毒舌少女の誰も傷付けてはいけない午後

しのびかに黒髪の子の泣く音きこゆる

本編




 午後一の数学。




「はい、次の問題ね。今日は十月十日だから十足す十で二十番の……ママ!」




 中沢なかざわ先生が超ド級の呼び間違いをして、一年二組の教室は静まり返った。


 ドン引かれたのではない。

 先生は有名なマザコン、あたい千金せんきんの面白ネタだ。

 ただ、二組にはこんな時まず最初に者がいて、みんなそれを待っている。


 クラスメイトからチラチラ見られている彼女の名は、悠花はるか

 肩までの髪にフサフサの飾りピンがトレードマーク。小柄な体につぶらな瞳と桜色の唇で愛らしい顔だが、この中学一の毒舌の持ち主だ。

 彼女が一度ひとたび毒を吐けば、相手は生徒だろうが教師だろうが笑い者。その切れ味ときたら、校長ですら全校朝会でバッサリやられ、体育館が爆笑のうずに包まれたものだ。


 この絶好ぜっこうの時。

 悠花が先生をどうしょすのか、二組の生徒らは固唾かたずんで見守る。

 彼女はゆったりと笑顔を作り、まんしてその口が――開かれなかった。


「~~~ッ!」


 声にならない悲鳴と共に天をあおぐ悠花に、生徒らも無言のまま混乱。

 先生はこれさいわいと口を開く。


「……間宮まみやね」


 これで授業が再開。

 悠花の元には後ろの席から愛奈まなの書いたメモが差し入れられる。

 二人は親友だ。


『どうしたの?』


 悠花も返事を出す。


『口内炎が痛い!』


 そのメモが回し読みされて、二組の一同は納得した。

 これでは午後のショーは中止だろう。


 教室は落ち着きを取り戻し、悠花は唇をひき結んでだまりこくった。

 ところが、そこに異議いぎを唱える男が一人。


『何する気だ』


 悠花の机に書きつけられたその文句は、隣の席の宮坂みやさかのもの。

 瓜実うりざね顔に几帳きちょうめんに目鼻が並ぶ。クラスで一番背が高く、制服のブレザーを大人みたいに着こなしていた。とにかく真面目で悪口が嫌い。悠花が何か言うたび顔をしかめ、とがめてくることもあった。


