第20話 ネイピアの帰還
翌朝、ラブローはベクトールの遺体発見の一報を巡察隊の詰所に入れた。当然、ネイピアを見つけたことは言わず、ネイピアの捜索中にたまたま発見したという体をとった。
ビールズは、調査隊を発見現場に送ると共に、今度はすぐに新聞社に情報を流すよう指示した。新聞社はベクトールの名を公表し、放火犯を取り押さえようとして命を落とした英雄として扱った。
先日の報道で衛兵が放火魔だと考えていた大半の住民は一転して、ベクトールを称えた。彼なしでは、被害はより甚大であったであろうと。ビールズの狙いはまんまと成功した。
そして、ネイピアの捜索には衛兵から借りてきた人員数十名が増員されることになった。捜索の中心はトロヤン川流域から街へと移っていた。
ビールズはネイピアは生きていてベルメルンの街に潜伏していると考えていた。軍紀を犯した者には鉄槌を下す。その厳しさこそが軍の統率に必要なものだという信念が巡察隊隊長の胸にあった。
「くっせえ。チーズ売り以外の選択肢はねえのかよ」
一人のチーズ売りが荷車を引きながら、いつものように賑わうストラナ広場を歩いていた。変装したネイピアである。ラブローの力を借り、ベルメルンに戻ったのだ。自警団長ジューゴ・バン・マルディナードに会うためだ。
ネイピアの思惑はこうだ。エレメナが書いた新聞記事を読んだ王が街灯を税金で運営するという勅令を出す。その事実を手土産にジューゴを訪ね、交換条件としてロマに関する情報を聞き出すのだ。しかし、肝心の勅令はまだ出ていない。勅令が出れば広場の掲示板に貼り出されるのだが……
さっきから巡察隊や衛兵と何度もすれ違うが、フードを深く被っていることもあって全く気づかれない。荷車の横に貼り付けた看板を見れば誰もがチーズ売りと信じて疑わないだろう。ネイピアは「チョロいもんよ」とタカをくくっていたが──
「おい」と高圧的な声に呼び止められた。
「はい、なんでしょう」
ネイピアが振り返ると、そこにいたのはメイレレス中尉だ。背後に取り巻きの隊員たちを数名引き連れている。何かにつけて自分に楯突く嫌味な男、最も自分を地獄に突き落としたがっている男に出くわすとは。ネイピアは自分の運のなさを嘆いた。
「一つよこせ。いくらだ」メイレレスが言った。
ネイピアはホッと胸を撫で下ろした。メイレレスは自分に気づいていないようだ。
「おい、いくらだと聞いている」メイレレスが苛立ちながら聞いてきた。
「え? えーっと……十ステアになります」ネイピアは甲高く声色をつくって答えた。
「ちょっと待て」取り巻きの一人が言った。「いつもは五ステアだぞ。メイレレス中尉、この野郎ぼったくろうとしてますよ」
「おい、チーズ売り。本当か?」メイレレスが睨みつけてきた。
「い……いまはちょっと手に入りにくうこざいまして。でも、いつも街を守ってくださっている皆さんだ。特別に五ステアで結構でございます」
ネイピアは伏し目がちにして顔をなるべく見せないようにしていた。しかし、ネイピアを見て訝しんでいる様子だった。
「お前、いつものチーズ売りじゃないな? こんなにガタイがいい男じゃなかったはずだ」取り巻きの一人が言った。
取り巻き連中にザワザワした空気が流れ始めた。ネイピアは袖の下に隠していた短剣をバレないように握った。そしてフードの下からチラリと見て改めて人数を数えた。メイレレスを含めて全部で七人。まともにやりあっては敵わないだろう。
「フードをとれよ、イヒヒ」メイレレスが蛇のような目で笑った。
「私は皮膚病でしてね。お日様に肌をさらすことができないのですよ。どうかご勘弁を」
「小芝居はいいからとれよ、ネイピア大尉」メイレレスは冷たく言い放った。
「バレてちゃしょうがねえな」
ネイピアはフードをとって顔を出すと、短剣を構えた。
「やっぱり生きてたんだなあ。実に感慨深いですよ、ネイピア大尉。魚のエサになってくれちゃ、つまんないですからねえ」
「おかげさまでこの通り、ピンピンしてるよ」
「さあこの絶対絶命のピンチをどう乗り越えますかぁ? 戦争の英雄さん。ここは戦場とは勝手が違いますよぉ〜」メイレレスのネチっこい言い回しが耳にこびりつく。
はっきり言ってネイピアはノープランだった。戦場の鉄則からすると、追い詰められた時はまず敵の頭の首を狙え、だ。しかし、ネイピアにはメイレレスを殺すつもりなど毛頭ない。いかにメイレレスと言えど同じボミラールル軍の軍人だ。仲間どうしで殺し合うなど最も愚かな行為だ。
──どうすれば……
考えがまとまらないうちに、取り巻き連中が斬りかかってきた。反射的にかわすネイピア。見事にメイレレス以外の六人の斬撃を全て受け流した。勢いのままに走り出すと目の前にはメイレレス。距離は三メートル。逆手に持った短剣を振りかぶる。しかし、この期に及んでもネイピアの思考はふわふわしていた。
メイレレスを斬らずに立ち止まれば、背後の六人が体勢を整えて襲いかかってくる。今度こそ息の根を止められるだろう。足を止めることはできない。となるとやはりメイレレスを斬るしかないのだ。
ネイピアは短剣を握る手に力を込めた。しかし……
「?」
メイレレスは勢いよく向かってくるネイピアに恐れおののき、目を見開いたまま固まっていた。
ネイピアは一瞬にして悟った。このメイレレスという男が真の軍人ではないことに。その姿は初めて戦場に出て右も左も分からず震えている新兵を思い起こさせた。そして、そういう腰の引けたヤツほど早く死んでいくのが戦場だ。失った部下の顔がよぎる。いつの間にか立ち止まり戦意を失っていた。
「フハハ、腰抜け野郎め。お前ら、さっさとやっちまえよぉ〜」勢いを取り戻したメイレレスが取り巻き連中に指示を出した。
「はい!」六本の剣がネイピアに向かう。
──ここまでか。
ネイピアが短剣を捨てて降伏しようとした瞬間──
ヒヒヒヒーン!
