第4幕 悲劇か喜劇か、復讐劇の幕が下りる

第29場 事後処理

 いつの時だったかと同じだなと思った。

 どこからか聞こえてくるサイレンの音が徐々に遠のいていく。

 その音に釣られて、実際に救急車の姿なんて見えるはずもないのに窓ガラスへと視線を向けていた。


 すでに夕暮れの時間は過ぎており、吸い込まれるような真っ黒い夜空へと変わっていた。

 庭に植えられた木々の葉はすでに紅葉へと移ろっており、風に吹かれるたびにその赤い葉を揺らしていた。

 

 先ほど出したグラスの中に注いだアイスティーは、すでに半分ほどに減っている。麻白はストローから桜色の唇を離した。色白くて細い手は、ゆっくりとグラスをコルクのコースターへと置いた。

 麻白はクリーム色の髪をかき上げて、チラッとこちらを見た。


「なんだ、アイスティーのおかわりか?」

「ち、違うからっ」

「じゃあ、なんだよ?腹が減ったのか?」

「それも違うっ」

「じゃあ——」

「シ、シンジくんは、この状況なんとも思わないのっ!?」


 麻白は少し頬を赤く染めて、焦ったように声を上げた。


 あの事件——元々、魔法使いではない一般人である宗吾が引き起こした『昏睡事件』から、すでに数日が経過していた。

 神社での戦闘と言っていいのかわからないが、とにかくあのいざこざで負傷した宗吾の身柄は、現在『魔法協会』内で保護されているらしい。

 

 当然、本当に『魔法協会』とやらに隔離されているかを俺には確かめようがない。

 だからこそ、麻白の言い分を馬鹿正直に受けて止めているに過ぎない。


 そもそも魔法使いなどという公になっていない存在が関わっている以上、警察に身柄を引き渡したところで何の解決にもならないことは明らかだろう。


 むしろ下手に警察などに相談したところで、俺の頭がおかしいと判断されるのがオチだ。

 それこそ高校生同士の喧嘩——傷害事件に発展し、余計な事態になることは目に見えていた。

 

 そうであるならば、『魔法協会』とやらに引き渡して正解だったのかもしれない。

 ただし、国家魔法師の優衣先生がなぜ宗吾の身柄を確保しなかったのか、その疑問が残るわけだが、麻白によると、どうやら司法取引のようなものがあるらしい。


 正直、魔法使い同士の馴れ合いには全く興味がないため、ほぼ聞き流していた。


 そんなことを回想していると、どん、とテーブルを叩く音が聞こえた。

 すでに、麻白は身を乗り出すようにして立ち上がるところだった。

 テーブルの隅に無造作に置かれていた数枚の紙は、ひらひらと舞って、床へと落ちていく。


「もうっ!無視しないで答えてよっ!」

「いや、そうは言われても……」


 現在、俺の家のリビングで、俺と麻白は向かい合わせで座っていた。

 ヒラヒラと舞い散った紙を床から拾い集めるために、椅子から腰を上げた。

 すると、嫌でも紙の内容が視界へと映りこんでしまった。


 俺と麻白が校舎の屋上——暗がりでまるで抱き合うような格好をしている写真だ。


 おそらく、いつぞやの時に、校舎の屋上で魔法の練習をしていた時に盗撮されたものだろう。ただし、この写真には大きな間違いがある。


 それにしても、あの時に魔法を使っていたはずなのに、なぜかその場面を撮られなかったことの方に感謝するべきだろう。


 もしも、魔法などという存在が露見した場合に、麻白の顔面は今頃、赤面ではなく、青白くなっていたことだろう。そう言う意味ではむしろマシだろう。

 

 だから、この写真の俺たちが抱き合っている姿なんてどうだっていいことだ。

 ため息をついてしまいそうになるのを何とか堪えて、言葉を吐き出した。


「あの時、別に俺たちが抱き合ったなんて事実ないんだから無視すればいいだろ」

「も、もちろんそうだけど……この合成写真、うまく作られすぎていない?」

「今の時代、フェイク動画だって作れるくらいなんだから驚くことか」

「そうだけど……てか、なんでシンジくんはそんなに冷静なわけ!?」

「いや、俺の学校での評判知っているだろ?」

「まあ……かっこいいけどシスコンだとか、かっこいいけど根暗だとか——」

「ちょっと待て!なんだそのあだ名は?」

「え?」とキョトンとした表情で麻白は首を傾げた。


 まるで当然でしょ、とでも言いたげな表情が若干ムカつく。


 くそ……マジで、陰ではそんな意味不明なあだ名で呼ばれているのかよ。

 誰だよ、そんなくだらないあだ名を命名したした奴は。

 

