第12話 モブの役割

 修学旅行前日の夜。

 明日の起床時間を考えると、ぼちぼち寝ないとまずい。が、旅行前日にありがちな寝れない現象に襲われた俺は、自室にて先日買った旅行雑誌を読み返していた。


 とはいえ俺の場合、眠れないのは修学旅行が楽しみだからではない。ついにこの時が来たという緊張と、きたる地獄に備えたいという防衛本能からの覚醒だった。


 このままオールで……とは一瞬考えたが、確か1日目はかなり歩かされる日程だったはず。となると、少しでも寝ておいた方が身のためだろう。


「悠にぃ?」


 と、俺を呼ぶ可愛らしい声が聞こえた。

 つられてそちらを見れば。


「なんだ陽葵ひまり、まだ起きてたのか」


 部屋の入口に立っていたのはマイエンジェル。

 可愛い柄のパジャマに身を包む妹の陽葵ひまりだった。


「こんな時間まで勉強か?」


「うん、これでも一応受験生なので」


「いつも偉いな」


 俺が褒めると陽葵は、いひひっと嬉しそう笑う。

 その愛らしい笑顔だけでご飯三杯は行けそうです。


「悠にぃこそ起きてて大丈夫なの?」


「ああ、まだちょっと寝れないんだ」


「明日から修学旅行でしょ? 寝ないと遅刻しちゃうよ?」


「それで欠席できるなら本望なんだけどな」


 すると陽葵はとてとてと俺の部屋に入ってくる。そしてすぐ隣までやって来ると、机に広げていた旅行雑誌を覗いた。


「珍しいね。悠にぃが学校行事に前向きなの」


「そりゃあ可愛い妹にお土産期待されちゃな」


 俺が修学旅行に行くたった一つの目的がこれ。


「陽葵のためなら張り切るっきゃないだろ」


「さっすが悠にぃ! イッケメーン!」


「ふっふーん!」


 最愛の妹におだてられ、鼻が高い俺である。


「じゃあその勢いでママの分のお土産もよろしくー」


「……」


 しかし俺の高鼻は一瞬にしてへし折られた。


 ねぇ俺、この旅行でどんだけ金使えばいいの?

 最近葉月にも奢りまくってるから、本当に金ないよ?


「理由はともあれ、前向きなのはいいことです」


「別に前向きってわけでもないけどな」


「でも最近はいつもそうやって調べものしてるよね?」


「お前よくそういうの気づくな。もしかして兄ちゃんのこと好き?」


「すきすきー、まじちょうらぶー」


 棒読みの告白ほど悲しいものはない。

 前に葉月が言ってた通り、俺って陽葵にウザがられてる?


「いやさ、悠にぃの部屋っていつもドア空いてるから。トイレ行く時とかたまーに隙間から覗くんだけど」


「ふーん……」


 ……ん、待てよ。


「部屋を覗く……?」


「そしたら机で何かやってるから、てっきりゲームか何かかと思ったけど」


 俺の額に途端に冷や汗が滲んだ。

 夜に部屋を覗いてるって……まさか……


「修学旅行の調べものだったんだね」


「……」


 一瞬、時が止まった気がした。

 俺は恐る恐る陽葵の顔を見上げる。


「それで、今は何を調べてるの?」


 淡々と話すこの感じからして多分セーフ……?

 てかセーフじゃなかったら大問題なんだが!?


