第32話 世界一のお兄ちゃんに俺はなる

 歌い始めて30分ほど経った頃。

 ここでシスターズが、飲み物のお代わりを持ってきてくれるよう。「悠にぃも何かいる?」と陽葵に聞かれたので、俺は毎度のごとく緑茶をお願いした。


 陽葵たちが居なくなったことで、俺と古賀は二人きりに。お互い歌うわけでもないし、特に会話もないので、映像の音声のみが、この薄暗い部屋に響いていた。


(今のうち便所でも行くか)


 俺はいじっていたスマホをポケットに突っ込んで立ち上がる。そして無言で部屋を出ようとしたところ。


「別に逃げなくたっていいのに」


 扉に手を掛けた瞬間、そんな声が飛んできた。

 振り返れば古賀は、何やら不満そうに俺を見ている。


「そんなにあたしと二人が嫌なの?」


「そういうんじゃねぇよ。ただの便所だ」


「ああ、そう」


 俺はそう言い残し、独り部屋を出た。

 そしてトイレの案内に従い店内を進むと。


「ねぇねぇなっちゃん、陽葵いいこと思いついちゃった」


 何やらドリンクバーの前で、盛り上がっている陽葵たちが目に留まる。


「悠にぃの緑茶にコンポタ混ぜるってどう?」


「さすがにコンポタはバレるでしょ」


「でも悠にぃバカ舌だし、大丈夫だと思うんだよねー」


「味ってよりも見た目でバレると思うけど」


 壁に隠れて二人の会話を聞いていた感じ、どうやら俺の飲み物にイタズラを仕掛けるつもりらしい。なんてお茶目で可愛い妹なのだろう。


(バカ舌は普通に傷つくけどね)


 とりあえずここは空気を読んで、何も聞かなかったことにしてあげよう。そう決めてその場をスルーした俺は、再び便所に向けて足を進めたのだが。


「陽葵って、なんだかんだ兄貴のこと好きだよね」


 夏希の言葉により、自然と身体が引き戻される。


「えぇー、ぜんぜんそんなことないよー」


「いやいや、好きでもなければそんなくだらないイタズラしないって」


 再度壁の裏に身を隠し、目をガン開いて二人の会話を覗けば。視界の中の陽葵は明らかに頬を赤く染め、バツが悪そうに頬を掻いていた。


 実は陽葵は俺のことが好き。

 好きだからこそイタズラをする。


 ということはつまり、今までの俺に対する手厳しい態度の全ては、愛情の裏返しだったということだろうか。一方通行に見せかけて、実は両思いだったとか?


(胸アツ展開過ぎるだろそれは)


 陽葵は俺のことが超大好き。

 つまりは両想い。つまりは結婚。


「ふんがっ、ふんがっ、ふんがっ」


 考えれば考えるほど鼻息が荒くなる。


「それで言ったらなっちゃんだって、美緒さんのこと好きでしょ?」


「それはまあ……あんなんでも姉は姉だし」


「だよね~。じゃなきゃ人見知りのなっちゃんが、率先して歌ったりしないもん」


「んん……」


 仕返しか。悪戯な笑みで陽葵が言うと、今度は夏希が頬を赤くして俯いた。兄妹の話題で盛り上がる二人は非常に微笑ましく、僕の胸は今ほっこりホカホカです。


「兄妹ってさ。凄く不思議な存在だって思うの」


 と、何やら陽葵は神妙な顔で呟いた。


「傍に居るのが当たり前で、なのにちょっぴりめんどくさくて、でも居ないとすっごく寂しい気持ちになっちゃう」


 これにより二人を包む空気がガラリと変わった。

 落ち着いた声音で語られる陽葵の話に、俺はそっと耳を傾ける。


「そりゃうちのお兄ちゃんは重度のシスコンで、目立った特技も無い、暇さえあれば屁理屈ばっかり言ってるろくでなし男だけど」


 ひ、陽葵……!?


