第21話 孤児院

 背の高い木々の間を風がすり抜け、涼やかな音が聞こえている。木漏れ日が揺れる轍の上をラブローは歩いていた。


 この一本道の突き当たりに目的の場所があった。


 巡察隊の多くはベクトールの遺体のある場所へ向かったが、ラブローはそれには加わらなかった。案内を船頭に頼み、仮病を使って捜査をはずれたのだ。そして今、ネイピアの指示通りに東街区の門から街を出て、徒歩で北へ向かっていた。


 ラブローは初めて訪れる場所に少なからず驚いていた。これが首都の近郊かと驚くほど田舎の景色が広がっていたからだ。このあたりはベルメルンの裏口にあたる。この先には街がなく、果ては険しくそそり立つ山脈につながるだけだから人流がほぼないのだ。


 農家がぽつんぽつんと建っており、煙突からはのんびりと煙があがっている。近くで鶏の鳴き声も聞こえている。道の真ん中に農機具が放り出されていたり、崩れかけの納屋がそのまま放置されていたり。雑然としていて、都会の洗練された空気とは程遠いが確かに人の生活の匂いがした。


 ラブローの故郷の景色も大差ない。自分にもこんな暮らしをする選択肢があったのかもしれないな、などと考えながら歩いていくと、大きな門とその向こうに建つシンプルな二階建ての煉瓦造りの大きな建物が見えてきた。

ラブローの住む巡察隊の寄宿舎よりも大きいかもしれない。


 門は開いており、そのまま中へと入ると子供たちが元気な声が聞こえて来た。広い庭で駆け回ったり、寝転んだり、思い思いの遊びに興じていた。ラブローは子供たちの表情の明るさに自分の心が洗われるようだった。ふと、ラブローの目に留まったのは奥にある花畑だ。一際目を引く青い花が満開を迎えているようだ。


 数人の女の子たちが集まって、花に水をやっているところにラブローは足を運んだ。スミレかリンドウかと思っていた花は、近くで見るとまったく別物で珍しい形をした見たこともない花だった。


「何ちゅう名前の花なんかえ?」女の子たちに聞いてみた。


「知らないの」


「そうか、でもとっても綺麗やん」


「うん、香りもとってもいいの」


 その女の子は花に顔を近づけて匂いを嗅ぐと、笑顔になった。ラブローも女の子に倣って、そうすると確かに甘酸っぱい果実のような香りがした。


 花畑の後ろには雪化粧した山脈がそびえている。壮観であり、心が和む景色だ。


 ラブローは他の街の孤児院も知っているが、どんよりと暗い空気が支配していたのとは大違いだ。この環境なら親のいない子供──見捨てられた者が大半だというが──でも、心穏やかに暮らせる気がした。


 ベクトールもこの景色を見ながら、この空気を胸いっぱいに吸いながら少年時代を過ごしたのだろう。


「こんにちは。何かご用で?」


 ちょうど玄関から出てきた修道女が声をかけてきた。年の頃は、ラブローより少し上といったところか。


「どうも。巡察隊のものですが」


「はい。いつもご苦労さまです」


「今日は衛兵のベクトール・マーシュレンさんについてお伺いしたいっち思って来たんやけど。こちらの孤児院にいたっち聞いちょりますが」


「はい、ベクちゃんは七才から十五歳になるまでの八年間、ここで生活していました」


「どんな人やったですか?」


「アハハ、どんな人って、なんだかベクちゃんが死んだみたいですね。今でもよく遊びに来るんですよ。だから、どんな人って……うーん、あのままの人ですよ。お人好しで優しくて、どこか抜けてて愛嬌があって。今ここにいる子たちの面倒もよく見てくれて、いろいろと相談にも乗ってくれてるみたい。子供たちからも慕われてるんじゃないかな」


