第26話 間接キス

 それから俺は、二次関数の計算問題を中心に、テスト範囲を復習させた。


 最初こそ文句たらたらで、何のこっちゃみたいな感じだった葉月。でもやはり元の能力は高いようで、集中して1時間もやれば、それなりに解けるようにはなった。


(やれば出来んなら最初からやれ)


 この様子なら、数学に関しては何とかなるとは思う。


 だが果たしてその他の教科はどうか。

 これはあくまで俺の予想だが、おそらくこいつは根っからの理系だ。それ故に今は順調に進んでいるようにも見えるが、これが仮に英語になった瞬間。



 センパーイ。ぜんぜん英単語覚えられませーん(泣)



 とか泣きわめいて、頭を抱える未来が容易に想像できちゃう。


 いや、まだ英単語が覚えられないだけならマシか。もし葉月の口から『be動詞ってなんですか?』と出ようものなら、俺はその瞬間、独り静かに天を仰ぐだろう。


 仮にそうなった場合は潔く諦めて補習受けさせるか。暗記〇ンに擬した普通の食パン食わせて、プラシーボ効果にワンちゃん賭けるか。どっちかしかない。




「そういや、お前のそれ」


 ペンを走らせる葉月を眺めながら、そんなくだらないことを考えていた俺。ここでふと視界に入った真っ黒な飲み物が気になり、指さした。


「さっきから何飲んでんの」


「え、カルピスコーヒーコーラですけど」


 なんだそのキメラみたいなドリンクは。


「気になるなら一口飲みます?」


「いらねぇよ……絶対まずいだろそれ」


 真顔で差し出されたそれに、俺は怪訝な視線をぶつける。すると葉月は含みのある顔になり、「ふーん」と煽るような声を漏らした。


「残念でしたね、センパイ」


「何が残念なんだよ」


 今度は一体何を企んでいるのか。

 眉間にグッと力を入れて睨み返せば。


「わたしと間接キスできる絶好のチャンスだったのに」


「……っっ!!」


 淡い桃色の唇から放たれたのは、女子に言われたらテンション上がる言葉ランキング第2位の『わたしと間接キス~』小悪魔ver。これにより俺の胸の鼓動が一気に加速する。


 ちなみに第1位は『お兄ちゃん大好き』である。


「あれれ~? どうしたんですか、顔赤くしちゃって~」


「ハッ……」


「もしかしてわたしと間接キスしたかったんですか~?」


「そ、そんなの、したく、ねぇしぃ?」


「その割には随分と悔しそうですけど」


 ギシギシと歯ぎしりしながら俺は心で叫ぶ。


(そんなの悔しいに決まってるじゃないかぁっ!!)


 相手が葉月とはいえ、女子との間接キスは男の夢。

 そのチャンスをみすみす逃した俺は、大バカ者だ。


「センパイ、こういうのとは無縁の人ですもんね~」


「ぐぬぬぬ……」


「どうしてもって言うなら、間接キスさせてあげなくもないですよ~」


「い、いらんわっ! 調子に乗るのもいい加減にしろっ!」


 ドリンク片手に最上級のしたり顔をする葉月。

 俺がちょーっと隙を見せるとすぐにこれだよ。


「そういうお前こそ、これ、一口どうよ」


「はい?」


「今なら俺のとっておきのグリーンティーが飲める絶好のチャンスだ」


 俺は咄嗟の思い付きで、自分のコップを葉月に差し向けた。だが葉月は怪訝な視線を浮かべると、「別にいりませんけど」と冷たい声音でそう溢す。


「てかそれ、普通の緑茶ですよね」


「まあ、そう言われるとそうなんですけども」


「センパイの飲みかけとか、お金積まれても飲みませんよ」


 え、ちょ……そこまで嫌がる必要なくない?

 俺一応、毎日朝晩ちゃんと歯磨きしてるよ?


「それにわたし、お茶より断然ジュース派なんで」


「さいですか」


 果たして君のそれは、ジュースと呼べるのでしょうか。ボクには得体の知れない真っ黒な液体にしか見えないのですけど。


「無くなったんで補充してきます」


 やがてその謎の液体を一気に流し込んだ葉月。『補充』という言葉と共に、開いたコップを手に立ち上がった彼女に、俺は疑い混じりの目を向ける。


「なんですか」


「いや、まさかまた同じの持ってきたりしないよなと」


「え、普通に持ってきますけど」


 さも当たり前のように言っちゃうあたり。

 こいつの味覚は完全にバグっているみたいです。


「センパイは何かいります?」


「俺はいい。緑茶まだあるし」


 正直今にでも飲み干して、お代わりが欲しいところだけど。こいつに任せると、マジカルナンチャラみたいなのになり兼ねないからな。


「そうですか。残念です」


 真顔でそう言い残すと、葉月は独りドリンクバーに。

 遠退く彼女の背中に向け、俺は呆れ混じりに呟いた。


「何がだよ……」

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