 悠花もとがった文字を宮坂の机に書く。


『何って何?』


『急にだまったのは、どうせまたふざけて人を傷つけるつもりだろ』


『そんなわけないでしょ。口内炎が痛いだけ』


『うそだ』


 宮坂は悠花をするどにらんだ。

 黒曜こくようせきのような冷たい光の眼差まなざし。


『お前午前中ベラベラ話してたじゃん』


 少しひるみながらも、悠花は息を細く吐いて整える。


めい推理すいりだ。でも、給食で口の中をかんだとは思わないの?』


『給食食べた後も話すの見たぞ』


 ストーカーかよ、と書きかけて悠花はまた苦しげにうめいた。

 すると宮坂の表情がゆるみ、凛々りりしいまゆが八の字に下がる。


『大丈夫?』


『わかった? 本当に口内炎だから』


 しかし彼も疑り深い。


『なら何でお昼までは話せた?』


 悠花は気難しそうに首を振ってみせる。


『教えない』


『は? ごまかす気か』


『ちがう』


『じゃあ何で』


『信じないから』


 宮坂は前に書いたところを指差した。


『ごまかす気か』


 悠花は溜め息を一つ、シャーペンを一回ノック。


『お昼の後、授業が始まる前に』


 渋々しぶしぶといった様子で机に書きなぐった。


『舌に針が生えてきて、口内炎に刺さって痛いの』


 宮坂はその文字を見て固まる。

 悩んでいるうちに先生に問題を当てられて難なく解答、黒板から戻るとようやく返事した。


『毒舌過ぎて毒針が生えてきたってことか?』


『ひどい!』


『でもそうとしか考えられない』


 彼は真剣しんけんそのもの。

 本当に真剣な顔で、真剣に悠花を心配しているのだ。


 そして、そういうところが悠花が宮坂を好きな理由だったりする。

 ただ、宮坂が悠花を好きなはずないので、その思いを伝えることはないだろうとも思っていた。

 喋れない今日は特に。


 彼女は数秒、優しい彼が違和いわかんいだく寸前まで顔を眺めた。

 それから前書いたところに!を加えて指差す。


『ちがう!』


 宮坂も真似する。


『じゃあ何で!』


『毒を盛られたんだ、給食のリンゴに』


『白雪姫かよ』


 なんてツッコむと、悠花はふふと口元を隠して笑った。

 そのどことなく余裕よゆうのある表情が、平生へいぜい態度たいどとあいまって宮坂には信用ならない。


『舌に針が生えたわりにはよゆうだな?』


『不安不安、この先どうなっちゃうのか』


『針はだんだんのびてたりするのか?』


『とくには。でもその内伸びて枝分かれして口の中から飛び出してさ、イバラになって最後は学校中をおおうかも』


『眠れる森の美女かよ』


 ツッコミに我が意を得たりと彼女はまた微笑む。

 宮坂はムッと肩をいからせた。


『うたがわしいな。舌見せてみろよ』


『いや。私口開けるの好きじゃないんだよね元々』


『毎日大口開けて悪口言いまくってるくせに』


 今度は悠花がムッとする番。


『そんなことない! 歯が見えないようにいつもすごく気をつかってるんだから』


犬歯けんし?』


 そう書かれて彼女は迂闊うかつだったと後悔こうかいする。

 小学生の頃、吸血鬼みたいに鋭い犬歯をバカにされて以来最大のコンプレックスなのだ。


『いいじゃんカッコよくね』


 宮坂は何でもない顔。

 悠花は心の中でピース、でも気取けどられぬよう連れない返事。


『そういう問題じゃないの』


『よくわからんけど、おれは気にしないから見せてみろよ』


 かなり悩んだ後、悠花は答える。


『だめ』


『なぜ』


『見せたくない。でも本当。針が生えて、口内炎が痛くて毒が吐けない』


 陰口かげくちおんなが初めて見せる真剣さに、宮坂もとりあえず信じることにした。


『本当に原因に心当たりはないのか?』


 彼女はすぐ返事をしようとするが、また口元を抑えて痛がり、少しして。


『給食の後、  と話した』


 空欄くうらんはペン先を直接その人物に向けることで示した。

 宮坂は眉をひそめる。


『まだ魔法使いに何かしてるのか?』


 魔法使いと言うのはとある生徒のあだ名、悠花の命名。


 家が貧しく、ノリと喋り方がおかしい小さな女の子。

 初めての英語の時間、教科書を読み上げた彼女の発音がひどくて先生は何度も何度も指導しどうした。が、あまりのくせの強さに結局先生までまともに英語が喋れなくなってしまう。それを見ていた悠花が「まるで魔法の呪文だね」と言い、誰もが笑った。同じことは国語でも社会でも起きて、その度「魔法使いがまたやった」と悠花とその友達がはやし立てる。