「でもね、この世界の誰よりも陽葵に優しくしてくれる。陽葵のことを理解してくれてる。そんな特別な存在なんだよね」


 陽葵……。


「ろくでなし男だけど」


 陽葵っ!?


「それ、何となくだけどわかる気がする」


 相変わらずの下げて、上げて、そして下げる陽葵のスタイルに、俺が翻弄されていると。視界の中の夏希はうんと頷き、微笑み混じりに言う。


「うちの姉もそんな感じだから」


「美緒さんは悠にぃとは違ってしっかり者じゃん」


「しっかり者でも、弱点くらいはあるよ」


「弱点? 例えば?」


 聞かれた夏希は「うーん」と思案顔を浮かべる。

 そして歯に衣を着せることなく、次々と吐露した。


「お化けが怖いとか」


「うんうん」


「ウォシュレット無いとトイレができないとか」


「あとはあとは?」


「最近ちょっと太ったのに間食やめないとか」


「それとそれと?」


「実は中学生の時に二次オタだったとか」


 出るよ出るよ、すんごい出るよ。

 本人の居ないところですんごい暴露されちゃってるよ。


「他には他には?」


「他にもあるけど、これ以上は美緒ねぇに怒られそう」


 今の時点でだいぶライン超えちゃってるけどね

 後の二つとか、絶対言っちゃダメなやつでしょ。


(てか、古賀が二次オタだったってマ?)


 だとしたらあいつのオタク嫌いは一体。

 さては同族嫌悪ってやつなんですかね。


「でも悠にぃと比べたらずっとマシだよ」


「そうなの?」


「だってあの人、残念が服着て歩いてるようなもんだもん」


 おい、マイシスター。

 たった一言で悠々とライン超えていくのやめて。


「うちからしたら普通にいい人に見えるけど」


「えぇー、ウソぉー?」


 よく言ってくれた夏希。

 その調子で俺の良さをどんどん陽葵にアピールしてくれ。


「でも一つはっきりしてるのは、両方重度のシスコンだってこと」


「それはそうかも! 美緒さんなっちゃんのこと大好きだもんね!」


「それは陽葵の兄貴も一緒でしょ」


 やがて二人は顔を見合わせ、揃って噴き出した。

 笑いあう妹たちを残して、俺は今度こそ便所に向かう。



 兄妹ってさ。凄く不思議な存在だって思うの――。



 思えばあんなにも真剣に胸の内を語る陽葵の姿、目にするのは初めてだったかもしれない。当然俺の前ではその手の話をしないから、何というか新鮮だった。


 俺は陽葵の力になれているのか。陽葵にとっていい兄貴でいられたのか。陽葵が受験生になった今年は特に、それらを考える機会が増えたように思う。


 元々こんな性格の俺だ。

 今年に限らず、心のどこかでずっと不安に思っていた。こんなのが兄で、陽葵は嫌じゃないだろうかって。一度でいいから、陽葵の素直な思いを聞いておきたかった。

 

(特別な存在……ね)


 今日、ようやくそれを知れた。

 これ以上の言葉は無いと言い切れるほど、陽葵から出た言葉は暖かくて、不安に満ちていた俺を救ってくれる、最高の誉め言葉だった。


 おかげで俺も少しくらいは、自分を誇れるのかもしれない。陽葵が俺を特別だと言ってくれたように、俺も陽葵を特別な存在だと思っている。


 可愛くて、優しくて、元気いっぱいで――たった一人の兄妹であるあの子の想いに、俺は最高の兄で居続けることで答えるとしよう。


「世界一のお兄ちゃんに俺はなる」


 そんなくっさい台詞を吐いて、俺は便所の扉に手を掛けた。

 


