第27場 裏側

 麻白は急いで市内へと移動した。


 先ほどまでこっそりとシンジの跡をつけていた。

 シンジはなぜか市内から離れた寂れた神社の境内へと足を踏み入れた。


 なぜわざわざ人の気配のない深夜に落ち合う上にさらに市内のはずれに位置する神社を待ち合わせ場所に指定したのか、その理由に僅かな違和感を抱いた時だった。


 市内の方角からとてつもなく大きな魔法が発動された。


「——っ!?」


 感知したのは、大規模な魔法だけではなかった。

 何よりもその魔力の性質が妹——紫苑と非常に酷似していた。


 気がついたら、シンジの跡を追うという選択肢は頭から抜け落ち、市内へと転移していた。一番近い高層ビルの屋上に立つと、街の夜景が視界一面に広がる。


 ギラギラとネオンサインが深夜でも街中を照らしている。


 麻白の脳裏には一瞬、先ほどまで跡をつけていた誰かさん——無愛想で少し背の高くてやる気のなさそうな目の男が浮かんだ。


 その存在を誤魔化すように、すぐに改めて魔力の感知した方向をじっと観察した。

 少し遠く——麻白の立つ建物から、数キロほど先の建設途中であろう高層ビルから異様な魔力が漏れていることがわかった。


「なんか嫌な感じ……」


 口が滑って出てしまった嫌な予感を打ち消すように、もう一度転移して、魔法の発信源へと近づいた。



 工事中のため立ち入り禁止の看板が立てられている高層マンション。

 トラクター、木材、鉄筋などがブルーシートのようなものから、所々飛び出ている。

 

 麻白には、まるで急いでこの場から立ち去ったかのように何もかもが中途半端な状態に置かれたままであるように思えた。


「——魔力の反応が消えた?」


 辺りはやけに静かだ。

 市内の中心部に近いはずなのにそのことを忘れさせるかのように嫌な静けさと薄暗さが支配している。


 そして何よりも——人の気配というものが一切感じない。


 まるで誰かにここへと誘導されたかのように思えた。


 その時——すぐ後ろで人の気配をした。


 麻白は咄嗟に距離をとって、魔法を放とうとして——山田優衣先生であることに気がついた。徐々に近づいてくるシルエットが鮮明になり——黒いローブに身を包み、黒い縁のメガネの奥から赤い瞳が見えた。


「先生……おどかさないでくださいっ」

「ふふ、ごめんなさい」

「もういいです。コホン……先生も大規模な魔力を感じましたか?」

「ええ、ですが——」と優衣はあたりを見渡した。しかし、どこにでもあるような建設途中の高層ビルの建築現場に思えて、「気のせいだったのかもしれませんね」と言った。


 麻白は一瞬だけ紫苑の魔力と似ている点を補足しようとしてやめた。

そんな麻白の様子に気がついていないように、優衣は何かを思い出したように言った。


「そういえば、最上さんは私の家から直接魔法協会へと向かったようです」

「そうでしたか。じゃあ、今頃は東京かな」

「ええ、おそらくそうでしょう。ですから先ほどの魔力は感知していないはずであり、ここに駆けつけてくる可能性は低そうですね」

「そうですね……?」

 

 優衣は遠回しに何かを言っているようだが、麻白にはわからなかった。

 そんな麻白のポカンとした表情を察して、優衣は言い換えた。


「私と今上さん——二人だけでこの高層ビルを調べることになりそうですので、手分けをして魔力の痕跡を洗い出しましょう」

「は、はい」

「ふふ、では私は建物の下半分を探りましょう。今上さんは建物の上半分ほどをお願いします」

「わかりました」


 一瞬だけ、麻白は無愛想な表情をした男——シンジの顔を思い浮かべていた。


「何も起きていないと良いのだけれど……」


 麻白の独り言は秋の夜空に吸い込まれるようにかき消えた。



 優衣と入口付近で二手に分かれて、建物内を散策し始めた。

 転移をして、麻白は25階と書かれた真新しいフロアへと足を着けた。


 大きなフロアエントランスの壁には、一つのロゴマークが描かれていた。

 麻白のアーモンド色の瞳は、そのシンボルを見つめた。


「このロゴどこかでみたことがあるような……」


 麻白はクリーム色の長い髪をくるくると指で触りながら、数秒ほど考えてみた。

 しかし、結局何も思い浮かばなかったため、フロアを見渡すように視線を動かした。


 カンカンとフロア内を歩くにつれて、麻白の足音が静かにフロア内に反響する。


「おかしな魔力の流れは見当たらない……かな」


 一面ガラス張りになっており、やけに青白い月の光が差し込み、フロア内を照らしている。

 

 いつだったか紫苑と一緒に魔法教会からの依頼をこなした日の光景が麻白の脳裏に浮かんだ。




 どこからか軽快な音楽が流れていた。

 肌寒い空気が麻白の頬にあたる。


 きっと冬の夜空には、星々が瞬いているのだろうが、街中のネオンサインが邪魔をして星の輝きを捉えることはできない。


 そもそも——その日は満月が浮かんでおり、その青白い光が星々を邪魔していた。


 クリスマスの季節が近づき、人々がごった返すように歩道に溢れている。

 すれ違う人々を避けながら、麻白は隣で肩を並べて歩く紫苑をチラッと見た。

 