「あなたもベクトールさんのこと、よく知っちょったんでしょうか?」


「はい。私も元々はここでお世話になっていた孤児ですから。ベクちゃんは私の二歳上でしたから、兄妹みたいにして育ったんですよ」


「ベクトールさんはこちらの来る前は、どうしちょったか聞いちょりますか?」


「そうでしたか」


「ベクちゃんに何かあったんです?」


「……亡くなりました」


「え?」


 笑顔だった女からすうっと表情がなくなった。視線をはずし、唇を噛み締め、空を見上げた。


「亡くなったって死んだってことでしょうか?」


「はい。昨日、トロヤン川の下流で見つかりました」


「どうしてベクちゃんは……死んでしまったんでしょう?」


「それを今、捜査しちょるところなんです。細かなことでもいいんやけど、最近、ベクトールさんに異変ちゅうか、なんか変わったところはなかったでしょうか?」


「……いつも通り……いつも通りです。ここへ来る時は、子供たちにお菓子を買って来てくれて、それを食べながらお花の世話をして……」


「お花?」


「この花壇はベクちゃんと子供たちが作ったんですよ。ベクちゃんが買ってきたお花を植えて」


「この青い花もですか?」


「はい。一番のお気に入りだったみたい。珍しいお花でしょう? どこか外国のものなのかなあなんて、他のシスターとも話していました」


「黄色い花はどうですか? 黄色い花をベクトールさんが育てちょったっちゅうことはないですか?」


「……さあ、黄色い花は見たことないですね」


「そうですか……ベクトールさんはどこで花を買っちょったか、知りませんか?」


「さあ……」


「ロマ……フラーツ・ロマという名前に心あたりはありませんか?」


「ないです……すみません」


「あ、いえ、こちらこそ」


「でも、今ふっと思ったんですが、ベクちゃんは何でお花が好きになったんだろうって。子供のころはお花は好きじゃなかった、というか、お花は嫌いだったと思うんです」


「お花が嫌いとは?」


「いつだったか、ベクちゃんの誕生日にシスターと一緒にお花の首飾りをプレゼントしたんです。今にして思えば、ベクちゃんは男の子ですし、もらっても喜ばないとは思うんですが、それにしても反応が異常でした。いきなり首飾りを引きちぎって、踏みにじったんです。花びら一つ一つが裂けて粉々になるくらい。あの優しいベクちゃんがそんなことするなんて、私びっくりして、泣いて。私、ベクちゃんは花を憎んでいるのかもしれないってその時思ったんです」


「何か花について良くない思い出でもあるんでしょうか?」


「さあ、それは分かりません。聞けませんでしたから」


「ベクトールさんは孤児院に来る前はどちらにおったんでしょうか?」


「どこか北の方の村の出身だったと思いますが……ここに来るような子はみんな何かありますから、お互いのことは聞かないんですよ」


「そうですか」


「でも、院長なら分かると思います。ベクちゃんを引き取ったのも院長ですから」


 ラブローは修道女に礼を言って、孤児院を辞した。大きな手がかりを得たと、興奮していた。


 この事件の鍵は花だ。ロマは花を売り、ベクトールは花を育てていた。今のところ花が二人の唯一の接点だ。

ベクトールがなぜ花にそれほどまでに執着するのか? ネイピアはロマの持っていた黄色い花は麻薬である可能性があると言っていたが、この青い花も……いや、そんな花をベクトールが子供たちの手に届くところで育てていたとは考えにくい。それに、ここにくる前、王立図書館で調べたところ麻薬の指定リストに青い花はなかった。


 麻薬でないとしたら、何なのか? 何かあるはずだ。花がロマとベクトールを結びつけているのは間違いない。なぜかそれだけは自信を持って言える気がした。ラブローの内なる何かが目覚めようとしていた。


 修道女の言う「良くない思い出」も気になる。それが分かれば、事件の全容が見えてくるに違いない。

孤児院の院長からならそのことも聞き出せるかもしれない。


 ラブローは急ぎ足で街へ戻っていった。

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