 * * *



 用をたし終えて部屋へと戻る。

 するとなぜか扉の前で佇むシスターズが。


「手塞がってんなら開けてやるけど」


「え、あ、うん。そういうわけじゃなくてね」


「ん?」


 てっきり飲み物で両手が塞がって、扉を開けれないのかと思ったのだが。二人の気難しい雰囲気から察するに、何か別な理由があってこうしているっぽい。


「入らねぇの?」


「入らないっていうか、入れないっていうか」


「入れない?」


 妙に歯切れの悪い陽葵に、引きつった笑みを浮かべる夏希。やがて二人は困ったように顔を見合わせたが……俺からしたら、全然意味がわからない状況だった。


「先入るぞ」


「あ、ちょ、悠にぃ……!」


 陽葵が見るからに慌てていたが、俺はそれを気にせず扉に手を掛ける。が、何やら部屋の中から音が漏れていることに気づいて、扉を開く手を止めた。


(え、何、この音……)


 それは空気を揺らすような轟音だった。

 しかも機械音などではない。人の声だ。


「ジャ〇アン……?」


 真っ先に思ったのがこれだった。

 まさかと思い、そっと中を覗いて見れば……マイクを片手にリサイタルしていたのは古賀。謎にアカペラで歌っているからか、音痴過ぎてもはや歌とは思えない。


「え、何、これわざとやってんの?」


「残念ながら本気」


 あまりの下手さに怖くなって確認したが、答える夏希はあくまで真剣だった。確かに自分で下手とは言っていたけど、まさかここまでとは……。


「美緒ねぇの歌はマジで人が死ぬレベルだから」


「そんなこと自信満々に言われてもな……」


 扉一枚挟んでいるにも関わらずこの威力だ。

 これを直接となると、確かに人が死ぬかもわからん。


 これぞまさにデスボイス。


「美緒ねぇ、ホントは歌いたかったのかな」


「だからって今歌うのかよ……」


 いくらデスボイスとはいえ、どうせ歌うなら、目の前で堂々と歌ってほしかった。そしたらこんな気まずい空気にならずに済んだのに。


「ねぇこれさ、今入ったら絶対にまずいよね?」


「まあ、間違いなくまずいだろうな」


「多分うちらが入った瞬間、舌噛んで死ぬと思う」


 怖い怖い……怖すぎるから。

 その自傷どうやっても防ぎようないから。


「殺人犯になるのはごめんなんだけど」


「なっちゃん、何とかできない?」


 俺と陽葵が縋るような目を向けると、夏希は長いため息を吐いた。そして呆れ顔で「仕方ないなぁ、もぉ……」と呟き、両手の飲み物を俺に差し向けてくる。


「これ」


「ん」


「美緒ねぇ止めてくるから」


「ああ」


 おそらくは『持っててくれ』という意味だろう。意図をんで、差し出された飲み物を受け取ると、続いて夏希は、なぜか俺を睨みつけて言った。


「飲んだら殺す」


「飲まねぇよ……」


 流石は古賀の妹なだけある。

 口の悪さは姉譲りなようで。


「あれ、そういや俺の緑茶は?」


 ふと、緑色が無いことに気づいた俺。

 お代わりを任せていた陽葵に確認すると。


「あー、それなら」


 陽葵は黄色い液体の入ったコップを掲げた。


「え、何、バナナジュース?」


「緑茶だよ。コンポタ入りだけど」


 だとしたら緑茶の緑は一体どこへ。

 あまりにも黄色過ぎやしませんかね。


「ちょっとコンポタ入れすぎちゃった」


「これはもう入れすぎたとか、そういうレベルじゃないけどね」


 眉間にしわを寄せて言えば、陽葵はてへっと舌を出した。悪戯っ子っぽくて可愛いけど、それで許してもらえると思ったら大間違いだからね。可愛いけど。


「そもそもこれ何対何だよ」


「8体2? いや、9体1?」


「ちなみにそれってどっちがどっち?」


「コンポタが9で緑茶が1」


「ほぼコンポタじゃねぇか!」


 そんなくだらないやり取りをしているうちに、古賀のデスボイスは止んだ。その後、陽葵特製の緑茶風味のコンポタを飲んだが……意外にも美味くて草が生えた。

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