6月8日(水)

人生が旅だというのなら、僕の終着点はどこだろう

 朝ごはんもそこそこに、チェックアウトの12時まで僕はベッドの上で横になっていた。

 昨日、ホテル近くの中三デパートで買った星野源の『いのちの車窓から』をペラペラとめくりながら、少し憂鬱な気分になる。

 この本の中に、次のような一節があった。


「人生は旅だというが、たしかにそんな気もする。自分の体を機関車に喩えるなら、この車窓は存外面白い」


 行くあてのない旅が好きだ。これは、大学時代から変わっていない。リュックサック一つ分の荷物を背負って、行き先を決めずに自分の感性に従って面白そうなところに赴く。

 僕の人生も概ねそんな感じだった。だから星野源の「人生は旅」という言葉には非常に共感できる。しかしながら、その放浪癖が今、僕自身を苦しめているのも事実だった。


 昨日、教授二人に聞かれた「何のために弘前に来たか」という問いにも、答えられなかった。正直、惣菜さとうはきっかけでしかなく、弘前に来た理由はなんとなく「来なければ人生に後悔しそうだったから」だった。現在取れる最大幸福量の選択をしたに過ぎず、教授二人に会ったのも折角だからという面が強い。

 周りを見ても、計画性を持って会社を辞めたり、人生設計をしている人が多い気がする。「会社 辞めたい」で検索しても、計画性を持って辞めましょう。や、二年目で辞めるのがいい? 三年目で辞めるのがいい? などと区切り区切りで考えなさいと書かれている。

 僕は辛かったから辞めた。自分が壊れる前に辞めた。それだけだ。

 計画が立てられない。先なんて見通せない。今しか見えない。今まで人生の岐路は、その場に立ったときにしか見えなかった。僕はより良い人生を生きたいだけなのだ。後何年すれば、計画を立てて動けるちゃんとした大人になれるだろう。

 そして、これから会いに行く生協の職員さんたちも「ただなんとなく会いに行く」僕を許してくれるだろうか。

 

 中央弘前駅から弘前学院大学前駅まで弘南鉄道で移動し、大学に向かう途中の中華料理屋でランチを食べる。

 華心はなしんと書かれた暖簾をくぐると、カウンターはすでに満席だった。

 ちょうど一人席のテーブルが空いていたので座る。

 この店は僕が大学時代に惣菜さとうと比肩するくらい通った店だ。

 大学時代は自炊もよくしていたが、自分で料理しても結局高くつくというのと、作りすぎた料理を一ヶ月放置して何度も虹色の鍋を量産したので、最終的には外食に落ち着いた。

 華心の名物といえば唐揚げ定食。大学当時は700円払えばデカ盛りの定食が出てきたが、昨今の原材料高騰のあおりを受けたのか、750円になっていた。しかしそれでも安い。僕は唐揚げ定食を注文した。


 頼んで数分して唐揚げ定食がやってきた。

 化学調味料たっぷりで癖のあるスープと大ぶりの唐揚げが五つ、マヨネーズもついている。サイドは沢庵もしくはミニサラダ。そして何よりうれしいのは、ご飯が昔話盛りなところにある。こんもり山ができた米の城は、まさに食欲という魔獣を抑える決戦兵器だった。

 僕は唐揚げを割り箸で持ち上げ、マヨネーズをこれでもかとつける。つけすぎたマヨネーズは米の上にバウンドさせ、余分な油分を落としてヘルシーにした。そのまま一気にかぶりつく。口の中にジューシーな鶏の旨味ともちもちカリカリとした食感が広がる。それだけではない。先程、旨味を移した米の山を崩して頬張り、炭水化物を補給した後、化学調味料マシマシなスープで流し込むと、僕は天国にたどり着いた。

「あー、この定期的に体が求める旨味を凝縮した味! 堪んねえな!」

 油は旨い。それが事実だ。

 これではカロリーの取りすぎではと突っ込まれるかもしれない。

 実際は、唐揚げの下に敷かれたサラダ菜とスープに入ったネギ、そして漬物の沢庵はすべて野菜だ。炭水化物の米と、タンパク質の唐揚げに加え、ちゃんと野菜も取れている。これはバランスの取れた食事と言えるだろう。完璧だ。


 7分ほどで定食を食べ終え、僕は店を出た。約束の時間にはまだ時間がある。

 せっかくなので、大学時代、4年間住んでいたアパートを見に行くことにした。

 

 僕のアパートは家賃25,000円、家具家電付きで1Kの風呂トイレ別の貧乏ぐらしには最高の物件だった。何より最高なのは、朝、始発の弘南鉄道がアパートの真横を通るので、目覚まし時計がいらない(三ヶ月住んだら、慣れて気にしなくなった)のと、春先にはカメムシが大量発生するので一人でも寂しくないということだ。

 ちなみに、カメムシは触ると臭いので、コロコロの粘着部分をくっつけて周りの紙で包み込むように処分する。

 他に印象的なエピソードといえば、僕の卒業間近になって、隣の家のおばあさんが、草むしりの最中、熱中症で事切れていたことだ。すぐに救急車が来て、野次馬が飴に群がる蟻のように集まっていたのを覚えている。


 一人暮らしのアパートには、語り尽くせないほどの思い出がある。


 アパートは以前住んでいたときと変わらず、そこにあった。今はどんな人が暮らしているのだろうか。毎日、電車の振動で起き、春にはカメムシにヤキモキしているのだろうか。


 アパートの前に長くいると、不審者と思われそうだ。そろそろ約束の時間なので、大学生協の事務所に向かうことにする。

 アパートから続く誰も知らない狭い路地の先、コカコーラの自動販売機の前で振り向くと、そこには確かに、僕の生活の跡が残っていた。

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