第23場 準備

 黒いローブがバタバタと風に煽られた。

 そんなことなど気にもせずに、クリーム色の髪をかきあげて、麻白が前方へと魔法を使った。


「『踊れ、炎の妖精』」


 半実体化した小さな生き物のような塊が空中に出現し、悲鳴のような声を上げて、真っ直ぐに飛び出していった。そのサッカボールくらいの大きさの赤い玉は、フェンスの近くで掻き消えた。


「それが、最低限の攻撃魔法になるのか?」

「そう」と小さく頷いた。


 現在、俺と麻白は優衣先生から特別に存在しないはずの『天文部』の実地調査なる名目で許可をもらって校舎の屋上にいた。


 時刻はすでに20時を過ぎている。


 夜空にはギラギラと星々がその存在感を主張するかのように散りばめられている。時々、肌寒い秋風が吹き抜けている。紅葉の時期に近づき、紅色の葉が校舎の近くにもちらほらと舞っている。


「とりあえず、これが使えれば、時間稼ぎくらいにはなるんだよな」

「勘違いしてほしくないんだけど……決して闘って欲しいわけじゃないからね?」

「わかっている」

 

 そもそも、おそらく俺が扱える程度の低レベルの魔法であの時––––––––旧校舎で襲ってきた魔女に対抗できるとは思えないしな。


 チラッと旧校舎を見ると、すでに赤い糸のようなものはない。

 クリスタル——と言えば良いのかわからない。確か『器』などとあの時、魔女は言っていたが、その『器』が持ち去られてから、校舎を張り巡らされていた糸のような魔法は消え去った。


 現在は、代わり映えのしないどこにでもある——いや、少し古めかしい校舎に見える。


 俺が旧校舎を見ていたことに気がついたのだろう。

 麻白はいつかの時のようにウジウジとした雰囲気で言った。


「その……危険な目に合わせてしまったのは––––––」

「だから、そのうじうじとした態度をやめてくれ」

「う、うじうじなんてしてないからっ」

「ああ、そうかよ」

「そんなことよりも、は、早く練習しましょっ」

 

 捲し立てるように言って、プイッと顔を背けた。

 クリーム色の髪がふわふわと舞って、それに釣られるように、青い粒子が流れていった。


 全く……このポンコツ魔法使いは、自分の感情によって僅かな魔力が漏れていることに気がついていないらしい。


 本当にこいつが魔法界有数の家系の党首になるんだとしたら、先が思いやられる。


 まあ、俺には関係のないことだが。


「ああ、わかったよ。せっかくご教授頂いた魔法だからな。せいぜいど素人の俺でも精一杯使いこなせるように頑張りますよ」

「どうぞ……」

「『踊れ、炎の妖精』」


 両手を前へとかざすと、空中に思ったよりの大きな炎の塊が出現し、前方に吹っ飛んでいった。

 

 急激に身体から魔力——まるで生命力のようなものが抜けていくのがわかった。


 くっそ、たかが数回でこの酔うような感覚に慣れるとは思っていないが、やはり不愉快だ。


 ふらつく足元をなんとか押さえつけるようにして、我慢した。


 すると、麻白は少し驚いたような表情で呟いたような気がした。


「やっぱり……天然の魔力を持っているからよね……シンジくんを素人の魔法使いにさせておくのには勿体無いかな」

「は?」

「う、うん。なんでもない」


 麻白は何かを誤魔化すように首を横に振った。そして、すぐに俺の元に近寄って来た。アーモンド色の瞳がとらえた。


「合格。あとは魔力酔いに慣れるだけね」

「どうやったら、なれるんだよ?」

「それは——こうするのよっ!『大地の精霊よ、目覚めよ』」

 

 麻白は何をとち狂ったのか、魔法を唱え始めた。


 突如として、屋上が揺れた。

 そして、コンクリートが物質変換と言えば良いのかわからないが、徐々に3メートルほどの人型の無機質な塊——ゴーレムが『ゴアアア』という嫌な音を上げて立ち上がった。


 おいおい、冗談だよな?

 この巨大な土の塊——ゴーレムが俺に対峙するようにその巨体を向けた。


 麻白は口元をニヤッと、浮かべて言った。


「次は、攻撃を交わしながら魔力を使う練習よっ!」

「俺を殺す気かっ!?」

「ふん、あくまでも訓練に決まっているでしょ」

「そもそも、どうやって魔力を使ったまま行動する——っ!?」


 咄嗟に横に身体をずらしたから良かったものの、俺の言葉を待たずに、無機質な塊がその太い腕を振り回す。


 ——ああ、そうかよ。

 この塊からの攻撃とやらを交わしながら、魔力を使えればいいんだろ。


 いや、それにしたって、明らかに先ほど教わった炎の塊を打ち込んでも意味なさそうなんだが——


 そんなことを考えている間にも、次の攻撃が続く。

 先ほどよりも、スピードの上がった太い腕がこちら目がけて追ってくる。


 ——とりあえず、片っ端から魔法を打ち込むしかない


 風を切る馬鹿でかい腕をなんとか右へと交わして——


「『踊れ、炎の妖精』」


 炎の塊を土の塊にぶつけた。


 ——っく


 土埃のような煙で視界が覆われた。


 結局、こうなるのかよっ!

 

 身体を無理やり捻って、迫り来る塊を左によけて——


 あ……防げないっ!?


