第35話 地獄の花々

 セレスティアは何が起きたのか、さっぱり理解できなかった。今日は、アルデラン門の前の花壇に水をやり、枯れかけた花を剪定した。


 昨日、一気に植え替えをしたこともあって、腰が悲鳴を上げていた。早めに引き上げて、紅茶でも飲もう。たまには、そんなのんびりした午後を過ごしてもいいじゃないかと思っていた。


 しかし、昨日、見知らぬ男から預かった花が気になっていた。蕾の様子からすると、開花しているかもしれない。どんな花をつけるのか見てみたい。好奇心から広場に寄ってみたのだが──昨日、植えた珍しい花は、確かに咲いていた。いや、咲き過ぎていた。


 一輪だけ植えたはずなのに、昨日セレスティアが苦労して植えた他の花々を押し除け、半径七メートルほどの立派な花壇は黄色い花で埋め尽くされていた。だんだんと人が寄ってきて人だかりができた。初めて見る光景に心惹かれている様子だ。しばし唖然としていると、花壇の前で店を広げている絨毯屋が話しかけてきた。


「セレスティアさん、綺麗だねえ。満開だよ。何て言うお花なんだい?」


「え? もらいものでねえ。詳しいことは私も知らないんだよ」


「へえ、そうなの。セレスティアさんでも知らないなんて。どこか遠い外国の花なのかなあ」


「変なんだよお。昨日、一輪……たった一輪植えただけなのに、こんなになるなんて」


──ガタン


 二人の目の前で、花壇を仕切るために積み上げているレンガが一つ落ちた。セレスティアはレンガをひろい、もとにあった場所にはめようとした。


「やれやれ。この花壇も私とおんなじでガタがきてるんだろうね」


「ハハ、セレスティアさんはまだまだ元気じゃないか」


「いや、今日は腰が痛くてね……」


 セレスティアは固まった。レンガが落ちて歯抜けになった場所から、まるで大男の指のような根が何本も伸びてきた。地を這う蛇のような動きだった。


「これは何かおかしいよ。アンタ、ハサミ!」


「ハサミ?」


「絨毯売ってるんだろ? ハサミくらいあるだろ」


「セレスティアさんの剪定バサミを使いなよ。絨毯が切れなくなるだろ」


 レンガを突き破って、何匹も蛇が蠢いていた。


「これは剪定バサミなんかじゃ切れないよ! はやく‼︎」


「わかった!」


 絨毯屋がハサミを持ってくると、セレスティアはひったくるようにして奪った。そして、根を切ろうと近づくと改めて異様な雰囲気に身震いするような恐怖を味わった。


「これは、普通じゃないよ。何か邪悪なものを感じる。切ってしまわないと大変なことになるよ‼︎」


 セレスティアは動き回る根っこを押さえつけてハサミをあてた。しかし、太くて切れない。それどころかハサミに巻きつき、さらにはセレスティアの体をも飲み込もうとしてくる始末だ。


「セレスティアさん、逃げろ‼︎」絨毯屋が叫んだ。


 異変に気づいた見物客たちは唖然として棒立ちだ。何が起きているのか、にわかには理解できない様子だ。セレスティアはなんとか根っこの襲撃をかわしたが、足首に巻きつかれた。


「ああ!」短い悲鳴が広場に響く。


 セレスティアは足をとられ、黄色い花畑へ引きずりこまれようとしている。絨毯屋が駆け寄り、セレスティアの体を引っ張る。


「みんな手を貸してくれ! 頼む!」絨毯屋の一言で我に返った見物客たちも加わり、まるで綱引きのように大勢でセレスティアを引っ張り返すが──


「ぎゃああああ」目を見開いたままセレスティアは黄色い花々の中に消えていった。


「セレスティアさん! だ、大丈夫かい‼︎」絨毯屋が叫ぶ。


 と……


 黄色い花の中から何事もなかったようにセレスティアはむくっと起き上がった。


「無事だぞ!」


「よかった!」


 その場にいた全員がホッと胸を撫で下ろした。しかし、セレスティアは口を開けたままよだれを垂れ流し、目は焦点が合っていない。


「ぐゅるうるる」


 息が漏れているかのような微かな唸り声が聞こえる。


「……セレスティアさん?」


 セレスティアはゆっくりと絨毯屋に近づくと、いきなりハサミをその首に突き立てた。


「うわぁああ‼︎」まるで水脈を探りあてた時のように、絨毯屋の首から血が噴き出した。


 さらに何度も何度も、ハサミを絨毯屋の体に突き立てた。セレスティアの顔は返り血でおぞましく染まった。


 広場が悲鳴に包まれる。


 その後ろで花壇のレンガが全て崩れた。無数の蛇は花壇を破壊し、広場の石畳へと侵食し始めた。まるで意志を持って街を侵略しようとしているモンスターのように逃げ惑う人々に絡みつき、飲み込む。そして、混乱状態に陥る中、風が吹いた。この時期に東の山脈から吹き下ろされる湿った風だ。


 それは、黄色い花々を揺らした。花粉が風に乗って、宙を舞う。太陽に照らされ、キラキラと光る。瞬く間に広場全体に降り注いだ。


 逃げ惑っていた人々の動きが止まる。一瞬の静寂ののち、殺し合いが始まった。屈強な男が年寄りを殺し、年寄りは年寄りを狙い、女は子供を殺し、倒れたものには追い討ちをかけるように、人が群がった。


 その様は地獄そのものだった。

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