第34話 地下街の医者
エレメナは地下街に向かった。ロマが地下街に逃げ込んだ時に治療したという医者・プレイラル・マディルに会うためだ。
マディルは診察中らしく、ベッドで中年の男が虚な目をして横になっていた。患者だというが、エレメナはそれを信じなかった。中年男は幸せそうに顔を綻ばせていたからだ。
「マディルさん、あなたがロマから仕入れていたという薬を見せてください」
「もうないよ」
「ウソが下手ですね。これでしょう?」エレメナは患者の枕元にある黄色い粉の入った器を取り上げた。
「さわるな! それは高価な薬なんだ‼︎」マディルは素早くエレメナの手から器を奪いかえした。
「なぜ、そんなに慌てるんです?」
「慌ててなどいないさ」
「その薬はどんな病に処方するんです?」
「それは……その……ぜ、全部だ。万病に効くんだよ。魔法の薬さ。どんな治療を試してもダメだった患者でもたちまち楽になるんだ」
「じゃ、ワシももらえるかの?」エレメナの背後からひょっこり顔を出したのは地下街の頭領、エレメナの祖父だ。マディルがしらばっくれるとふんだエレメナが連れてきていたのだ。
「頭領……どうして……」マディルの顔つきが変わった。
「そんな薬があるんなら、なんでワシに教えてくれないんか? ワシはなあ、ずうっと腰痛に悩まされておるんじゃ。はよ、くれ。その魔法の薬とやらをの。ほれ、はよ」頭領はマディルに向かって手を差し出した。
マディルは目を見開いたまま突っ立っている。
「はよくれ、マディルよ。お前がこうして診療所を開業できているのは、ワシが許可証を出しておるからだということを忘れたかの?」
「マディルさん、どうしたの? 早くおじいちゃんに薬を渡して!」
「畜生! 分かった‼︎ そうだ、その粉は麻薬の一種だよ」マディルは肩を落として白状した。
「バカモンが‼︎ なんてことをしとるんじゃ、お前は‼︎」
「マディルさん、その粉は黄色い花から生成したものですね?」
「そうだよ。リグル草という高山植物が大元だ」
「これね」エレメナはベランダに置いてある黄色い花が溢れんばかりに入ったカゴを指差した。
「大量に出る花粉を集めるんだ。それが一番効く。あとは、花びらを乾燥させてすり潰してもいい。花粉ほどじゃあないが、十分だ」
「これをロマから仕入れていたんですね?」
「ロマじゃない」
「え? ……どういうことです?」
「だから、リグル草を売りに来るのはロマじゃないって言ってるんだ! ロマは治療に来ただけだ。ただの患者だよ」
「じゃ、ロマは薬売りだって言っていたのは……」
「……嘘だよ。俺はあいつにその一回しか会っていない」
エレメナは耳を疑った。ロマが麻薬の売人でないとすれば全てが崩れる。タッカーの宿屋を襲った火事は麻薬絡みの事件というのは自分の妄想の産物だったのか……。
いや、そんなはずはない! エレメナの脳裏にネイピアの顔が浮かんだ。
「その言葉は信じられません。それならばなぜ、あなたはロマの治療を引き受けたんです? 地上からの人間をそんなに簡単に受け入れるはずがありませんよね? ロマだってそんなことは知っていたでしょう。それなのにわざわざ危険を犯して地下街に治療に来るはずがないでしょう?」エレメナは詰め寄った。
「……知り合いの紹介だよ。だから、断れなかった……」
「知り合い? その人が麻薬を売りに来ていたんですか?」
「ああ、そうだ」
「名前は?」
「知らない」
「バカモンが‼︎ この期に及んで隠して何になる‼︎ どうせお前は処罰される。重い罪じゃろう。医師免許剥奪どころじゃすまんぞ!」頭領が一括した。
「わかってますって、そんなこと! 本当なんですよ、頭領! 地上の人間ってことしか知らないんですよ。信じてください‼︎」
「拷問にかけるしかないのう」頭領は厳しい目で言った。
「エー‼︎」マディルは土下座した「勘弁してください! 本当なんです‼︎ お願いします‼︎」
「おじいちゃん、拷問はやめて。多分、マディルさんは本当に知らないのよ。こんな取り引きしていて本名を名乗るとも思えない」
「そんなもんかのう。ちょっと何枚か爪の皮を剥げばすぐに……」
「やめて。そんな前時代的なことをやっていたら、余計にドレア人の評判が悪くなる。ねえ、マディルさん、その人の特徴を教えてもらえますか?」
「えっと……背がかなり高くて……まあまあ男前で……年はけっこういってたな」
「ワシと同じくらいか?」
「もうちょっと若かったような……」
「じゃ、六十歳くらいかのう。ほかには?」
「……」
「釘打ちというやり方もあるぞ。ワシが若い頃はまだそういう拷問があってのう。手足に釘を打ち付けて戸板に貼り付けにするんじゃ。そして、地下街の広場に放置して……ふひひ」頭領は意地悪そうな顔で言った。
「おじいちゃんってば!」
エレメナは半ば呆れていた。頭領はこの状況を完全に楽しんでいる様子だ。この年寄りはたまにSっ気を発揮して喜ぶ癖がある。
「まあまあ痛いらしいが、心配するな。死にはせんよ、アッハッハ」
「まってください! 何か思い出しますから……えっと……えっと……あ、そうだ……」
その後にマディルが続けた言葉に、エレメナは衝撃を受けていた。エレメナの脳裏に浮かんだ人間がそうだとするならば、この事件は全く別の顔を見せる。とてもじゃないが信じられない。天地がひっくり返るようなことなのだ。
次なる目的地は決まった。地上に戻ったエレメナはストラナ広場を横切って南へ向かった。
広場の花壇には黄色い花が埋め尽くすようにびっしり咲いており、多くの見物客が集まっていた。いつもならほんの些細な変化でも見逃さないエレメナだったが、事件のことで頭がいっぱいで全く気がつかなかった。
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