 紫苑の紫色の長い髪が揺れた。


「ねえ、紫苑?」

「何?」

「そんなに私と一緒にいるのが嫌?」

「……麻白お姉ちゃんこそどうなの?」

「私は……紫苑と一緒にいれて嬉しいよ」

 

 紫苑は呆れたようにため息をついて、麻白の煮え切らない態度を無視して歩き続けた。


 この日、麻白と紫苑は、魔法教会からの依頼で今はすでに使われていない教会から魔法の痕跡が発見されたため、素人が見よう見まねで偶然発動してしまったものなのか、あるいは『闇派閥』による魔法の行使なのかを調べるために、天神市へと訪れていた。


 すでに教会を調査し終えて、これから魔法教会へと報告書をまとめあげる必要があった。そんな時だった。


 紫苑が立ち止まっていた。


 麻白は一瞬、紫苑の姿が視界から消えてしまったのかと思ったが、少し後ろでいつの間にか歩みを止めていた。

 

 紫苑は薄い紫色の髪を靡かせて、人混みの中で立ち止まっていた。

 エメラルドグリーンの瞳が、じっとショーウィンドウを見ているようだった。

 麻白は人混みを掻き分けるように、紫苑の元へとたどり着いた。


「紫苑……どうしたの?」

「……」


 紫苑は無言のままショーウィンドウ——いや、正確には、ファミリーレストランの中を凝視しているようだった。


 おそらく親子——父と母と小学校低学年くらいの女の子が楽しそうに食事をしていた。

 どこにでもいる普通の光景だった。


 特段、魔法使いである紫苑が気に留める必要のない、取るに足りない人間の家庭だ。


「……お腹すいた」

「もう……紛らわしいのよっ」


 麻白はほんの一瞬、教会で使用された魔法の痕跡と似たような魔力を持つ人物でも見つけたのかと考えていた。


 それなのに、紫苑は呑気に食べ物のことに気をとらわれていた。

 だから、安心したようで、それでいて、これまでの疲れ——今上家の家督争いについての問題もどっと押し寄せてきて、いろいろなことが脳裏に浮かんで悪態をついてしまっていた。


 そんな気持ちを誤魔化すように、麻白は言った。


「はあ……時間はあるし、食べて帰る?」

「べ、別に、紫苑は何も言ってないもん」


 プクッと頬を膨らませて、紫苑は口答えをした。

 

 麻白は少しだけ以前のように接してくれたような気がして、嬉しくなった。


 しかしすぐに紫苑はハッとしたように、無表情に戻った。

 そして、足早にファミレスのドアをくぐった。


「素直じゃないところは、私と似たのかな……」



 色とりどりの料理が次々と運ばれてきた。


「そうだった……紫苑、あなた大食漢だったのよね」

「ふん……麻白お姉ちゃんが『いくらでも頼んでいいわよ』って言ったんでしょ。それに麻白お姉ちゃんだって、たくさん食べるでしょ」

「はいはい、そうだったね」


 麻白は幼い子供をあやすように優しい声で紫苑の言葉を受け流した。

 すると、紫苑は機嫌を損ねたように「もう、いいっ」と言って、黙々と食べ続けた。


 誰が今上家の当主になるのかという問題。

 その問題がふって湧いてから、麻白と紫苑の間では気まずい空気が流れた。


 どちらが悪いわけでもないはずだが、麻白は立場上、本家の一人娘として血筋を最も気にする祖父母から後継者として支持されている。


 一方で、紫苑はあくまでも分家からの養子であるから、紫苑を支持する人物はいないはずだった。しかし、麻白の父親——はなぜか紫苑を支持した。


 そこから何かがこじれてしまった。


 麻白は今日何度目かわからないため息をつきそうになり、とっさに溢れてしまうのを我慢した。そんな様子に気がついて、紫苑はさらに不機嫌そうな空気をひしひしと醸し出した。


「……ドリンク取ってくる」


 気がついた時には、麻白は気まずさから逃げるように席を立っていた。


 紫苑はきっと自分と何もかも——それこそ、魔力の量から魔法の扱い方まで、魔法使いとしての全てを比較されることを嫌がっているのだろう。


 姉である麻白もまた妹と比較されるのは、嫌なのだから……。


 そんなことを考えていたからだろう。

 気がついた時には遅かった。


「あ」とどちらの声だったのか。


 ドリンクを注ぎ入れ終えて、廊下の死角となっている曲がり角で——人影が突如現れた。


 麻白はなんとかぶつかってしまわないように、無理やり歩みを止めた……が遅かった。

 身体が当たらないようにという思考にとらわれて、手元に持つコップの存在を失念していた。

 

 握っていたコップを落としそうになった。


 その光景を見て、咄嗟にフォローしたかったのだろう。

 ぶつかりそうになったその人物——男の子は、麻白の色白い手からコップが地面に落ちてしまわないように咄嗟に手を差し出していた。


 重力に導かれて落下したコップをなんとかキャッチして、胸元に持っていって——無事何事もなかったように思えた。


 しかし、作用反作用の法則に邪魔をされた。

 コップの中からお茶が飛び跳ねて、『バシャン』と男の胸元は濡れた。


 無愛想でいて少し背が高い男の子——赤洲神治とポンコツの魔法使い——今上麻白が「初めて」出会った時だった。

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