 しかし不本意だが、百歩譲って、こんなところで今更あだ名に対する抗議の声を上げたところで、今の状況——俺と麻白がむつましく抱き合っていたなどという厄介な問題を解決することにならないことは明らかだ。


「こほん、百歩譲って、あだ名の件とお前との関係性を疑われようと、それはどうでもいい——」

「私が困るんですけどっ!?」

「っち、じゃあどうする?まさかそんなくだらない犯人探しを魔法とやらでするわけではないよな?」

「も、もちろんよ」

 

 なぜか麻白はうわずった声を上げた。

 若干ソワソワして視線も落ち着きがない。


 こいつ、魔法を使って犯人に報復するつもりだったな。

 

 ……まあいい、勝手に動いてくれ。

 そんな些細なことに時間を割いている場合ではない。

 それに——


「とりあえず、その悪戯の犯人を見つけたければ、勝手にしてくれ。俺としてはどうでもいい。そんなことよりも、あの後——宗吾の様子だ。お前たち魔法協会とやらに身柄を渡してやったんだ。説明くらいしてくれ」

「き、急に本題に入るのね……こほん、わかりました。説明します」


 そう言って、先ほどの明るい雰囲気が一転して、麻白の瞳に真剣さが宿った。

 居住まいを正して、僅かにアーモンド色の瞳が細められた。


「相馬宗吾さんについては、残念ながら黙秘し続けたの。だから、ちょっとだけ魔法を使って、お話をしてもらったのよね」

「まさか、殺していないよな?」

「そんなことするわけないでしょ」

「そうか、俺を襲ってきた魔女は軽々しく命を扱うような印象を受けたから、念の為、お前たち魔女の価値観を確認したかっただけだ」

「私たち……魔女だって普通の人間と同じ価値を持っている……と私は思っているから、殺したりなんかしないよ」

「その言葉を聞けて安心した」

「うん……それで、話を戻すね?」

「ああ」

「こほん、それから——」


 麻白は静かに淡々と事実を述べるアナウンサーのように話してくれた。



 麻白の話をまとめるとおおよそ次のようなことだった。

 まず、宗吾は魔女に唆されて、心の隙間につけいられてしまったらしい。

 魔法の原理とやらはよくわからなかったが、とにかく、一般人——魔力を一切有していない者なのに、魔法使いとして強制的に覚醒させられたとのことだった。


 それが、教会から盗まれた聖遺物——指輪の効果だったらしい。

 正直、そこら辺の魔法の理屈は興味がなかったから、受け流した。

 

「だからね、決して相馬宗吾さんを責めないでほしい」


 どこか躊躇の色を浮かべて、麻白は告げた。


 きっと俺たち——俺と宗吾が幼い頃から友人だから気遣っているのだろう。

 しかし、気遣いなど不要だ。

 そんなことは今更もう遅いし、意味なんてない。


 あいつ——宗吾は藍香をずっと前から好きだった。

 そのことを知らなかった。

 いや、全く気が付いてさえいなかったんだ。

 俺はもうあいつと友人だなんて言える資格はない。

 何も知らないのだから。


「わかったから、続けてくれ」

「うん」


 次に、麻白が説明したのは、おおよそ以下のような内容だった。

 宗吾を唆した魔女がどのような人物かまではわからない。

 魔女に関する質問をした途端、元から施されていた魔法が発動して、宗吾の記憶が喰われてしまったらしい。


「用意周到だったということか?」

「うん、でもちょっと気になることがあるのよね」

「どういうことだ?」

「私がシンジくんの跡を追っていた時に、急に建設途中の高層ビルから紫苑の魔力を感じたから、あの神社に駆けつけるのが遅くなったって説明したでしょ?」

「ああ、お前が俺のストーカーをしていたという告白だな」

「な、全然違うからねっ!?」

「いいから、話を進めてくれ」

「ふ、ふん」となぜか麻白はプイと顔を背けた。その横顔はなぜか一瞬、藍香の面影と重なって見えた。そんな幻想を打ち壊すように、声をかけようとした。


 その時だった——


「へー面白い話をしているみたいじゃない、シンジ?それに——ましろん?」

 

