第2話:追い打ち
創立記念パーティーから早いもので三ヶ月経った――
同じ学園に通っていたヴィオレットはあの後すぐに妃教育を受けるため王城に移り住むことになったし、クレールもヴィオレットに付き添って登校していないため二人と顔を合わせずにすんで有難い。
アンジェルは王都にあるセルトン家別邸から学園に通っており今は両親も領地の本邸に帰っているので比較的穏やかな毎日を過ごしていた。
「アンジェル様、次は移動教室ですわよ?一緒に参りましょう」
「あ、そうでしたわね」
声を掛けられてハッと振り返るとクラスメイト達が微笑んでいる。
「最近ジラルの塔から恐ろしい呻き声のようなものが聞こえるらしいですわよ」
「まぁ、恐い!本当なのかしら?」
廊下を歩きながら他愛もない噂話で盛り上がる学友にふふ、と微笑む。
(ジラルの塔か…)
学園の窓からは遠く海沿いに建っている高い塔が見える。それがジラルの塔だ。うっそうと茂った森の最奥にありその辺りはいつも曇天なのだと聞いた。そこに近づく者など誰もいないから真実はわからないが言い伝えによると魔物が棲むという。
(もし本当にいたとしてもずっと一人ならつまらないだろうな…)
『ただずっと、つまらなかった』
「っ…」
クレールに言われたことをふと思い出す。今となっては婚約を解消されたことよりもその言葉の方がアンジェルの心に突き刺さっていた。
まだ学生だから何とかなっているがおそらく卒業と同時にセルトン侯爵家を追い出されるだろう。あの義母のことだから身一つで追い出されるか、あるいはどこか酷いところに嫁がされるか。
(早く道を見つけなくちゃ)
侯爵家を出ても一人で生きていけるように何か考えなくては、そう思うものの焦るばかりで良い案はまだ浮かんでいなかった。
(…そうだ!モニク叔母様に手紙を書いてみよう)
隣国の子爵家に嫁いだ母の妹であるモニクのところには弟のレネがいる。こちらで起こったことはまだ知らせていないし報告とともにこれからの身の振り方も相談してみようと少し前向きな気分になる。モニクの夫、メルテンス子爵もその二人の息子たちもレネを本当の家族のように温かく受け入れてくれている。自分まで迷惑をかけるのは忍びないが何かアドバイスを貰えるかもしれない。
(とにかく今はできることを何でもしていかないと!)
そう意気込んだアンジェルであったが、また追い打ちをかけられることになるとはこの時は夢にも思っていなかった。
***
それから数日後のこと、いつものように学業が終わり別邸に帰るとなにやら屋敷内が騒がしい。
「何かあったの?」
「それが…」
使用人に聞いても言いにくそうに口を閉ざす。不思議に思い騒がしい声が聞こえる一室に向かった。泣き叫ぶヴィオレットとそれをなだめる両親。いったい何がそうさせているのか見当もつかない。
「…何かあったのですか?」
恐る恐る声を掛けると困った様子の父親が振り返る。
「あ、ああ…アンジェルか。実はヴィオレットを婚約者に認めないと陛下が…」
「え!?何故そんなことにっ!?」
これにはさすがにアンジェルも驚いてしまった。聞けばヴィオレットは学業もマナーも基礎がまるでできていない上にいくら教えても覚えようと努力する様子もないため、遂には国王と王妃を激怒させてしまったらしい。このままなら王太子妃にはとてもじゃないがさせられない、と突き返されたのだという。
「アンジェル…何か策はないか?」
「…もう一度頑張る姿勢を見せれば何とかなるのでは?」
「いや、しかし…クレール殿下さえ会ってくれないらしい」
「そんな…」
父親は数年アンジェルとまともに口を利かなかった。その父親がアンジェルに意見を求めるほど参っているということだ。しかしこればかりはアンジェルにはどうすることもできない。
どうしたもんかと困っていると突然義母リゼットがアンジェルに鋭い視線を投げた。ドクン、と胸が嫌な音をたてる。
「あなたがクレール殿下に何か吹き込んだんじゃないの?」
「っ…そんなこといたしません!それにクレール殿下とは創立パーティー以来顔を合わせておりません」
「それなら手紙でも送ったんじゃないの!?」
「っ…!」
どこまで人を悪者扱いするのだろう。婚約破棄され傷つけられたのはアンジェルの方なのだ。言い掛かりも甚だしい。しかし悪意は更に続く。
「…お姉様が悪いのよ」
「え…」
「お姉様の容姿が普通だからクレール殿下は美しい私に目移りしたのよ!私がこんな辱しめを受けることになったのは全部お姉様のせい!」
あまりにも酷い言い分に目の前が真っ暗になった。なぜここまで貶められる必要があるのだ。
「…確かにアンジェルがヴィオレットのように美しければ目移りするようなこともなかったのだろう…」
「お父様、何を」
「可哀想にヴィオレット…こんなに傷ついて」
本気で言っているのだろうか?
アンジェル一人を悪者にしてヴィオレットを必死に慰めている両親の姿を見て心が凍てついていく。
(そこまで私が憎いのか…)
まともに教養を身につけてこなかったのも努力しようとしないのもヴィオレット自身の問題であってアンジェルのせいではない。そんな当たり前の事も判断できない三人にこちらの方が混乱しそうになる。
「出ていって!お姉様の顔なんて二度と見たくないわ!」
「ヴィオレット…」
「出ていきなさい」
「っ…」
父親の凄みのある言葉にアンジェルは何も言い返すことができなかった。
結局悪者になるのはアンジェルなのだ――
**
「ああ、このままではマズイぞ!」
セルトン侯爵が頭を抱える。事態は思った以上に深刻だった。
「陛下も王妃も大変お怒りだ。王家周辺からは故意に教養のない娘を王室に入れようとしたのではないかという疑いも持たれている…」
「そんな…何とかならないのっ!?」
姉の婚約者を奪いあのような形で発表した。まともな思考の持ち主なら誰に非があるのかなんて一目瞭然で皆口には出さずともわかっている。
"婚約者がいながらその妹に目を奪われた浮気男である
"姉の婚約者を誘惑した侯爵令嬢とは名だけで正統な血が流れていない
民衆の嘲笑の対象はアンジェルではない。馬鹿なことをした王太子とそれを許した国王、王妃。そして偉大な先代であったセルトン侯爵が築いたものを台無しにした娘婿と後妻にその馬鹿娘。
今回の騒動で王家の評判もセルトン家の評判も落ちる一方だ。しかし王家はたとえお互いに非があろうともセルトン侯爵家に罪をなすりつけるだろう。
「ヴィオレットが王太子妃になりたいなんて言い出すからだ…アンジェルが婚約者ならセルトン家は安泰だったんだ!」
「何を言うのよ!あなただってヴィオレットの方が相応しいと散々あの子を乗せたじゃないの!」
醜いことに、ここにきてもなお罪の着せ合いをする。
「何か、家が生き残る策は…っ」
先妻の父から受け継いだ爵位も莫大な領地も財産も手放すわけにはいかない。そこでセルトン侯爵は先ほどヴィオレットが言っていたことを思い出した。
「そうだ…アンジェルがいる、アンジェルに助けてもらおう!」
「…どうしようっていうの?」
「アンジェルなら王家もセルトン侯爵家も救うことができるぞ!」
王家の醜態も、セルトン侯爵家の醜態も。
――すべてアンジェルのせいにすればいい。
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