第20話 小悪魔は全てを知っている

 間違いない、葉月だ。

 白いワンピースに麦わら帽子という、言ってしまえば奴らしくない、でも確実にハマっている格好故に一瞬気づくのが遅れた。


(てかなんでこいつ東京にいんの……?)


 それにこの麦わら帽子。俺の記憶が正しければ、この間買い物で被ってたやつだ。あん時は買わずに帰ったはずだが、まさか後日また買いに行ったのか?


「い、いやー、バレちゃいましたかー」


「バレちゃいましたかじゃねぇよ。マジ何してんのお前」


 聞けば葉月はバツが悪そうに苦笑いをし。


「成り行きというか何というか……」


 と、わかりやすく口ごもった。

 成り行きで来る場所じゃないけどね、ここ。


「ほ、ほら。センパイキャリーいっぱいって言ってたじゃないですか」


「誰かさんのおかげでな」


「なので直接お土産を貰いに来てあげたんですよ」


「どんだけ土産欲しかったんだよお前……」


 こいつの行動理念が一ミリも理解できない。

 てかここまで来たならもう自分で好きなの買えよ。


「そういや今日学校は」


「一応風邪ってことにはなってます」


「なってますって……サボりかよ」


 俺は嘆息し、丁度手元にあった土産袋に手を入れた。そして小袋を取り出し、それを葉月にひょいと投げる。


「ほれ、これお前の分」


「あ、え、ちゃんと買ってくれてたんですね」


 ちゃんと買ってくれてたんですねって。


「お前が買えって言ったんだろ」


「まあそうなんですけど」


 鳩が豆鉄砲を食らったような面しやがって。あんだけ欲しい欲しい騒いでいたくせに、なんで土産渡されて驚いてんだよ。


「見てもいいですか」


「好きにしろ」


 やがて葉月は小袋を開けた。

 そしてその中身を取り出すと。


「キーホルダーですか?」


 と、小首を傾げ一言。


 あれ? ぬいぐるみは?


 と言われているようで少し腹が立った。


「予算的にこれが限界だ。我慢してくれ」


 どうせあれこれ文句を言うんだろうな。

 なんて、勝手に想像して萎える準備をしていたのだが。


「えっとその、凄く嬉しいです」


 葉月から出たのは文句などではなく。

 俺が密かに期待していたそんな言葉だった。


「わたし好きですよ。このキャラ」


「え、あ、そう」


 すると葉月は両手でそれを包み込む。

 そして麦わら帽子の裏に一瞬表情を隠すと。


「ありがとうございます。大事にしますね」


 やがて満面の笑みで、そう呟いたのだった。





「センパイ? どうかしました?」


「……えっ、ああいや、なんでも」


 やがて聞こえたその声で我に返る。

 俺は今、間違いなくボーっとしていた。というよりも、葉月の予想外な反応に不意を突かれ、思考停止していたという方が正しい。


(文句……言われないのか……?)


