第28場 重い想い
麻白に付け焼き刃の訓練をつけてもらったのが功を奏した。
なんとか、結界とやらを咄嗟に展開できた。
目の前で赤い粒子と土の塊のような馬鹿でかい壁が現れて、そこに炎が衝突した。
『ジュー』という土が焼けるような音と共に、微かに赤い粒子が飛び散った。
少し離れたところから、宗吾の感心するような声が上がった。
「へー。お前もこっち側に足を踏み入れたのかー」
「は?ふざけんな。利用しているだけに決まってんだろ」
「でも……シンジ、お前は何もわかっていないんだなー」
ボロボロと土の壁が突如として崩れ落ちて、心底馬鹿にするような表情で宗吾が立っていた。
「——っ!?」
「おせーよ」という宗吾の言葉が耳に入ってきた時には、遅かった。
肺から空気が押されるような圧迫感があった。
身体が地面へと引っ張られるように、重み——重力を感じた。
「なあ、シンジ。俺が藍香ちゃんを好きだったことに気が付いていたか?」
宗吾は俺を睨んだ。
普段であれば、端正な顔だが、それを台無しにするように病人のように蒼白だ。
周囲の空間を捻じ曲げるような重い空気がまとわり着くように、絶えず俺を襲ってくる。
ゆっくりと近づいてくる宗吾は、光沢のある指輪をいつの間にか装着していた。
圧迫感のある重力によって俺の身体は固定されるかのように、地面へと引っ張られる。
「……くっそ、動かない」
「シンジ、お前はどこまでいっても藍香ちゃんに愛され続けていてほんとに……羨ましいよ」
「宗吾……お前おかしいぞ。急に何を言ってるんだ?」
「俺、藍香ちゃんに告白したことがあるんだぜ?」
「……」
「でも、あっけなく振られたよ。『お兄様の友人としか見れません』だってさ」
「お前が藍香のことを想ってくれていたなんて知らなかった」
「だろうな。誰にも言わなかったからな」とトントンと反響する足音が止まった。宗吾の濁った瞳は、俺を見下すようにひどく冷めていた。
いつから宗吾が藍香を好きになったのかはわからない。
それこそ、小学生の頃からサッカークラブで一緒だったのだから、もしかしたら、その頃から想いを募らせていたのかもしれない。
でも、こいつには——今、彼女がいる。
結局、それくらいの想いでしかなかったはずだ。
たかだか藍香が死んで1年しか経っていないのに別の女を好きなる、そんな程度の話だ。
……ああ、そうか。
俺はこいつ——宗吾に腹が立っているんだ。
「藍香を好きだったのはわかったが——」
「藍香ちゃんがお前以外の男と話す時、ほとんど笑わなかったことに気が付いていたか?いつもつまらなさそうでそれでいて、儚げに微笑み続けているだけ。でも——」
宗吾は壊れてたロボットのように、一方的に話し続ける。
俺の言葉なんて聞くつもりがないということか。
まあいい。
せいぜい悲劇の主人公のように気取っていろ。
そのうちに、反撃のチャンスがあるはずだ。
「お前と話す時だけは特別に面白そうに笑うんだ。きっと藍香ちゃんにとっては、お前だけが特別な存在だったんだ。俺がいくら話しかけてもつまらなさそうにするのにな……」
「そこまで藍香のことを——」
「ああ、そうだった!好きだった!」と悲鳴のような声が反響した。そして宗吾は「でも、俺じゃダメだった」と小さくつぶやいた。
あと、少し俺へと近づいてこい。
そうすれば、魔法が使える範囲内だ。
そんな俺の内心を見透かすように宗吾は乾いた笑みを浮かべた。
「シンジ——お前は知らなかったんだろうが、藍香ちゃんには好きなやつがいたんだぜ?」
藍香に好きな人がいた……。
あいつに?
あのわがままで自分に厳しくてそれでいて——幼い頃に死んだ母さんの言いつけをいつまでも守ろうとするような頑固な、そんなやつに、好きなやつがいた?
