で答える。
「そりゃ友達と妹が喧嘩しそうになったら止めるよ」
「でもあの人たち、すっごい美緒ねぇのことバカにしてた」
「あれはそういうノリで――」
「ノリでもうちは嫌だった!」
やがてその怒りは声となって漏れる。
これには古賀も僅かに目尻を下げた。
「なんであんなこと言う人と友達でいれるの」
「それは……」
「美緒ねぇだって嫌だったはずでしょ!?」
夏希の怒りは至極当然のものだった。
あれは当事者じゃなくとも、見ているだけで不快になる光景だ。その標的が自分の姉となれば、当事者と同等、もしくはそれ以上の不快感を覚えたはずだろう。
無自覚とはいえ、安達のしたことは人として最低レベルの愚行。普通なら気づいて辞めるようなことを、平然とやってしまうあいつらと、古賀はなぜ友達でいられるのか。
俺も気になるその疑問を前に、古賀は思案顔を浮かべ黙り込んだ。そのまま少しの間を跨いだ後に、何かを確信したように微笑んだ彼女は――
「あの子たちが、本当は優しくていい子なのを知ってるからかな」
穏やかに、そう呟いたのだった。
「たまに悪ノリすることもあるけど。でもあたしにとってのあの子たちは、とても大切な存在だし。きっとあの子たちから見たあたしも、そうなんだと思うんだよね」
「ホントに美緒ねぇのこと大切に思ってるなら、あんなこと言えるはずない!」
「大切だからこそ、傍に居るからこそ、気づかずに傷つけちゃうものなんだよ」
古賀は優しい口調そのままに続ける。
「夏希だって、あたしと喧嘩したことあるでしょ?」
「それは姉妹だし……喧嘩くらいするよ」
「その時あたしが口にした言葉で傷ついたりしたよね?」
「傷ついたってか、ムカつきはしたけど」
「それで夏希はあたしのこと嫌いになった?」
「そんなの、嫌いになるわけないじゃん」
「つまりはそういうこと」
諭すように言うと。
古賀はゆっくりと夏希の傍に歩み寄る。
「たった一度、些細ないざこざで夏希があたしを嫌いにならないように、あたしもそれだけで夏希を嫌いになんてならないし、それはあの子たちにも言えることなの」
「だからってあの言い方……美緒ねぇは甘過ぎるんだよ……」
「そうかもしれないね」
やがて二人の距離は、触れ合うほどにまで近づいた。
「けどあれもこれも全部許せちゃうくらい、あの子たちのことが好きだから」
いかにも古賀らしい、人がいいからこそ語れる理由だと思った。夏希は不満げに口を曲げていたが、古賀はその頭に優しく手を添え、こう呟く。
「ありがとね」
「……っっ!?」
「あたしのために怒ってくれて」
それは感謝という名の”愛”だった。
古賀の純な愛により夏希の顔に熱が登る。
「み、美緒ねぇのためとか、そういうわけじゃないから」
「えぇー? ほんとにー?」
「ホ、ホントだし」
わしゃわしゃっと、夏希の頭を撫でる古賀。
次いでギュッと、優しくその肩を抱き寄せた。
「夏希が怒ってくれてお姉ちゃんすんごく嬉しかった」
「……っっ!!」
「だからありがと」
「う、うん……」
古賀の胸の中で、高揚する夏希の頬。あまりにも尊い二人の姉妹愛を前に、俺の心も、おそらくは陽葵の心も、暖かい感情に包まれていた。
一時はどうなることやらと焦りもした。
だがやはりこの二人は姉妹だな。
姉が重度のシスコンなら、妹も同じくらい姉を想っているということだろう。それでいて二人ともいい奴だから、こうして丸く収めるに至った。
「井口も」
と、ここで。
古賀の視線が不意に俺に向いた。
「悪かったわね。汚れ役押し付けちゃって」
何を言われるかと思えば。
なんだ、いつものお人好しか。
「気にすんな。むしろ俺にはぴったりの役どころだ」
「え……まさかあんたマジのMなわけ……?」
「んなわけあるか……演技だ演技」
まあどっちかって言えばMなのかもしれないけども。
アレを本気で言えるほどのレベルの高いそれじゃない。
「あの場を収めるには、第三者の介入が必要不可欠だったろ。それでいて安達のヘイトをお前らから逸らすには、俺みたいな人間が割って入るのが一番丸い」
淡々と語れば、なぜか古賀は目を丸くした。
「それを頭で理解して実行するって、凄いよあんた」
「凄かねぇよ。俺はただ、与えられた役割をこなしてるだけだ」
「それでも、あの場に割って入るのって凄く勇気がいることだと思う」
そう言うと、朗らかな笑みを浮かべた古賀。
これにより生まれた一瞬の沈黙、その間を風が緩やかに吹き抜けて行く。靡いた横髪を抑えながら、古賀は上目遣いで俺を見て――こう囁いた。
「だからありがと」
その声は非常に耳心地のいい。
心の奥深くにスッと落ちていく言葉だった。
「あたしたちを守ってくれて」
いつもの彼女からは想像もつかない。刺々しい雰囲気は微塵もなく、ただ純粋に感謝を述べるその姿は清楚そのもので。それでいて、目を見張るほどに美しい。
思わず見とれてしまっていた。
思考が止まり、瞬きさえも忘れている。
「よしっ。妹成分も吸収したことだし、そろそろバイト行くね」
やがて古賀はそっと夏希から身を引いた。
そして未だ硬直状態の俺に、真剣な眼差しを向けてくる。
「悪いけど井口、夏希のことよろしくね」
「……え、よろしくって?」
すれ違いざま、意味ありげにそう言うと。
「じゃあ明日もよろしくー」
ひらひらと手を振り、足早に去ってしまう。
俺はその背中を見えなくなるまで追い続け。
「何だったんだ、今の……」
困惑から、そんな独り言を漏らしたのだった。
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