いななきと共に暴れ馬が乱入し、取り巻き連中は腰を抜かした。馬は気が立っている様子で、近くにいると蹴り上げられそうだ。
「なななな、なんなんだ、この馬はぁ〜! ぶっ殺せぇ〜」口だけは威勢がいいメイレレスだったが、いつの間にか遠くに避難していた。
ネイピアが馬のやってきた方向を確認すると、そこにはジューゴがいて手招きしていた。
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「助かったよ、感謝するぜ、おっさん」
「感謝? んなもんいらねえ。俺は広場につないであった馬の尻を叩いただけだ」
「じゃ、借りはねえってことでいいんだな?」
「う……やっぱり感謝しろ。これは貸しだ。いつか返してもらう」
「そう。それでいい。じゃねえと俺も気持ちわりいもんな」
ストラナ広場から伸びる迷路のような路地裏の突き当たりでネイピアとジューゴは座っていた。生活音は聞こえてくるが人の気配がない。都会のデッドスポットのような場所だ。
「馬の持ち主は?」ネイピアが尋ねた。
「心配すんな。ちゃんと話は通してある。靴屋のオヤジでこの俺にたんまりと借りがあるんだ」
「そうか。で、何で俺が広場にいるって分かったんだ?」
「不審な野郎が広場でチーズ売ってるって聞いてな。まあ、お前だろうと思って行ってみたら、予想通りってやつだ」
「おかしい。完璧な変装なのに」
「バカか。そんなガタイのいいチーズ売りがどこにいるよ」
「チェ、俺を囲んでた隊員の一人もそんなこと言ってたわ」
「ついてこい、ムキムキ坊や」
「はいはい。俺はムキムキ坊やですよ」
ジューゴは立ち上がると路地裏の迷路を進み始めた。ネイピアはすぐ後ろを歩く。
「自警団は火事の直後からロマの情報を集めている」ジューゴが言った。
「ケッ、知ってるよ。その情報とやらを教えていただけたら苦労はしないんですがねえ」
「誰が教えないと言った」
「え? 教えてくれるの?」
「ああ」
「でも、まだ勅令は……」
「お前が新聞に働きかけて記事を載せたのは知っている。目の付け所はいい。認めてやるよ、ムキムキ坊や。王もきっと記事を読んで状況を理解しただろう。でもな、それだけで勅令が出るほど甘くねえんだよ。経験上、俺はそう思ってる」
「じゃ、なんで?」
「お前がお尋ね者だからさ。巡察隊の敵は、俺たちの味方。単純なことだ」
「別に俺は巡察隊の敵じゃねえし、お前らの仲間でもねえけど」
「仲間とは言ってねえ。誰がお前なんか」
「俺だって願い下げだ」
「とにかく俺は自警団長としてこの件に関してはお前を信用してもいいと判断した。それ以上でもそれ以下でもねえ」
「フン、ありがてえこった」
「で、情報なんだが」
「おう、聞かせてくれ」
「ない」
「はあ?」
「情報はないと言ってるんだ」
「おっさん、ふざけんなよ!」
「ふざけてなどいない。自警団の総力を上げて情報を集めたが、本当にロマについては何も出ないんだ」
「ロマは十中八九まだベルメルンに潜んでいる。匿うやつがいれば、何か不審な動きは出るはずだ。それもないのか?」
「ああ、そうだ」
「えー! マジかよ。はあ……何のために俺は……」
「やっぱりバカだな。ムキムキし過ぎて、頭も筋肉でできてるんじゃねえのか?」
「うっせーな! 何かあるんならさっさと教えろよ」
「何も出ないってこともまた情報なんだよ」
「どういうことだ?」
「さっきも言ったろ。自警団が総力を上げたって。それでもロマの居場所が分からねえんなら、ロマはいねえってことだ」
「なら、街の外へ逃げたっていうのか? あの怪我で」
「いや、ロマは街の外へは出てねえと思う。ただ、俺たち自警団の情報網は確かだ。ロマが隠れるところはねえ。そして、匿ってるやつもいねえ」
「もったいつけてねえで分かるように話せ」
「自警団の力が及ぶところには、だ」
「ああ? 意味わかんね。自警団の力の及ばねえ場所があるみてえじゃねえか?」
「あるんだよ、一箇所だけ」
「どこだ?」
「ロマはそこにいる」そう言うとジューゴは高い煙突のある建物の裏口で立ち止まった。「ここから俺の工場に入れる」
中に入ると竈門があり、火がついていた。そして、その横に並べられた無数の剣の前にジューゴは立った。
「一つ選べ」
「いいのか? おっさん」
「誰がタダでやると言った。後で金を払いに来い」
「チェ、ケチ野郎」
「覚悟しろ。これから行く場所は結構シャレにならんぞ」
「ムキムキ坊やをなめるんじゃねえぞ。伊達にムキムキしてねえからな」
ネイピアは最も長く重そうな剣を手に取って眺めた。
「いい剣だな、おっさん」
「当たり前だ」
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