 いつもの葉月なら、間違いなく生意気言うはずなのに。一丁前に着飾っている今に限ってこの反応……ズルいにも程があるだろ。


「ほ、ほら。満足したらさっさと帰れ」


 今は、今だけは葉月を直視できない。

 顔が、耳が、胸が、とてつもなく熱い。


「くれぐれも先生にだけは見つかんなよ」


 俺はそう言って葉月に背中を向けた。


 おそらく俺は今、相当だらしない顔をしている。

 勘付かれる前に、この場から立ち去るのが吉だ。


「あの、センパイ」


 しかしすぐさま呼び止められる。

 今、振り返るのは色々とまずい。


「ふぅぅ……」


 俺は大きく息を吐いて胸の鼓動を無理やり正す。

 後に平静を装い振り返れば、葉月は神妙な顔で言った。


「無駄じゃないと思いますよ」


「えっ……?」


「センパイが今日まで積み上げて来た努力、無駄じゃないと思います」


 それを言われてハッとする。

 そういやさっき、そんなことをボヤいていたっけ。


「聞いてたのかよ……」


「独り言にしては結構なボリュームでしたよ」


 ニヤつく葉月を前に俺は頬を掻いた。

 そしてため息の後に気を正して折り返す。


「どうしてそう思う」


「どうして、とは」


「お前は全てを見てたわけじゃない。なのになぜ無駄じゃないとわかる」


 当然の問いだった。

 俺の努力が無駄か無駄じゃなかったかを決めるのは俺じゃない。回答者である条件として、今日の俺を、俺の努力を正しく認識していなければならない。


「俺の努力が無駄じゃないと言える根拠は」


 そういう意味で葉月の言葉は、ただ慰めたいだけの上っ面な言葉にしか聞こえなかった。だからこそ俺は詰めるように、問いを投げたのだが。


「見てましたよ」


「えっ……」


 はっきりと語られたその一言で、俺の勢いは途切れる。


「全部見てました。センパイが誰かの為に悩んだり、行動したりするところ」


 そう語る葉月はあくまで真剣だった。

 上っ面だけでそう言ってるんじゃない。

 一目見ただけでそれがわかる、真剣な顔。


「班の人たちが盛り上がる中、スマホで必死に乗り換えの電車調べたり、常にパーク内のインフォメーションチェックしてたり、今日のセンパイはずっと、班の為に行動する立派な人でした」

 

 脳裏にあった疑念が晴れていくのがわかる。まるで近くで見ていたかのような葉月の語りは、無力感で満ちていた俺の心の奥深くに響いた。


 これが響いてしまうということは……きっと俺は、誰かに認めてほしかったんだと思う。認めてほしいと思うほどに、この修学旅行に掛けていたのだと思う。


 でもこのイベントに自己評価は通じない、だからこそ俺は安達のあの一言を答えとし、自分の努力は間違っていたと、結論付けるしか方法がなかった。


「センパイのことです。今日の為に色々と準備して来たんですよね?」


 でも葉月だけは、俺を、俺の努力を正しく理解してくれている。それがわかった瞬間、暖かな感情が胸のどこかで湧いた気がした。


「あれだけ雑誌を読み込んでたから、みんなに頼られたんですよ?」


「んなことは……今日だってたまたま拾ったパンフに救われただけで」


 全てを知っているであろうその口調。

 葉月とここまで会話して――ふと思った。


「てか、なんでお前がディ○ニーのこと知ってんの?」


 冷静に考えたらそうだ。

 そもそも葉月が俺の行動を見ていたというなら、ディ○ニーにも居たというわけで。じゃなかったらここまで明確に語れる意味がわからない。


「言ったじゃないですか、全部見てたって」


 戸惑う俺に対して、当然のようにそう言う葉月。

 その言葉が仮に本当だとするなら、まさか……


「……お前、ディ○ニーに居た?」


 聞けば葉月は、にししっと悪戯な笑みを浮かべた。

 これにより一瞬思考が止まり、やがて額に冷や汗が滲んだ。


「ど、どのタイミングから……?」


「ずっとです」


「ずっと!?」


 ちょっと待て。

 ずっとってことはつまり……


「……アトラクション並んでる時は?」


「三組ほど後ろに居ました」


「昼飯食ってる時は?」


「センパイの斜め前のテーブルに居ました」


「す、水上ショー見てる時は……」


「常に5メートル圏内には居ましたね」


「近っ! 全然気づかなかったんだが!?」


 ここまで気づかなかった自分が怖い。

 そしてずっとついて来てた葉月はもっと怖い。


「え、何、お前もしかして俺のこと好きなの?」


「なっっ……!!」


「ス、ストーカー……?」


 眉を顰めて言えば、葉月の顔は真っ赤っ赤に。

 この反応……満更でもなさそうなんですけど!?


「きゅっ、急に何言い出すんですかっ!!」


「だって土産貰うだけならわざわざ後つける必要とかなくない?」


「かかか、勘違いしないでくださいっ!!」


 爆発寸前のボ○兵みたいな顔だった。

 葉月は声を大にして否定すると、続いて超早口で言った。


「そもそもこんなに可愛くて優しくて男子の理想のど真ん中を160キロで駆け抜けるわたしみたいな女の子が、センパイみたいに根暗で屁理屈でバカでアホでどうしようもないシスコンを好きになるわけないじゃないですかぁっ!!」


 こういう時に限って無駄に滑舌がいいのが腹立つ。


 てかなんでそんなにも自分に自信を持ってるの?