 宮坂はずっと彼女らを注意してきて、それは今日もだった。


『委員会のことでれんらくしただけ』


『ならなんで針が?』


『その後魔法にかけられたんだ』


『今度は何の童話だよ』


『当ててみな』


 腕組みする彼女に宮坂は思わず嘆息たんそく


『どうしよもうないやつ。悪口ばっか。人をからかってばっか。そんなことして何が楽しいんだ』


『お前をからかうのは楽しいけど、悪口は楽しくないよ別に』


 意外な答え。


『じゃあ何で!』


『みんなのためだよ』


 宮坂は目を丸くした。


『誰かが下手こいた時、空気がしらけたままだったり、変なイジりだったりすると後に残っちゃうでしょ。だから悠花が一番速く、上手く面白くしてあげてるだけ』


『みんなの為だとして、人を傷つけてる自覚はあるのか?』


『だまってたら他の誰かが必要以上に傷付けちゃうから』


 宮坂は少しうめいてから返事を書く。


『意味不明』


 悠花は鼻先で笑った。


『君にはまだ早かったか』


 宮坂は首をぶんぶん振ってから話をまとめようとする。


『もういいや。本当に毒針が生えてんなら、保けん室行けば』


『いや、そんな大ごとにしなくて大丈夫だから』


『大ごとだろ』


『大丈夫なの』


『なんでだよ。せめて家帰ったら病院は行け』


『だめ。帰ったら家事をしないとお母さんに怒られてしまうから』


『シンデレラかよ』


 ツッコんでも悠花は特に笑わない。


『なんか、そうなの?』


『シンデレラは嫌い。家のこと思い出すから』


 宮坂が謝る間もなく、悠花は続けた。


『お母さんやお父さんはお祖母ちゃんのカイゴで忙しいの。アニキはサボりまくってるのに悠花だけ怒られる』


『今日ぐらいいいだろ。だまって部屋にいれば』


『だめ、悠花がいないと』


 白い横顔にうれいの色が差して、どんどん深まっていく。


『悠花が学校やテレビの誰かの悪口を言って笑わせてないと、ウチの人たちはケンカばっかり。でも、今日はだめかも』


『え?』


『だめなの、文字でも。さっきから、毒を吐こうとすると針が口内炎を刺して』


 最後の方の字は震えていた。


『どうしよう、今日はもう誰も傷付けられない』


 宮坂は少女の白い強張こわばった顔を眺めながら、長考。

 やおら彼女の机にシャーペンを伸ばすと同時にチャイムが鳴った。



 キーンコーンカーンコーン……。







『パントマイムだ!』


 宮坂のアドバイスは単純たんじゅん明快めいかい

 自慢じまんの毒舌がダメなら新しい芸を覚えればいい、と。


 放課後は二組の教室で練習会。

 勉強一筋ひとすじの宮坂と違って悠花にはテニス部の練習があるのだが、今日ばかりは愛奈に頼んで休むと伝えてもらった。


 宮坂は意外と体の使い方が上手く、無いとびらを開けたり無い階段を降りたり多彩たさいな動きを見せる。


『指先まで意識するんだ!』


 そして熱血ねっけつコーチ。

 悠花の演技えんぎを見ては彼女の机に助言を書く、もう二人以外誰もいないのだが。


『これでウケるビジョンが見えないんだけど』


 一方の悠花は冷めている。


『普段毒舌で笑い取ってる奴が無言でパントマイムしたらそれだけで面白いだろ』


 不服ふふくだが一理ある、と彼女は思った。


『まあ毒針見せた方がウケるが』


『だからちがうってば』


 とボヤきつつも悠花は仕方なく練習に従う、ように見せる。

 実際はノリノリだ。

 放課後好きな人と過ごす二人きりの時間、もちろん人生で初めてのこと。


 あまりパントマイムが不出来ふできだとごうやした宮坂が直接手を掴んできたりして、これはちょっと刺激しげきが強すぎて困った。

 なんでこんな変なほど真面目な奴が好きなのか、きっと自分も変なのだろう。


『あーオモロ』


 三度目の休憩きゅうけいで、名残なごりしそうに悠花は書いた。

 季節は秋、日が暮れるのはもう随分早い。


『お前が面白くなってどうすんだよ』


『いいじゃん、そういう魔法なんだから』


 宮坂が首を傾げると、悠花がつらつらと書き始める。


『お昼に明日のりんじ委員会のこと話したら、  が「忙しいから出れんわ」ってさ。いつもそうやってサボるの。でも今日は頭きて、こっちだって大変なんだぞって言ってやったんだ。クラスとか家のこととか色々。そしたら、なんか感心して「みんなを面白くするためにいつもがんばっとるんやね。ほなら今日ぐらいは君を面白くしたるわ」って。その後針が生えた』


