第4話:塔に棲む魔物



(ん…頭が冷たい…)


後頭部にひんやりしたものを感じてアンジェルは目を覚ました。開いた目に飛び込んで来たのは無機質な天井。それを見て自分はジラルの塔にいるのだと思い出した。夜が明けたらしくいくつかある小さな窓からは光が差し込んでいる。


(まだ生きてるのか…)


あのまま死ねたらどんなにか良かったがどうやらそういうわけにもいかないらしい。ふと見れば部屋の中央には白い花籠が置いてあるし目的は達成できたようだ。これで鎮魂になったかどうかはわからないが。


「あら?」


むくっと起き上がって初めて気がついたが体には毛布が掛けられているし、すぐ横には外れたベールが置かれている。


「いったい誰が…」


塔の中には誰もいないはずだ。それなのにどういうことなのだろう…と後ろを振り返る。


「!!」


昨夜倒れる前に見えた気がした黒い大きな影。その正体は――


(グリズリー!?)


薄茶色の巨体のクマがドシッと座り込み、その二つの目はジッとアンジェルを捉えていた。大きな手に鋭い爪。はたかれたらひとたまりもないだろう。


(魔物の正体はグリズリーなのかしら…)


昨夜とはまた違った緊張感が生じ、ゴクリと唾を飲み込んだ。恐怖で早まる鼓動がまるで耳元で鳴っているみたいにうるさい。


(あれ?でも、もしかして…)


ここには自分とグリズリーしかいない。ならば毛布をかけてくれたのはこのクマなのではないかと思い当たる。


「あの……痛っ…」


クマ相手に話が通じるのかはわからなかったがとにかく話しかけてみようと試みたその時、後頭部にズキッと鈍い痛みを覚えた。そっと頭に触れるとコブができている。昨夜転んだ時に頭を打ったのだろう。

それを見たグリズリーはむくっと立ち上がり二足歩行で近づくとアンジェルのすぐそばにまた座り込む。至近距離の恐怖にアンジェルの身体が震え出した。今から殺されるのか、食べられるのかと怯えているとグリズリーが落ちていた何かを手にし、そっとアンジェルの後頭部に当てた。


「んっ…!え!?」


目覚めた時の後頭部の冷たさの原因を知り驚く。そしてグリズリーが今またアンジェルの頭を冷やしてくれているのだ。


(信じられない…)


何が起こっているのかさっぱりわからない。まだ眠っているのではないかと疑うほど不思議な光景だ。


「ありがとう、ございます。あの…塔の上に棲む魔物は、あなたなのですか?」


そう尋ねるとグリズリーはしばらく不思議そうに首を傾げていたがコクリと頷いた。それなら姿はグリズリーでも中身はそうではないということか。そうでなければグリズリーが人間に世話を焼いてくれるなどあり得ない。


(魔物はとても優しい方だったんだわ…)


自分の棲家に突然入ってきた見ず知らずの人間にこうして優しくしてくれる。この優しい魔物になら命を捧げても良いと思えた。アンジェルは立ち上がるとドレスの裾を摘まみ恭しく頭を下げる。


「私はこの塔に棲む魔物の生け贄になるようにとのペルラン国王陛下の命に従ってやって参りました、アンジェル・セルトンと申します」

「……」

「どうぞ私を召し上がってください」


グリズリーは一瞬フリーズした後、慌てて手と首を勢いよく横に振った。ここで諦めるわけにはいかないとアンジェルは食い下がる。


「私にはもう帰るところもありません。戻っても役立たずと罵られ、どのみち処刑されるだけです」


お願いします、と頭を下げたアンジェルであったがグリズリーはおろおろしているだけだ。


(…ここでも、ダメか)


心に諦めが湧いてきて思わず笑みを浮かべてしまう。父にもクレールにもそして今魔物にも拒絶された。


「…そうですよね…グリズリー様にも生け贄を選ぶ権利はありますよね…私みたいな地味な女食べても、美味しくないですよね…」

「!」

「…困らせて、申し訳ありません」


結局どこに行っても受け入れてもらえない、そう思うとどうしようもなく悲しくて情けなくてアンジェルの瞳からポトリと涙が落ちた。今まで我慢していた涙がポトリポトリと滴り地面を濡らしていく。


(どうして今になって涙なんかっ…)


こうして泣いていると更にグリズリーを困らせるだけだと慌てて涙を拭うが、一度折れてしまった心はなかなか元には戻らずアンジェルは涙を流し続けたのだった。



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