人生の無駄は一人旅の醍醐味

 大学生協の職員さんたちに挨拶を済ませた後、僕は弘前学院前駅から中央弘前駅に移動し、下土手町のジュンク堂中三店で本を読んでいた。

 ここは、大学時代に授業がつまらなくて抜け出したときの逃避先の一つだった。医学部のある本町キャンパスと僕の所属していた学部がある文京キャンパスの中心にあるこの書店は、大学生向けのアカデミックな品揃えで、時間をつぶすのに最高すぎた。そして他学部の友達と話をするために、教育学や心理学、物理などの専門書を読み漁るのに便利だった。

 総合大学なんだからと僕は自分に言い訳し、広く浅く好奇心を満たしていた。

 そして自分の勉強に煮詰まったときの逃避先を用意してくれているこの弘前に、僕は救われていた。特に、選択必修科目の簿記システムⅠに三年連続落単した時は、ここに通い詰めだった。

 気になる本を一通り座り読みして、僕はエレベータで地下一階に降りた。ジュンク堂の入っているデパート、中三のフードコートには、中みそというラーメン屋がある。ここの味噌ラーメンは野菜がたっぷり入っていて、僕の貴重な野菜の摂取場所となっていた。今日は華心で腹いっぱい唐揚げを食べたので、こちらはスルーする。めちゃくちゃ美味いけど、今、僕のお腹とお財布には厳しいので、泣く泣く諦めた。


 地下一階のドアから出ると、目の前を土淵川つちぶちがわが流れている。ここから橋の下を通って道なりに行けば、中央弘前駅に着く。

 丁度3時だし、このままホテルにチェックインしても良かった。しかし僕は川にかかる蓬莱橋の下で一時間ほど、壁と、川で流されている鳥を見ていた。

 この場所は冬になると壁から漏れ出した水分が凍って、小さな鍾乳洞のようになる。このあたりは学生時代の散歩コースだったから、よく授業を抜け出してきていた。真面目に授業を受けている同期と、バイトに明け暮れている学生、そして蓬莱橋の下で、川と鳥を見ている僕。一見、僕だけ何も得ていないように見えるけれども、実は僕が一番豊かな人生を送っているという自負がある。

 川に流される鳥を、小一時間眺めることが、僕にとっての豊かな人生だった。


 有意義な時間を過ごして満足したので、僕は昨日泊まったホテルにチェックインし、財布とスマホだけを持って外に出た。

 チェックインするときに、お姉さんにまた来たのかという目で「昨日も泊まられましたか」と聞かれた。なんと連泊手続きをしてもらい、宿泊料が500円安くなった。


 ホテルから出てしまうと、特にやることもなかった。

 大学時代の知り合いは皆、県外に出ていってしまっている。そもそも事前に告知していなかったので、僕が弘前に来ていることを知っている人なんて数えるほどしかいない。そして、飲み屋が開くまではまだ時間がある。

 だから僕は無駄をすることにした。とりあえず大学生時代に歩いた事がある散歩コースをもう一度歩いて、あの頃を思い出そう。

 下土手町から上土手町に向かって歩くと、大学時代にお世話になった店がいくつもシャッターを閉じており悲しくなった。弘前中央広場で食べた、何の変哲もない醤油ラーメン、大学芋。ラノベや漫画の品揃えが充実していた紀伊国屋書店。水曜日で定休日のコーヒー&カレーのかわしま。

 僕が弘前を去って三年間で、僕の思い出は少しずつ更新されていた。


 弘前バスターミナルの真横にあるイトーヨーカドー五階のくまざわ書店で立ち読みし、駅前のヒロロのアニメイトで藤本タツキ先生の短編集を購入した。

 ヒロロから出ると、丁度6時の鐘が鳴った。

 僕は駅前から土手町にある、生協の職員さんに紹介された居酒屋に向かった。


 居酒屋はみちのく銀行の真ん前にあった。十三代目七左右ゑ門に入ると、そこはこざっぱりとした洋風バルだった。内装は最近できたから新しく、木の温もりと明るい照明が清潔さと敷居の低さを演出していた。

 まだ6時過ぎだというのに先客がいた。入ってすぐの個室で呑んでいるのは、農学生命科学部の教授たちだろう。大学生協の理事をしていた先生だ。見知った人ばかりで、マスクの下でほくそ笑んでしまった。

 もしかしたら、大学生協の理事長の伝手で、教授たちのたまり場になっているのかもしれない。意外な顔ぶれに、世間の狭さと縁の深さを感じさせられた。

 店主の元生協職員は、僕の顔を覚えていないようだった。

 まあ、覚えていてもいなくてもどちらでも良かった。今日は僕の感情の赴くまま、何となく寄ってみただけなのだから。一応この後、生協の職員さんから紹介されてきたと、店主に挨拶はした。


 カウンター席は僕だけだった。他は全員団体客のようだ。僕は一人で呑むのが好きだが、誰かと飲む楽しさも、最近になってようやく分かり始めた。

 大学生バイトらしき女給に生絞り桃酒を頼む。すぐに出てきたお酒を片手に、一人で乾杯する。改めてメニューを見ると、どうやら創作料理を出す店らしい。北海道出身の店主こだわりの肴が自慢だとか。なるほどと思い、デカデカと一面で推されていた県産の蛸つくねを頼む。出てきた蛸つくねを何もつけずに食むと、ムチムチとした食感と、蛸の甘みが口いっぱいに広がった。

 お酒が無くなったので、追加で青森の日本酒、豊盃ほうはいを頼む。日本酒は北に行けば行くほど辛く、南の方が甘い味がする。酒は地域の料理とともに発展していったため、濃い味付けが多い青森では、料理に負けないような辛口になったのだろう。以前、ゼミの研究で青森の酒造メーカーを回ったときに、杜氏のみなさんがそんなことを仰っていた気がする。

 確かに甘い蛸と辛口の豊盃が混じり合って、マリアージュを奏でている。

 どうやら生姜醤油をつけると美味しいらしいので、蛸つくねにつけて食べてみる。絶句した。味が締まってまとまる。生姜の香りが蛸の風味を引き立てている。一瞬で、二本の蛸つくねが消失した。


 食べれば食べるほど僕のお腹は空いていく。僕は鶏だしおじやとザンギを注文した。

 ザンギは北海道の鶏の唐揚げだ。昔、北海道出身の友達に、ザンギのことを鶏の唐揚げと言うと、ザンギと何度も訂正されたので、僕もこっちにいる時はザンギと呼んでいた。何が違うのか未だに説明できないが、東北の鶏の唐揚げは、どうしたってザンギだ。

 頼んだザンギは店主の実家の味を再現したらしい。他人の家のレシピはすごく心をくすぐられる。普段食べられない、よその家庭の味だからかもしれない。

 そして今日のMVPは、何と言ってもこの鶏だしおじやだ。卵で閉じられた優しい味わいの中に、鶏の旨味がぎゅっと凝縮してサラサラといくらでも食べられそうだった。肌寒い弘前でTシャツ一枚で頑張る自分にとっては、文字通り身に染みる美味しさだった。


 食後に、青森といえば! な、りんごシャーベット糖蜜かけを食べ、僕は店を出た。一度来ただけでこの店は僕の推しになった。ファンとして、食事はきれいに平らげ、店主に美味しかったと礼をいい、ホテルに向かった。


 カプセルホテルに帰ってきた。温泉に入り、気づけば0時前。そういえば教授たちにお礼のメールを送っていないことを思い出す。

 僕は椅子に座り、パソコンを開いた。

 明日は弘前旅行最終日。短かかったこの旅を思い出しながら、僕は二通、メールを打った。

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