『魔法使いが本当に魔法使ったってことか?』


 彼は今にも眉につばを塗り出しそうだが、悠花はニヤニヤ笑うだけ。


『魔法は本当だった。口内炎は痛いけど、誰の悪口も言わないですむから気が楽だ』


 宮坂とこんなに話すこともできたし、とは書かない。

 彼はぶっきらぼうに一言。


『本当なら、魔法使いにはお礼を言っとけよ。あともうイジるのも止めてやれ』


『やだね』


『止めてやれ!』


『なに、もしかして  が好きなの?』


『ちがう、かわいそうなだけだ』


 赤面する彼が可愛くて、でも一方本当に好きだったらどうしようと悠花は少し心配になった。


『本当に?』


『ちがうってば! 誰が好きとかまだわかんねえよ』


 ちょっと安心。

 しかし、宮坂はチラチラとこちらを見て、遠慮えんりょがちに聞いてくる。


『お前にはいたりすんのか?』


 彼女は渾身こんしんの答えを書こうとして、顔を思いっきりしかめた。

 しばらくして、ポツリと。


『ひみつ』


 と、だけ書いた。

 宮坂が何かする前に、悠花は時計を指差す。


『もう帰らなきゃ』


 確かにもうすぐ部活も終わって施錠せじょうされる時間だ。

 宮坂が深く頷くと、西日でくれないの顔に深く暗い影が掛かる。


『おれは机に消しゴム掛けてから帰る、お前の分もやっといてやる』


 二人で帰るのを見られたら勘繰かんぐられる、これは合理的な配慮はいりょ


『じゃあね』


 悠花は手早く鞄に教科書を突っ込むと、教室から出ようとした。

 しかし、後ろから肩をポンと叩かれる。


 振り向くと、宮坂が左手で後ろ髪をきながら立っていた。

 右手にはスマホ。かかげられた画面にはメモ帳アプリ。


『パントマイムとかで困ることがあったら、一応』


 また少し操作して、次にはトークアプリの二次元バーコードが表示されていた。

 ちょうどその時、最後のチャイムが鳴る。

 二人はその音にドキッとして苦笑し合い、それから悠花が自分のスマホを取り出した。



 キーンコーンカーンコーン……。







『人生で一番スベったよ』


 悠花がトークアプリを開いたのは夜更よふけになってから。

 調理や掃除を終え、食事や入浴をまし、宿題をやったらもう十一時過ぎ。

 部屋の灯りを消すとベッドに寝転び、考えに考えた言葉をつづった。


『でもそれが逆にウケてさ。皮肉や悪口の時よりはみんな少しいい笑顔だった。ありがとう、助かった』


 既読きどくがついて、十分後に返事。


臨時りんじ委員会なんて無いんだろ?』


 悠花は自分のおでこに手を当てた。


『机を見てて思い出した、お前と魔法使いの委員会が違うこと。頼まれたのかもしれないけど変だと思って、たまたま下駄箱でお前の親友と会ったから聞いた。そんなの知らないって。お昼に魔法使いの所には行ったけど、それは午前中のことでからかいに行く為だってって』


 三十秒。


『嘘吐き。結局お前は嫌な奴だ。針も俺をバカにする為の嘘だったんだろ』


 悠花はどうしようか少し考えていたが、ふと画面の右上に目をやり、起き上がる。

 言葉ではなく、ビデオ通話を申し込んだ。

 数秒して、宮坂が応じる。


 彼も暗い部屋にいた。

 見えるのはお互いの顔だけ。無表情に見つめ合う。

 やがて、悠花がクスッと笑い、そっと口を開いてチロリと赤い舌を出した。


 宮坂は眼を見開く。


 本当に、舌の上に針が黒々と生えていた。

 それも二本。


 短い針と長い針。

 ちょうど今、重なる。


 十二時のチャイムが鳴り始めた。



 キーンコーンカーンコーン。



 聞いたこともない美しい鐘の音は、確かに彼女の口から鳴っている。

 画面越しの宮坂さえそれを確信していた。


 鐘が鳴り止むと同時に針はポロリと落ちて、どこかに消える。

 悠花は息を深く吸って、喋り始めた。




「あいつは最後に言った。『でも気を付けて、十二時の鐘が鳴ったらこの魔法は解けてしまうんや。明日からまた君は誰かを傷付けるで』と。不思議だった、こっちは宮坂にかまわれているのがうらやましくて突っかかったのに、なんで魔法をかけてくれるのか。お陰で宮坂とたくさん話せて嬉しかったけど、やっぱりこれは仕返しだったんだね。放課後、冗談めかしてこの気持ちを伝えようとした時、痛くてたまらなかった。思いもしなかった、言えば傷付くほど嫌われてたなんて。そんな嫌いな奴にまで親切できるほど優しいなんて。ごめんなさい、それでも貴方あなたを傷付けたい。本当なら一生黙っているつもりだった。でも、この口の内の炎は恋の炎。針で散々突かれて噴き上がっておさえられない。嫌いな奴にも優しくできる貴方が好き。答えは知ってる、ただ聞いて欲しいだけなの! 魔法は解けて、悠花はまた誰かを傷付けてしまうし、貴方はそれを許さない。二つの針はもう交わらない。傷付けてごめん。でも、傷付くのってこんなに辛いんだね。わかっているつもりだった。ごめんねみんな、ごめんね宮坂」



 長い静寂せいじゃくの後、宮坂は口を開いた。


「俺は」


 時刻は十二時三分。

 二つの針は離れていくが、まだひたむきに見つめ合っている。




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毒舌少女の誰も傷付けてはいけない午後 しのびかに黒髪の子の泣く音きこゆる @hailingwang

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