第14話側用人・木下義郎8

 御公儀の吉良殿に対する仕打ちはあまりにも惨い。

 実の孫であり吉良家の跡取りにすべく上杉家から養子に迎えた義周殿は、義父であり実の祖父を討たれた上に領地まで奪われた!

 


 「浪人の身である赤穂浪士たちに江戸屋敷の侵入を許した挙句、御当主の吉良上野介を討ち取らせてしまうとは武士として情けないかぎりである。そのような不届き者に吉良家を継ぐ資格なし。罰として領地没収といたす!」


 

 領地を没収された義周殿は、公儀の命を受けて信濃高島藩主・諏訪忠虎にお預けとされた。随行できる家臣は僅か二人のみという少なさ。

 これでは罪人扱いではないか!


 御公儀は民衆の不満のはけ口として吉良家を利用したのだ!

 落ちた人気回復と権威を高めるためだけに民衆が声高に訴えるまま吉良家を悪役に仕立て上げたのだ!

 そうに違いない!

 若輩で新参者の私の訴えなど通るはずもなく……吉良家は没落した。



 

 「木下殿、それがしはまだ諦めてはおりません。いつの日か吉良家を再興してみせます。国元の民も帰りを何時までも待っていると言ってくれましたから」

 

 江戸を離れる祭、義周殿は私に向かって穏やかに宣言なさった。

 文武両道の義周殿なら立派な吉良家の当主になると皆が楽しみにしていた若者である。

 それなのに……。


 義周殿との江戸での別れがまさか今生の別れになるなどこの時は想像もしていなかった。

 三年後、義周殿は21歳の若さで命を落とす。

 彼の死によって吉良家は断絶となってしまうのである。

 



 後味悪く終わった事件だ。

 もっとも、江戸城下では赤穂浪人を題材にした演目が日夜上演されている。

 その中の彼らはまるで英雄だ。


 何が忠義の武士だ!

 何も知らぬ者達が!


 こちらは嫌でも耳に入って来た。

 切腹を申し渡された赤穂浪人たちの混乱ぶりを。

 奴らは初めから死ぬつもりなどなかったのだ!

 落ち着いていたのは筆頭家老の大石内蔵助や数名の者だけだったらしい。

 死ぬ覚悟もなくあのような大それた事をしでかしたのか!と怒りに震えそうになったものだ。



 彼らの遺児たちにしてもそうだ。

 男子19人の遠島行きが決定したが、15歳までは親元で暮らしが許された。既に15歳を過ぎていた4人が遠島行きになったが他の15人は親類御預けの身。それだけでも十分過ぎる恩赦だ。刑罰に処するには年齢が足りなかっただけでいずれ遠島での刑に処される憐れな身の上だと同情する輩が後を絶たないが、そんなもの出家してしまえば無効になるではないか!

 

 武家とはえ一人の親。誰が好き好んで父親の罪を子供に償わせたいと思うものか!

 

 私の考えは的中した。

 残された遺児たちの母親を始めとした親族縁者は子供達を次々と出家させた。僧侶になってしまえば遠島行きを免れるのである。迷う者は一人もいなかった。遠島行きは最初の4名だけ。以後、誰一人として遠島に赴くことはなかった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る