「変わらない」の幸せ

 弘前大学生協本部の階段を上り、事務室の扉を開ける。

 手前の席に座った受付の女性にぎこちない挨拶をすると、部屋の奥にいた女性が僕を見つけた。学生時代にお世話になった職員さんだ。手招きをするように大きく手を振っている。奥に進むと、そこには見知った顔の職員さんたちが机を向き合わせて業務をしていた。彼らは僕を認めると、手を止めてこちらを見やった。久々の来訪者にも視線が優しい。というより、その目は学生時代のときと変わらなかった。

 部屋の中に、僕を受け入れる空気が流れている。事前にアポイント取っていたからかもしれない。

「お前、髪の毛が薄くなったな!」

 僕の姿を見て、女性職員の隣に座っていた専務が立ち上がった。僕の学生時代から生協内で薄毛でいじられていた専務は、嬉しそうに顔をほころばせた。薄毛仲間が増えたからかもしれない。

「本当だ。前髪が薄くなった」

 他の職員さんも遠慮なく僕をいじってくる。斜向かいに座っていた現生協職員の僕の先輩も笑いをこらえているのか肩を震わせている。

「専務と双子コーデにしてみましてね」

「へぇ、双子コーデなんだ」

 女性職員は腹を抱えて笑った。先輩も、こらえきれずに吹き出している。

「もう、このくらいの毛量になると、無いことを悔やむよりも、少なさを活かすことにシフトしてるんで」

 高校生までのようだった僕の前髪は、大学在学時から順調に抜けていき、社会人になってからのストレスで止めを刺されてしまった。今では側頭部を残して荒れ地になっている。隔世遺伝を信じたくはないが、鏡越しに映る僕の姿は、どことなくおじいちゃんに似てきていた。

 僕の発言に、専務も確かにと大きく頷いている。ハゲにはハゲなりの痛みがある。それは、共有できるささやかな痛みである。

「そういう専務もお変わりなく」

「いえ、私は専務を辞めて、今は、普通の人です」

 彼に疑いの目を向けると、彼は名刺を差し出した。何と、専務が専務じゃなくなっていた。確かに、名刺には役職が書かれていなかった。

 そして新しい専務は、東北地方を管轄する東北ブロック支部から派遣されていた四十代の男性が着任していた。新専務は、僕を見ると「お話は聞いております」と、深々と頭を下げた。僕は挨拶代わりに、持ってきた富山の白えびせんべいを専務に渡した。


 職員さんとは、主に近況報告と大学生協内で変わったこと、同期の動向を話した。どうやら僕たちの代はあまり情報が入ってこないらしく、組織内でも謎の代として扱われていた。

 僕がバイトをしながら小説を書いていることを伝えると、職員さんたちは皆「続けてるんだ!」と驚いていた。お世話になった女性の職員さんには、前々から書いていた作品を読んでもらっており、僕が書き続けてると聞いて感慨深そうだった。

 見下されるのではと疑心暗鬼だったが、特に批判されることもなく、僕らしいと皆、笑ってくれた。そうして久しぶりの再会は和やかに終わり、他の店舗で働いている職員さんにも顔を出すように勧められ、僕は部屋を退出した。

 ついでに駅前の生協で買ったものの、コロナ対策でお湯が置いていなくて食べられなかった麺づくりを後輩に渡して、僕は弘前大学生協本部を後にした。


 職員さんに紹介されて向かったのは大学内の本屋だった。

 生協管轄のここは、僕が学生時代に奨学金の多くをつぎ込んだ場所だった。弘前内で随一の課金場所とも言っていい。おかげで、アパートの床が抜けるほど、部屋には書籍が積み上がっていた。販売面積は大手本屋よりも省スペースだったが、書籍、雑誌、CD等、なんでもリクエストすると取り寄せてくれたので、それなりに使いやすかったのだ。

 店の正面ではなく裏口から入ると、目的の人がいた。

 学生時代から世話になった恰幅のいい女性社員。以前は大学内のコンビニ店長をしていたが、二年前に本屋の店長に配置換えになったらしい。聞くと、以前いた職員さんの何人かは東北大学生協に異動になって、弘前大学内の面子もガラリと変わったそうだ。

 彼女も僕との再会を喜んでくれ、変わらない安心感をくれた。

 そして来年、弘前大学生協の六十周年記念に学生委員会のOBOGを集めようとしているらしい。

 本音を言うと今回の旅で、もう一生弘前には来ないつもりだった。しかし教授の最終講義と、生協メンバー合同宴会で来年、また弘前に来ようと思った。

 縁というのは意外としぶとい。切ろうと思っても意外と細い糸一本分で繋がり続けるのかもしれない。

 ここでも、話題は同期の話と近況報告、そして呑みの話になった。

「実は、呑みに行こうと思っていた居酒屋がお休みで行けないんですよね」

「え、どこ?」

「芝田商店です」

 芝田商店は、僕がゼミの教授のもとで汗と涙を流していた頃、ゼミ内研究の一環で日本酒の研究に協力していただいた居酒屋だ。どこにでもある津軽家庭の味を売りにしている店で、店主は気風のいいおばちゃんだった。

 僕たちは日本酒の知識が顧客の消費行動にどのように影響するのかを調べるため、日本酒の解説が書かれたお品書きを置かせてもらい、併せてアンケートにも協力してもらった。それだけではなく、一人では呑みきれない量の地酒をサービスとしてプレゼントしてくれた。僕の大学時代のアルコールは、主に地域の人たちの善意から摂取している。

 柴田商店はホテル近くの下土手町にあるので昨日寄ってみたのだが、丁度狙ったかのように僕の滞在時のみ休業となっていた。僕は泣いた。

「そういえば、ここの職員さんで店やってる人いるんだけど紹介しようか?」

 恨みつらみを職員さんに聞いてもらっていると、飲み屋を紹介してくれた。どうやら以前、生協で店長をしていた人が脱サラして居酒屋を始めたらしい。

 十三代目七左ゑ門というらしく、開店してから更新していたFacebookが滞りがちになっていた。

 生存確認のため、僕はその店に呑みに行くことにした。

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