第3話:生け贄



「え、今何と…」


国王の口から出た言葉にアンジェルは耳を疑った。


王城、謁見の間 ――


ヴィオレットが王城から帰ってきて数日後、なぜだかアンジェルは国王に単独で呼び出された。婚約者でなくなった自分はもう王家とは関係ないし、今さら呼び出されるとは思ってもいなかった。それなのに、


「アンジェル嬢、自身が婚約を解消したいが為にヴィオレット嬢を使ってクレールを誘惑させたそうだな」

「…は」

「クレールはそなたの意思を汲んで仕方なくヴィオレット嬢を受け入れたらしいではないか」


いったい何を言い出すんだ。どこからそんな話が出てきたのか、アンジェルは混乱する。


「っ…そんなはずありません!クレール殿下は確かにヴィオレットを愛していると仰いました!」

「それはそなたを守るための虚偽だろう。そなたに唆されたとクレールとヴィオレット嬢、それにセルトン侯爵夫妻からも証言が多々出ている」

「何かの間違いです!私はそんな、」

「まだ言うか」

「っ…」


国王にギロリと睨まれてアンジェルは口を噤むしかなかった。


(何で、こんな目に…)


これが本当に一国を治める国王陛下の言葉なのだろうか。誰一人話が通じる人がいない。自分たちを守るためだけに、何の非もないアンジェルを悪者に仕立てあげている。


「アンジェル・セルトン嬢。そなたには相応の罪状を言い渡す」

「罪、状…?」


恐怖で体が震える。まさかここまで真実をねじ曲げられるとは思ってもみなかった。自分がいったい何をした?この間からそれの繰り返しだ。


「ジラルの塔に棲む魔物の生け贄になってもらう」

「!?」

「そうすれば今回のこと、不問とする」


(不問って何…私が死ぬことで不問ってこと?)


いったい何度絶望を味わえばよいのか。

…しかしそれももう今回で終わりだ。アンジェルは、殺されてしまうのだから。



****



 百年以上も昔のこと、ペルラン王国は隣国のジラルディエールと激しい戦争をした。歴史書によるとジラルディエールの国民は皆不思議な力を持っており、その魔力で人々を欺き卑劣な行為を行ったらしい。しかしそんな魔力にも屈せずペルラン王国が打ち勝ち、ジラルディエールを占領して今に至る。

その戦いで最後まで落とすことができなかったのがジラルの塔と呼ばれた要塞だ。ジラルディエールが陥落する寸前、強大な魔力を持っていた当時のジラルディエール国王が塔に呪いをかけた。それ以来塔には魔物が棲み着き、百年以上たった今もその塔だけは壊そうとしても壊すことができないのだという。


(あと何日だったかしら…)


国王との謁見以来、アンジェルは城の一室に監禁されていた。儀式の決行は次の新月の夜。

結局クレールとヴィオレットの奇行はすべてアンジェルが仕組んだことだった、と世の中には触れ回っているらしい。その罪で生け贄にするのだと。


(バカみたい…)


涙なんか一滴も出ない。

出てくるのは乾いた笑いだけだった。


***


 五十余年ぶりにジラルの塔に生け贄が捧げられる、そう国中に伝わりその姿を一目見ようとジラルの塔までの道は人で埋め尽くされた。皆憐れむような目で見てくる。アンジェルが悪いはずはない、事実が捻じ曲げられた…そんなこと誰だってわかっている。しかしここに「アンジェルに罪はない」などと声をあげてくれる人などいない。皆自分が可愛い、そんなもんだ。


皮肉にも十八年の人生の中で一番の盛装姿だ。まるで今から結婚式でも行われるかのように丁寧に肌を磨かれ、繊細な化粧を施された。…しかし上質な絹の生地で作られたドレスは闇に溶け込むような黒。アンジェルのハニーブラウンの髪をすべて覆い尽くす黒いベール。手に持たされた真っ白な花籠だけが暗闇に浮かび上がっていた。この花を魔物が棲む最上階に捧げることで鎮魂となるのだとか。


(やはり誰も来なかったわね…)


今さら会いたいとは微塵も思わないが道の両側を埋め尽くすギャラリーの中にセルトン侯爵家の人間は使用人含め誰一人来ていなかった。思えば国王に呼ばれる前日に突然三人とも本邸に帰った。ほとぼりが覚めるまで王都に出てくることもないのだろう。どこまでも卑怯な人達だ。


森の入り口に差し掛かる。ここからは民衆はおらず兵士と共に塔まで歩く。

 

「アンジェル嬢、これを」

「ありがとうございます」


塔に入る前にランタンを渡された。中はおそらく真っ暗なのだろう。

厳重に施錠されていた鍵が音をたてて一つ一つ開けられていく。たった一つの扉に軽く十個はある錠前。塔に住む魔物に対し、とてつもない恐怖感を抱いていることがわかる。


兵士が鍵を開けている間にも塔を下から見上げた。頂上に着くまでどれくらいかかるのだろうか、そんなことを思っているとふと視線を感じて振り返る。


(クレール、殿下…)


数メートル先の木の影に佇んでいるのは確かにクレールだ。暗くてその表情まで窺い知ることはできないが、彼は何を思ってここまで来たのだろう。良心の呵責?今さらそんなもの何の役にもたたない。自分の罪悪感を紛らわせたいだけだろう。馬鹿馬鹿しくて笑みさえ浮かんだ。


「卑怯者」


クレールに向かって小さく呟く。その時、扉が開いたとの声が掛かった。


塔に足を踏み入れると早々に重い扉がバタンと閉められ鍵が何重にも掛けられたのがわかった。これでもう引き返すことなんかできない。いや、そもそもそんなこと許されるはずはないが。この塔の扉が開いたのは五十余年前のことだ。また何十年も開くことはないのだろう。魔物がいようといまいとここで死ぬのは明白だ。


アンジェルはランタンの灯りを頼りに一段一段階段を上がる。不思議ともう怖さは感じなかった。


自分はいったい何のために生まれてきたのだろうか?生け贄となるため?愛されてもいない家族のための尻拭いの道具?答えのない問いかけを繰り返す。


(レネ…)


せめて最後に弟に会いたかった。引き離されてからは主に手紙のやり取りくらいしかできなかったが叔母とこっそり会いに来てくれたこともあったし心配もしてくれた。弟が温かい環境に身を置いている、それだけがアンジェルの救いだ。


(…先に行ってお母様と見守っているから…あなたは幸せになってね)


そう願いながら一歩一歩階段を上がる。ずいぶん登った気がするが今いったいどの辺りまで来たのだろうか?それさえもわからないが、ここまでくると父や義母、異母妹への怨みつらみは消えていた。


(…何か、声が聞こえる)


地を這うような呻き声。魔物というものは本当にいるのだろうか。最上階にあるという魔物の棲家にこの白い花を捧げるまでは何としても死ぬわけにはいかない。誰も確認する人などいないから例えここで力尽きたとしても問題はないが折角なら最期までやりとげたい。


そう思っていると唐突に階段が終わった。最上階だろうか。奥の方を見ようとランタンを上に掲げた。


(何かいる…?)


「!!」


持っていたランタンの灯りが音もなく消えた。視界が闇に包まれ何も見えなくなる。

手探りでどうにか壁側に寄って手を付いた。壁伝いに歩けば何とか奥に着くだろうと一歩一歩慎重に歩く。

その時――


「あっ!!」


何かを踏んでしまいアンジェルの体が大きく後ろに傾く。転ぶ、そう思った瞬間、目の前に大きな黒い影が迫ってきた。


(魔物…?)


アンジェルの意識はそこで切れたのだった。


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