藍香が人並みに誰かに恋することなんてあったのか。
いいや、冷静になれ。
以前の俺——きっと藍香が生きていた頃であれば、内心を掻き乱すのには効果的だっただろう。それこそ、藍香にすぐにでも問い詰めるくらいには気になっていたに違いない。
変な男に引っかかっていないか、即座に調べる。
でも、藍香が死んだ今となっては、シスコンでもあるまいし、妹が過去に誰を好きであったとしても、そんなことは兄である俺に関係ないことだろう。
「シンジ……今のお前の顔を鏡で見せてやりたいくらいだぜ」
「どういう意味だ?」
「お前がシスコンだってことだよ」
「は?」
「お前たち兄妹はほんとお互いにその気持ちに気づいていないのかよ」
なぜか宗吾は呆れるような声だった。
宗吾が何を言いたいのか判然としない。
しかし、今は生前の藍香の懸想相手の真相はどうだっていい。
それよりも——なぜ宗吾が急に藍香を生き返らせたいなどというおおよそ夢物語のようなことを言い出したのか、その方が問題だ。
こいつは普通の人間だったはずだ。
それなのに、急に魔法を使って、人間を生き返らせようなどという頭のおかしいことを考えている。
誰かが入れ知恵をしたんだ。
その可能性しかない。
もしかしてその入れ知恵をしたのが——藍香の部屋で魔法を使った『紫苑』さんなのか。それとも、旧校舎で俺を襲ってきた謎の魔法使いなのか。あるいは別の誰かなのか。
まあ、なんだっていい。
こいつ——宗吾から聞き出せばいいだけの話だ。
……もう一歩、こちらへと来い。
そうすれば、視界を奪うことができる。
しかし、宗吾はこちらへと近づこうとせずに、ガシガシとパーマの髪を掻いた。
「シンジ、お前はなんで藍香ちゃんを生き返らせようとしないんだ?」
「逆に聞きたい。宗吾——お前はなぜ藍香を生き返らせることができると思うんだ?」
「……」と黙って宗吾は何かを思案していた。
「自然法則に逆らうような、そんな荒唐無稽なことできるわけないだろ。お前に入れ知恵したやつは、お前をいいように使い捨てることしか考えていないはずだ。だから——」
「うるせーよ」
宗吾の濁った瞳が俺をとらえた。
しかし何もしようとしてこない。
きっと、地面に這いつくばっている俺に油断している。
だからこそ、きっと何もしてこないんだ。
いや……それとも何かを待っているのか?
「そもそも、宗吾——お前には、萌香ちゃんがいるだろ。だから、いつまでも死んだ藍香のことを想っていないで——」
「黙れって言ってんだろっ!?」
宗吾は怒鳴った。
そして——俺の頭を踏もうとしたのか或いは蹴ろうとしたのか、近づいてきた。
悪いな、宗吾。
「『風よ』!」
「——!?」
突風のようなイメージをして、魔法を放ったからだろう。
宗吾の身体を覆うように風が襲った。
途端に、重力のような重みがなくなった。
咄嗟に地面から立ち上がって、さらに魔法を放つ。
「『踊れ、炎の妖精』」
小さな竜巻に向かって炎の塊が向かっていき、風とともに炎が混じり合った。
火柱が上空へと続くように立ち上がった。
「ぐああああ」
宗吾の悲痛そうな声が上がった。
火柱が弱まり、徐々に風が消えた。
すでに宗吾の身体は地面へと倒れていた。
身体はボロボロになり、大量に出血している。
今にでも息が絶えそうで、呼吸するのもやっとなのだろう。
僅かに開かれた瞳は、すでに弱々しい。
「許してくれとは言わない……でもすまないとは思う」
「……」
「正直、お前がなぜ藍香を生き返らせたいのか理解できない。そもそも仮に生き返ったとしても、宗吾——お前の元に藍香が行くとは思わない。だからこそ、これ以上、無駄なことはするな」
「——っ」
何かを反論しようとしたのだろうが、宗吾の声を聞くことはできなかった。
遠くの方から、麻白の声が聞こえた。
どうやら俺の姿を探しているらしい。
大方こっそりと俺の跡を追ってきているのかと思っていたが、どうやら付いてこなかったらしい。
そういえば、分断させたとか、とか言っていたが、そのせいなのかもしれない。
まあ、なんだっていい。
結局、麻白が駆けつけるのを待っていたら、俺は死んでいたということに違いない。
全く……あのポンコツ魔法使いときたら、肝心な時にいないとは、つくづく役立たない。
しかし、今は細かいことはどうでもいい。
どっと疲れが押し寄せてきて、とにかく横になりたい。
「こっちだ!」と俺は麻白へと声を上げた。
麻白はソワソワとして、声の方角——こちらに気がついた。
アーモンド色の瞳の奥から、ほっと安心したような雰囲気を感じた。
まだ日の出には程遠く、秋の夜空にぽつんと月が浮かんでいた。
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