 そしてなんで俺を平気でオーバーキルしてくるの?


「と、とにかくあれです」


 やがて落ち着きを取り戻した様子の葉月。

 若干の顔の火照りを感じさせながらも、淡々と語る。


「この間言ったじゃないですか。センパイにはわたしがついてますからって」


「確かにそうは言ってたけど」


「だからセンパイが一生懸命だったことは、後輩たるわたしが責任をもって証明するんです。間違っても今日までの努力を『無駄』にはさせてあげませんから」


 その気持ちは素直に嬉しい。

 誰かに認められる、理解されるというのは、才のない俺にとって凄く貴重なことだから。例え相手がクソ生意気な葉月だって、喜ばしい部分はあるさ。


 でもだ。


「どうしてお前はそこまで俺に執着するんだよ」


 ずっと前からの疑問だった。

 葉月は、言ってしまえば俺みたいな脇役モブとは違う世界、違う立ち位置の人間のはず。にもかかわらず、執拗に俺に構うその理由はなんだ。


「それは……」


 俺が投げた問いで、場に少しの沈黙が流れた。

 答えづらいのか、葉月は露骨に視線を泳がせている。


「……センパイの後輩だからですよ」


 やがて口にされたのはそんな簡単な理由だった。この時葉月が浮かべた笑みに、若干の後ろめたさのようなものを感じた気がしたが――


「それよりセンパイ。他にお土産ないんですか?」


 と、葉月は露骨に話題をシフトした。


「わたしぬいぐるみお願いしたはずですけど」


「しつけぇな。それで我慢しろって言ったろ」


 俺が睨めば、葉月は「むぅぅ」と不機嫌に頬を丸めた。


 やっぱりこいつは生意気だ。

 と、俺が嘆息したその直後。


「今日はよく頑張りましたね、センパイ」


 突然、生意気な葉月の仮面が崩れる。

 そして現れたのは先ほどと同じ純な笑顔。


「い、いきなりなんだよ」


「たまには頑張ったセンパイを褒めてあげようかと思いまして」


「別にいらねっつの」


 不意に出たそれにより、再び俺の顔に熱が溜まった。が、その笑顔は、やがてニンマリとした、俺を煽るようなムカつく表情に変わる。


「あれあれ〜? お顔が真っ赤ですよ〜?」


「……っっ」


「熱でもあるんじゃないですかぁ~?」


 ちょっと隙を見せたらすーぐこれ。

 ほんとこいつ、いい性格してやがる。


「もしかしてセンパイ、ついにわたしに惚れちゃいました〜?」


「んなわけあるか。俺はこの程度で惚れるほど安い男じゃねぇ」


 きっぱりと言い放ち、俺は呆れ半分でため息を吐いた。


「でもまあ」


 そしてこみ上げてくる感情そのままに、葉月を見やる。


「ありがとな。葉月」


 これは自然とこぼれた言葉だった。

 こいつは昔からどうしようもなく生意気で、先輩である俺を舐め腐ってるムカつく奴だけど。でも今回ばかりは『葉月が居てよかった』と、心の底からそう思う。


「色々助かった。礼を言う」


「き、急にやめてくださいよもうっ」


 俺が笑いかければ、葉月はポッと顔を赤くして背を向けた。そして背中に組んだ手をモジモジと遊ばせたその後に。


「どういたしまして」


 と、微かに震えた声で呟いた。

 その小さな背中から感じるのは恥じらい。今、葉月がどんな顔をしているのか。それを想像するだけで、平静だったはずの胸の鼓動が大きく跳ねた。


「じゃ、じゃあわたしそろそろ帰りますので」


「お、おう」


 今までは存在しえなかったくすぐったい何か。

 それを全身で感じながら終える、3日目であった。

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