 まるで何かにイラついたような声が耳に届いた。

 声のしたリビングの入り口に視線を向けると、芽実がいつの間にか腕を組んで立っていた。


 ズカズカと歩いて来て、ドスンと居間のソファーに腰を下ろした。

 ふわふわと金色の髪が舞って、チラッとエメラルドグリーンの瞳が俺に向けられた。


「説明してくれるんでしょ?」


 厄介なことになった。



 色白い指がリズムを刻むようにして、腕組みした腕をトントンと叩いた。

 何かを考えるようにして、芽実は目を瞑ったままだ。

 そして、ついに俺から視線を逸らして、麻白を見た。


「それで、ましろんはこいつのこと好きなの?」

「そ、それはないですっ」

「へー」と棒読みで芽実が答えた。


 芽実はソファーから立ち上がった。

 それから、ズカズカと歩いて、イラついた表情で椅子に座った。


 そして、なぜか麻白はいそいそと俺の隣の席へと移動してきて腰を下ろした。

 隣に座る麻白はなぜか焦るように、ソワソワとしていた。


 全く……このポンコツ魔法使い様は、こういう不測の事態にはどうやら本当に弱いらしい。期待できない以上、俺がなんとか誤魔化すしかなさそうだ。


「今、そんなことはどうでもいいだろ?なんでお前が俺の家の鍵を持っているのか、そして——なぜ勝手に入ってきたのか、説明してくれ」

「そんなのお父様からシンジ——あんたの様子を見てくるように頼まれたからに決まっているでしょ」


 芽実は金色の髪をかき上げてから、フンと言った。

 ターコイズブルーのイヤリングが金色の髪の隙間からチラチラと見えた。


 親父のやつ……どうやら俺が急に警察にアポイント取ることも藍香の検死をした病院にも行かなくなったことを怪しんだのか。

 

 ちっとも大人しくなったとは信じていなかったらしい。

 

 おそらく、今度はコソコソと裏で動き回っているとでも勘づいたのか。

 俺のことも藍香のこともほったらかしにして来たくせに、今になって心配になって俺に構い始めたとでも言うのか。


 まあ理由なんてそんなことはどうだっていい。

 問題は、芽実に魔法使いの話を聞かれてしまった可能性があることだ。


 これ以上、面倒ごとはごめんだ。


「それで、俺と麻白の話はどこから聞いていたんだ?」

「は?麻白って、ましろんのこと呼び捨て?」

「なんで芽実がキレているんだよ?てか、今はそんな呼び方のことなんてどうでもいいだろ」

「どうでも良くないわよっ!」


 どうやら芽実はなぜか俺と麻白の関係性に対して認めたくないらしい。

 何をそこまで苛立っているのか知らないが、俺にとってはいい迷惑以外の何者でもない。


 チラチラと麻白から視線が送られてきた。


「……?」

「コホン」とわざとらしい咳をしてから、麻白はとんでもないことを言った。

「実は、シンジくんはどうやら女の子からストーカーされることが好きな変態さんらしくて、その……私に頼んできたんですっ!」

「おい!?」

「いいんですよ、私はそんなシンジくんでも……好きなんですからね?」


 麻白はまるでダメ男のことを好きになってしまったことを後悔しているが、それでも私がいないとこの人はもっと性癖をこじらしてしまうから仕方なく耐えているんです、とでも言いたげなニュアンスだ。


 こいつ……なんで俺だけが悪者にしているんだよ。

 そもそも、いくらなんでもそんな意味不明な言い訳が通用するかよ。

 てか、もっとマシな理由くらいあるだろうが。


 じーっとエメラルドグリーンの瞳が俺と麻白を交互に見た。

 そして「はあ」と呆れたような表情になって、芽実は言った。


「シンジの性癖がいびつだってことはわかった。でも、ましろんがそんなことに付き合うことないでしょ?だから、あとは私が引き受けるから——」

「いえ、私の義務ですからっ!」

「そんなこと言って、これからもっとエスカレートしたらどうするの?」

「……おい、芽実。何を言ってんだ?」

「シンジは黙っててちょうだい」

「いやでも——」

「うっさい、変態!」

「……」

 

 意味わからん。

 なぜ俺が変態呼ばわりされなければならないんだ。

 てか、エスカレートするってなんだよ。


「私は……シンジくんにキスされたことだってあるんですからっ!」


 ああ、こいつマジでポンコツだ。

 芽実のエメラルドグリーンの瞳がギョロッと、俺を捉えた。


「へー。それはこの紙に載っている写真の時のこと?」

「いいえ、違いますっ!」

 麻白は勢いよく返事をした。

 芽実の頬が引き攣っているのがわかる。


「いや、これには色々と訳があってだな——」

「藍香ちゃんがいなくなってから、塞ぎ込んでいたようだから、心配していたんだけど——そんなことは余計なお世話だったみたいね!」


「——!?」


 どん、と向かいの席から脛を蹴られた。

 テーブルの下だから麻白に気づかれないとでも思ったのか。

 くそ、なぜ俺が八つ当たりされなければならないんだ。

 理不尽すぎるだろ。


 芽実は何かを思いつたように口元を僅かに歪めた。


「そうね、シンジ。ましろんのことはお父様も含めて、学校のみんなにも黙って置いてあげる」

「そ、そうか」

「ただし——付き合ってもらうからね、私とのデートに!」


 この時の俺はきっとポカンとしていたことだろう。

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