第25話 ぜんぶはぜんぶ

 正面から感じる圧。

 席に着いてからずっと葉月に睨まれている。


「むぅぅ~」


 って、頬を丸めているせいか、まるでリスにでも威嚇されている気分だった。丸めた頬を薄っすらと赤く染めるその様が、無駄に可愛くてウザったい。


「な、なんだよ」


「べつにー」


「別にって……じゃあ睨むのやめてよ」


「そりゃ睨みますよ。あんなことされたんですから」


 あんなこと。

 という単語を聞いて自然と眉間に力が入る。


 冷静な今だからこそ思う。

 流石にあれはやり過ぎだったと。


「悪いとは思ってる、けど仕方なかったんだよ」


「仕方ないで許されたら警察いらないんですよ」


「警察って……犯罪みたいな言い方しないでよ」


「言い方も何も。セクハラは立派な犯罪ですよ」


「セクハラ……」


 あなたの中で俺のあの行動はセクハラになるんですね……思い返せば確かに、自衛のためとはいえ、気安く口とか肩とかに触れちゃいましたけども。


「急にああいうことされると、その……」


 すると葉月は、何やら視線をテーブルに伏せて口ごもった。そのまま妙な沈黙が数秒ほど続いた後、トンッ! とテーブルを叩き、前のめりになって言う。


「と、とにかく! わたしだって女の子なんですからね!」


「え、あ、うん。それは知ってるけど」


「知ってるなら気安くああいうことしない!」


 次いで葉月は、ビシッと俺を指差してくる。


「例え相手が陰キャ代表のセンパイでも、ドキッとするんです!」


「陰キャ代表は余計じゃね……?」


 ……って、ちょっと待った。

 今こいつ、ドキッとするって言ったよね?


「しっかりと肝に銘じておいてください!」


「え、あ、はい。そうさせていただきます」


 ふすんっ! と鼻を鳴らした葉月。

 この感じ、どうやら俺を許してくれるっぽいけど。会話の流れからするに、さっきの密着で、葉月も少なからず俺を意識してたってことだよな。


(となると、あの時身体が妙に熱かったのは……)




「で、注文は」


 すぐ横で声がしたので、ふと顔をあげる。

 するとそこにはハンディーを手にした古賀が。


「まさか何も頼まないわけじゃないでしょ」


「あ、ああ。じゃあとりあえずドリンクバー二つで」


 反射的にそう言えば、古賀は慣れた手つきでハンディーを叩いた。そして少し離れたドリンクバーコーナーを指さすと。


「あそこにあるから、あとは勝手にやって」


 そう言い残して、颯爽と去って行く。

 相手が俺だからか、かなり素っ気ない接客だった。


「なーんかあの人感じ悪くないですか?」


 これには葉月も不満そうに一言。

 まあお前からすればそう見えるんだろうけど。俺と古賀のやり取りとしては、これと言っておかしい点はない。いつも通りの古賀である。


「もうちょっと愛想良くてもいいと思うんですよね」


「そういう属性なんだよ。ツンデレっていうんだツンデレって」


「聞こえてんだけど」


 こそこそ話しているつもりが……しっかり聞こえてしまったよう。古賀が振り返ったのに合わせて、俺と葉月は反射的に顔を逸らした。


「適当なこと言ってるとマジでしめるから」


 視界の外から感じる凄まじい圧。見なくても今のあいつが、どんな顔をしてるのかが、容易に想像できてしまうのが恐ろしい。てかマジ圧やばい。

 

「勉強するのはいいけど、あんまり長居しないでよね」


 それでも滞在を許してくれるその優しさ。

 やはり古賀にはツンデレの才能があると確信する俺であった。



 * * *



 ドリンクを用意し、早速勉強を開始する。


「で、何がわからないって?」


「ぜんぶです」


 ……は?


「すまん、もう一回」


「だからぜんぶです」


 全部……なるほど、全部ね。


「全部ってのはあれか。全部の全部か」


「ぜんぶはぜんぶです」


 一切の焦りを感じさせない、堂々としたその口調。期末テストまであと一週間だというのに、全部わからないとか。こんな奴に割ける時間はない。


「ちょちょ、どこ行くんですか!」


 呆れた俺は無言で席を立った。

 そのまま立ち去ろうとすると、葉月に背中を引っ張られる。


「決まってんだろ。帰るんだよ」


「帰るって、まだ何も教えてもらってませんよ?」


「あいにくと俺から教えられることはない。テスト頑張れ! 以上! 解散!」


「以上じゃないです!」


 無理やり前に進もうとしたが、それ以上の力で引き戻されてしまう。込み上げてくるイライラと共に振り返れば、葉月は縋るような表情で俺を見上げていた。


「このままだとわたし補習になっちゃいますって!」


「それで済むなら万々歳だろ」


 甘い考えの葉月に、俺は人差し指を突き立てる。


「むしろお前は補修しろ! その溶けた脳みそごとな!」


「さっきは教えてくれるって言ったじゃないですか!」


「知らん! 自分で何とかしろ!」


 そして背中に伸びた腕を、無理やり振り払おうとした……のだが。


「もしかしてアレですか? あそこにいるピンクの先輩に、あの写真見せちゃってもいいってことですか?」


「……」


 この一言で俺の苛立ちは即鎮静化された。

 そういえば、そんな爆弾がありましたね。


「苦手な教科だけでいいんで、ねっ?」


「んん……」


 小首を傾げ、口角を上げてそう言う葉月。

 その切り札を使われては、教える以外の道がない。


 俺は仕方なく席へと戻り。

 ニマニマ緩んだ顔の葉月に尋ねる。


「で、苦手な教科って」


「数学? いや世界史? じゃなくて現代文?」


 こいつ……マジでいい加減にしろよ。


「それと理科も苦手だし、英語もぜんぜんわからな――」


「おーけーわかった数学をやろう」


 こいつのペースに合わせていては、とてもじゃないが期末には間に合わん。良くて半分、最悪全教科赤点で、この勉強会自体が全くの無駄に終わる。


「暗記系は後に回す。まずは死ぬまで計算だ」


「でも他にも苦手な科目はたくさんありますよ?」


「お前の場合は科目というより、勉強そのものが苦手なだけだろ」


「それはそうなんですけど」


 数学なら俺の得意科目なので比較的楽に教えられるし。何より早めに公式やらに慣れて、少しでも問題を解く力を身につけておいた方がいい。


「あとわたし計算あまり好きじゃ――」


「うるせぇやるぞ」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る