「悠にぃ?」


「あ、ああ」


 陽葵に呼ばれてハッとする。


「で、なんだっけ」


「なんだっけって、今は何調べてるのって」


 やがて陽葵は「大丈夫?」と首を傾げた。

 なので俺は「大丈夫だ」と返して、話を戻す。


「今はディ〇ニーの昼飯だな。なるべく女子が好きそうなの探してる」


「あ、そっか。班の人みんな女の子なんだっけ」


「不服なことにな」


 すると陽葵はニヤリと笑い、俺をおちょくるように言った。


「女の子とディ〇ニー、しかもハーレムとか最高ですな」


「んなわけあるか。むしろいつぶっ殺されるかってヒヤヒヤしてるわ」


 下手なことしたら間違いなく死刑だろう。

 自分の身を守るための事前予習でもある。


「え、何、悠にぃの学校って鬼でもいるの」


「いるぞー。おっかないのがわんさかな」


 すると陽葵は青い顔を浮かべた。

 そしてプルプルと肩を震わせながら。


「進路変えようかな……」


 と、しゃれにならないことを。


「冗談だからそれだけはやめよ?」


「でも陽葵、怖いのとか苦手だし……」


「そこはお兄ちゃんが付いてるから大丈夫だ」


「何が大丈夫なのか一ミリもわからないけど」


 えぇぇ……。

 そこは一ミリくらいはわかってよぉぉ……。


「まあとにかく」


 やがて陽葵はうんと頷いた。


「悠にぃはなんだかんだその人たちのために、毎日頑張って調べものしてるってことでしょ? それって凄く偉いことなんじゃないの?」


「どうだか。実は俺もなんで自分がこうしてるのかよくわかってない」


 今思えばそうだ。

 俺は最初、修学旅行に行かないとまで言った。にもかかわらず、気づけばその前準備に途方もない時間を費やしている。


 それは先生に発破をかけられたからか。

 それともこの間の古賀の言葉が原因か。

 正直俺も自分で自分を理解しきれていないが。


「まああれだ。どうせいくなら邪魔にだけはなりたくないって思ったんだよ」


「邪魔?」


 これだけはハッキリと断言できた。


「うちの班の女子、めちゃくちゃ仲良いからさ」


 あの時の古賀は本心で語った。

 ”三人でいい思い出を作りたい”って。


「大体の人間にとっては、今回が人生で最後の修学旅行になるだろ」


「まあ、高校生ならそうだね」


「ならせめて、その思い出に水を差さない無害な立場でいようと思った。そのためには下調べが必要だし、ある程度の不都合くらいは目を瞑ってやるべきなんだよ」


 俺が修学旅行に参加することは確定している。

 三日目、あいつらと一緒にディ〇ニーに行くことも。

 

 それでいて現状の最優先が、あいつらの思い出を守ることで、それを成し得る上での障害が『俺自身』であるとするなら。俺がとるべき最善は一つしかない。


「俺にできるのは”邪魔にならない努力”、それだけだ」


 俺は自分に言い聞かせるように呟いた。


 これは自虐でも何でもない。

 修学旅行という舞台にて、脇役モブの俺に与えられた役割。この役割をきっちりこなさない限り、舞台の成功はあり得ない。


「でもそれじゃ……悠にぃの修学旅行はどうなるの」


「元々俺は修学旅行に乗り気じゃなかったからな。今更どうなろうと関係ねぇさ」


 そう言って、ちらりと陽葵を見やる。

 俺を真っ直ぐに見つめる彼女の瞳は、酷く悲しげだった。


(そうだよな、わかってる)


 陽葵は優しい子だ。

 この世界の誰よりも優しい子だ。


 だからこそ俺はこの子を裏切れない。

 例え古賀たちの思い出を守るという役割があろうと、それによって陽葵を悲しませることだけはしちゃいけない。兄として、絶対に。


「安心しろ。悔いが残らない修学旅行にはするつもりだから」


「そう、なの?」


「ああ」


 今だ不安の色抜けない陽葵に、俺は精一杯笑いかける。すると陽葵は潤んでいた瞳を拭って、優しく微笑み返してくれた。


「そっか。なら明日の朝はちゃんと見送らないとね」


「そうしてもらえると助かる」


 そう言って、踵を返す陽葵。

 俺はその小さな背中を静かに見送る。


「あのさ、悠にぃ」


「うん?」


 やがて扉の前で立ち止まり、振り返った。


「どうかしたか?」


「え、えっとね」


 陽葵は何やら言いにくそうに視線を床に。

 しばらくの沈黙の後、神妙な笑みを浮かべて。


「お土産、すごく期待してるから」


 と、念を押すように言った。

 その笑顔の裏には若干の心配の色が見て取れる。


「それじゃ悠にぃ、おやすみ」


「おう。おやすみ」


 こうして部屋を去って行った陽葵。俺はしばらくの間、閉められた扉をじっと眺めて――やがて誰もいない部屋にポツリとこう溢した。


「大丈夫。兄ちゃんに任せとけ」

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