第16話呉服屋・長次郎1

 赤穂藩が取り潰されて約二年。


 潰されたいうても浅野家が取り潰されただけや。

 うちらみたいな庶民にとっちゃ、よほどアホな殿さんや家臣団でない限り誰が主人でも一向に構わん。現に赤穂には新しいお殿さんの元で以前と変わん日常や。

 新しい御殿さんは永井直敬ながいなおひろ様いうお人や。元は下野国烏山藩しもつけのくにからすやまはんの殿様やった。浅野の殿さんと大して歳は違わんが才能溢れる人みたいやわ。若いのに幕政に関わっとる。赤穂にも最初来ただけで滅多に帰ってけえへん。専ら江戸勤めや。藩政の方は家臣団によって行なわれとるけどや。




 「おい、聞いたかい?御家老の大石様率いる47人が吉良邸に討ち入りして吉良の御殿様を殺した事件の芝居が今、江戸で流行っとるらしいで」


 幼馴染と清吉せいきち勝手に入って勝手にしゃべっとる。チビの頃からの付き合いや。遠慮ちゅうもんがない。儂も同じやけど。


 「なんや江戸は暇なんか?」


 「しかも!うちの殿様浅野内匠頭がえらい脚色されてるらしいわ。なんでも『領民思いのお優しい名君』やいう設定らしいで!笑えるわ!」


 「……それ大石様の間違いとちゃう?あの殿様浅野内匠頭はなんもしとらんやろ?」


 そもそも藩政を家老方に丸投げやった殿さんや。なんか功績あったか?

 ……記憶にないな。


 「そんなん江戸のもんが知っとるかいな!大石様の手柄を殿様の手柄にされたんちゃう?」


 「なんやそれ。大体、藩の取り潰しなんぞ珍しいもない。ほんの数十年前は養子縁組も認められんで跡継ぎが居んようになった藩が潰されてばっかりやったわ。藩が潰れて浪人が江戸に溢れかえって、そら大変やったちゅう話はこちらにも聞こえてきてたのに……江戸のもんはそんな事も忘れたんか?」

 

 「火事と喧嘩は江戸の花、とまでゆうくらいや。気にもし取らんのやろ。芝居の中ではうちら領民が殿様の切腹で嘆き悲しんで赤穂の武士たちと籠城しようと考えとった、ちゅうもんもあるで」


 「……それとちゃうか?藩民の中には密かに喜んどった奴らもおるやろ?なんでも御家断絶で赤飯炊いて喜んだとかなんとか……」


 「ああ、それな。藩から金借り取った奴は大半が棒引きされたちゅう話やから……借金しとった奴らは赤飯炊いて万歳三唱しとったかもな」


 「利子が半端なかったってやつか。取り立てもそら厳しかったちゅう話やから無理ないわな」


 「その借金も元を正せば赤穂の税収が厳し過ぎたせいや。何に金をつぎ込んどったんかは知らんが、ぼったくりもええ処やったで!高利貸しも顔真っ青にしとったわ」


 笑えん話や。

 阿漕あこぎなヤクザもんよりも質悪かったわ。

 城務めによっぽど算術に長けとるもんがおったんやろな。上手い事考えて張った。


 「あれや。お殿さんが武器やら仰山ぎょうさん買い込んだせいやわ。軍事費がバカにならんかった言うやないの」


 「まったく、アホみたいな話やな。この太平の世に武器買い込んで。何処と戦争でもするちゅうんかいな?」


 「殿様の趣味だったらしいわ。『武士たる者、何時如何なるときでも戦える準備を怠ってはならん』ゆうてな」


 「長次郎、お前えらい詳しいな」


 「うちの娘が昔家老屋敷かろうやしき奉公ほうこうしとったからな。情報が集まりやすいんよ」

 

 「そういやそうやった!お玉ちゃん元気しとるんか?」


 「今は袋問屋ふくろどんやで商売と子育てにてんやわんやしとるわ」


 「はははっ。お玉ちゃん器量良しやったからな。奉公に出す聞いた時は、御武家さんに見初められるんやないか、って噂されとったで!」


 「アホいいなさんな」


 「いや~~。立派な駕籠かごが一遍長次郎んとこの呉服屋で止まった事があったやろ。てっきり噂がホンマになったんかと思っとったのにその三ヶ月後には袋問屋のせがれとの祝言や。あれにはビックリしたわ」


 清吉の言葉に胸が飛び跳ねるかと思うた。

 十年以上も前の事や。

 まさか清吉が覚えとるとは……いや、意外と鋭い奴や。なんか気になったんかもしれん。


 「……うちはお城に反物を献上しとったさかいな。その関係や。娘にしたって元々として奉公に出しとっただけやしな。御家老さんのとこやったらになる思うたんや」


 「なんや、詰まらんな。お玉ちゃん位の別嬪さんやったらお殿様の御側室にもなれるんと違うか、って皆ゆうてたんやで」


 「そら、期待にそえんですまんな」


 「けど、そうならんで良かったわ。お武家さんに見初められてもお殿さんの御側室になっても今頃寡婦や。大石様に従って仇討ちに加わってみ、息子やったら島流しか出家の二択やで?それやったら儲かっとる袋問屋の倅の嫁さんの方がなんぼかええわ」


 「……人生分からんもんやな」


 「ほんまや。まさか赤穂藩が取り潰されるとは夢にも思わなんだわ」


 「潰された藩は大変や言うが、民は逞しいもんやで?特に商人は潰された事を売りにして儲けとる」


 「はははっ。困るんはお武家さんだけや。藩札が塵クズになるんは痛いけどな」


 「それでも六割戻ってきただけマシや」

 

 「まさに大石様、様様やな!」


 「大石様なら他に士官先もあったろうに……後先考えん若いもんや伝手の無いもん達の面倒を最後までみなさったな……」


 「ああ。立派な方やったわ。『昼行燈家老』の名前は返上やな!」


 「能ある鷹は爪を隠す、言うけど……あんお人ほど綺麗に隠した人も稀やったな」


 「そういや、殿様は昔の才に嫉妬して悪評流したり村八分にしたりして城から追い出そうとしとった話があったな。いつの間にか聞かんようになったけど……結局、あれどうなったんや?」


 「はて?あったか?そんな話?」


 「あったあった!何処その家老の御子息にえろう嫌がらせしとったやないか!どこやったけ……?」


 「昔過ぎて忘れたわ。ほんな事より、江戸が赤穂浪人を題材にした芝居が人気なんやろ?うちらでもそれに乗っかって一儲けせな」


 「ははははっ!長次郎さんのゆう通りや!」


 清吉に動揺を悟られんよう努めて冷静に振る舞った。

 ほんまに人は見かけによらんわ。

 流石、一代で御店おたなをデカくしただけの事はある。嗅覚が鋭すぎるわ。お陰でこっちの心臓がもたん。

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