第17話 反逆のネイピア

 朝からビールズはただならぬ雰囲気を発していた。会議に出席している隊員たちは、顔を下に向けて、そのピンと張り詰めた緊張感にじっと耐えていた。


 ビールズの怒りの源は捜査に進展が見られないことではない。ある新聞記事だった。


 見出しは、「火事の現場から逃げた若者 行方不明の衛兵と同一人物か?」だった。


 ベクトールの名前こそ伏せられているものの、火事当日に行方不明となった経緯、そして衛兵のリーダー的存在だったことなど、ビールズが把握していることと全て一致していた。


 ビールズは朝一番に城の最上階にある近衛師団総帥の部屋に呼ばれ、各隊の執行部の面々と顔を突き合わせた。ベルメルンに駐屯する衛兵は近衛師団所属だ。そして、巡察隊もその中の一部署だ。


 問題はどこから情報が漏れたか、だ。


 元々、ベクトールの一件については情報共有されていたが、近衛師団全体の汚点になる可能性があるとして、緘口令が出されていた。


 衛兵たちにも厳しく指導が行われたのは想像に難くないが、結局、人の口に戸は立てられないということだろう。


 ビールズは当初、その件については人ごとだった。自分が責任をとる立場ではない。しかし、巡察隊をその内緒話の輪に巻き込んだ人物がいる。


 いつも通りドアのすぐ前に立っているラブローだ。


 噂話をラブローが聞きつけて、捜査会議に上げた。その時は軽くあしらったのだが、ビールズは内心、舌打ちしていた。議事録に残るからだ。つまり、今回のように情報漏洩があった場合、巡察隊も疑われる対象となるのだ。


 ラブローという若者は軍人らしからぬ柔らかな物腰で、いろんな方面に顔がきく。本人は気付いていないだろうが、情報を集める才能がある。ビールズはそう評価していた。しかし、残念なことに感情で動くことが多い。組織人として失格なのだ。


 ビールズは新聞を掲げ、怒鳴り散らした。


「捜査会議にあがった情報をよりによってブン屋に売るなんて、言語道断! 俺には犯人が分かってる」


 ビールズは三十人あまりの隊員たちの顔を一人ずつ睨んでいった。これは、規律を守らせるためのパフォーマンスだった。


 ビールズは確信していた。ネイピアの仕業だ。今、自分に睨まれて萎縮している奴らに情報漏洩などできるはずがない。そもそも新聞記者との接触は禁止しており、発覚した際には、減給、降格など厳しい罰則もある。


 そして、ネイピアはこの会議を無断欠席している。


「ネイピアを探せ! 捕らえてここに連れてこい。少々手荒な手を使ってでもいい」


「はい!」


 威勢のいい声が響いた。


 その頃、ネイピアは西街区のアパートの一室のベッドに寝ていた。


 昨夜は飲み過ぎて頭が痛い。サイドテーブルには食べかけのチーズ、床にはワインの空瓶が転がっている。


 慌ただしく階段を駆け上がる音がして、女が入ってきた。


「ネイピア大尉、見てください!」


 ネイピアの寝ているベッドに勢いにまかせて飛び乗り、新聞を掲げたのは、この部屋の主であるエレメナである。


 一面トップにベクトールの件を書いた見出しがあった。


「おう、よかったな、エレメナちゃん。一面じゃねえか」


「当たり前よ。特ダネですからね!」


 エレメナは、興奮を隠しきれない様子で、チーズを一口ほおばった。


「朝から何にも食べてないんです」


「わかった。くせえから近寄るな」


「ネイピア大尉のおかげです! くそったれな同僚を出し抜いてやったわ」


 エレメナはネイピアにキスをしようと顔を近づけた。


「や、やめろ!」


「やめない」エレメナは無邪気にネイピアの口にキスをした。しかし、次の瞬間には我に返ったようで照れた。


「えへへ」


「それはそうと、あれもちゃんと載せてくれたんだろうな?」


「もちろん、交換条件ですから。ほら」


 エレメナが新聞をめくって見せたのは二面の下半分、コラムの部分だ。


 見出しは「点灯しない街灯 暗い夜がベルメルンの犯罪を増長 稼働しているのはわずか三割」


 その中身は「街灯の管理を住民に任せるのではなく、税金での運営を検討すべき」という論旨だ。


「なんでまたこんなことを記事にしたがるんですかねえ。ベルメルンの住人だったら誰だって実情を知っています。それにお役人の方々もね。当たり前過ぎて、本当はニュースとしての価値はゼロなんですけど」


「いいんだよ。このベルメルンで知らない人間が一人いるんだ。おそらくその人がこの事実を知っていればとっくに改善してるはずだ。そして、その人物は新聞をよく読む」


「王ですね」


「そうだ。この記事は王への陳情書だよ」


「なるほど。でも大尉はなぜこんなまわりくどいやり方をするんです?」


「まわりくどいやり方でしか王に伝わらないからさ。直談判できるようなら、とっくにやってるさ。王の外遊に合わせて、と考えてもみたんだが、王が乗る馬車の前に飛び出してみろ。下手すると殺されかねん。そんだけ、王のガードは強固だということだ」


「まあ、それもそうか。一国の王ですからね」


「上に掛け合ったところで、どうせ握り潰される。誰もが変えた方がいいと思っているのに変わらないことってあるだろ?」


「ありすぎて死にそうなほど」


「それは変えたくないやつが存在していて、変えないように邪魔してるからさ。単純なことだ。だからそいつらをすっ飛ばして王にメッセージを届けたのさ」


「王が記事を読んでくれることを祈るのみですね」


「だなあ」


 ネイピアはベッドから起き上がると、身支度を始めた。


「エレメナちゃんともうちょっとじゃれていたいところなんだが、そうもいかなくてね」


「?」


 何やら階下から声が聞こえ、騒々しくなってきた。


「ほうら、もう来やがった。できれば午後からにしてほしかったぜ。たまにはゆっくり寝覚めのコーヒーでも飲んで、かわいい子と優雅な一時を過ごす時間くらいあったって罰はあたらんだろ」


「え? 何なんですか?」


「じゃ、エレメナちゃん、またな」


 ネイピアは窓を開けて半身を乗り出したが、一度、振り返り

「あ、昨日は楽しかったよ。エレメナちゃんも……だろ? かなり酔っ払ってたしな」


「へへん。私にとってはただのビジネスですから」


「そんな女じゃねえよ、エレメナちゃんは。俺は知ってる」


 捨て台詞のように言い残して、ネイピアは窓から屋根によじ登り、去っていった。


「……悪くない。今の言葉、けっこう、悪くない」


 苦笑混じりにエレメナはつぶやいた。


 と、同時に数人の男たちが部屋に乗り込んできた。先頭に立っているのはメイレレス中尉だ。


「巡察隊だ! 大尉、いや……ルーニー・ネイピアはいるか?」


 エレメナは無言で首を振り、微笑んでみせた。


 勝手にクローゼットを開け、ベッドの下を覗き込む巡察隊の男たちには目もくれず、エレメナはネイピアの最後の言葉の余韻に浸っていた。


「おい、女。ネイピアはどこに行った⁉︎ 隠すとお前のためにもならないぞ!」


「今日はお天気がいいでしょう?」


 エレメナは窓の外に広がる青空を見て言った。


「お散歩にでも出かけたんじゃないでしょうか」

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