 少し離れたところで、麻白が今更気がついたような声を上げた。

 

「あ……防御系の魔法はまだ教えてなかったっけ?」

「おい、ポンコツ!ふざけてんのかっ!?」

「し、仕方ないでしょっ!『大地よ、守護せよ』」

 

 麻白が慌てるような声で、俺とゴーレムの間に土の壁のようなものを出現させた。


 ゴアアアンと歪な音を上げて、壁に土の塊が衝突した。


 ——っち。


 頬に風があたり、土の塊が身体中をかすった。

 視界を覆っていた煙が徐々に収まり、シルエットが浮かんできた。

 土の塊——ゴーレムの腕が、壁に飲まれ込まれるように突き刺さり、動きを止めていた。


 なるほど、ただの壁じゃないらしい。

 壁に向かって赤い粒子が入り込んでいるようだ。

 ゴーレムに込められた魔力が吸い込まれているようだ。


 クリーム色の髪をかきあげて、麻白のアーモンド色の瞳が俺をとらえた。


「と、とりあえず、防御はこれで問題なさそうね」

「全然、よくねーよ!」

「な、何よ!」

「殺す気か!?」

「実践練習なんだから、このくらいはいいでしょ」


 ふんと言って、麻白は俺から顔をそむけた。

 そのくせに、チラチラと視線を向けてくる。


 なんだその雑な反応は……。

 まあいい。

 こっちだって、百歩譲ってタダで教わっているのだから、多少の危険などに腹を立てていたって今更すぎるのだろう。

 

 そう結論付けた。

 麻白の態度を無視して、制服に被った土埃を払って、立ち上がる。

 

 どうやら腕を擦りむいたらしい。

 赤い血がポタポタと腕から手につたって流れていた。

 地面に僅かな血痕ができた。


 そんな様子に気がついて、先ほどよりもソワソワとした。

 そして何かを思いついたように、ハッとした顔をした。


「あ、そういえばー。私回復系の魔法の練習しないとなー」


 麻白は回復するための魔法を使えることをアピールしたいのか、俺の前を行ったり来たりし始めた。


 いや、めんどくさい性格だな。


 一瞬、夜の保健室に忍び込んで消毒液やガーゼを拝借しようと思ったが、目の前を行ったり来たりしている麻白へと腕を差し出した。


「な、なに?」

「回復魔法を使えるんだろ?」

「し、仕方ないなー」


 なぜか麻白は嬉しそうなになるのを堪えるような声で、俺へと魔法をかけた。


「『原初へと戻れ』」


 青い粒子が俺の身体の周囲を覆った。青い粒子が数秒ほどして雲散霧消した時には、すでに出血していた。


 ほお……これは使えるかもしれない。

 覚えておいて損はないだろう。

 まあ、実際に使いこなせるかは別の問題かもしれないが……いつぞやの旧校舎での戦いの時のように、身動きを取れなくなった時に、最悪駄目元で使ってみる価値はありそうだ。


 そんなことを考えていると、じっとアーモンド色の瞳が俺を見ていることに気がついた。


 別に今更誤魔化したって意味ない。それに嘘をついたってバレるのは明らかだ。

 それにもかかわらず、俺は話題を切り替えるように早口になってしまった。


「この後はどうする?」

「ご飯食べないの?」


 ちょこんと首を傾げる姿は、こうしていれば普通に可愛い女の子に見えるのにな、などと思った。


 俺がじっと見ていたからだろう。

 麻白は頬の僅かに赤く染めて、何かを誤魔化すように早口で言った。


「そういえば、若菜ちゃ——コホン、若菜からも連絡が来たの。その情報共有も兼ねているんだからねっ」

「さいですか」


 別にわざわざ『ちゃん』付けで呼んでいることを隠す必要なんてないのにな、と言う反論の言葉は何とか飲み込んで、俺の空虚な声は秋の夜空に消えた。



 駅前のファミレスでは、仕事帰りのサラリーマンやOL、どこかの大学生たちなど様々な人たちがいた。


 俺と麻白は、窓際のテーブル席へと誘われた。

 いくつかの料理を注文して、俺たちはお互いに黙った。


 なぜか麻白はその沈黙から逃れるように、手元の分厚い本を開いて、目を通し始めた。

 俺は手持ち無沙汰になり、スマホの画面を開いた。


 そんなことをしていると、料理が運ばれてきた。

 全ての料理が運ばれてきたことを確認してから、麻白は結界を張ったようだ。


 以前のように、周囲の音が全て遮断され、赤い結界のような粒子が周囲を覆っていた。


「それで、具体的に情報共有とやらの内容はなんだ?」

「そうね……まずは、教会から盗まれた聖遺物の件」

「盗まれたものがわかったのか?」

「うん、西洋に伝わる『ソロモンの指輪』と呼ばれるものに近いのだけど、ちょっとばかり厄介な指輪」

「そうか」

 

 ソロモンの指輪ね……確か悪魔を使役できるとかなんとか言われているものだよな?


 西洋で言うところなどとけったいな表現をしているところを察するに、その日本のバージョンとでも言うのだろうか。


 まあ、そこらへんの知識を入れたところで、あまり俺とは関係なさそうだし、軽く受け流す程度で十分だろう。


「どうやらシンジくんも『ソロモンの指輪』のことを知っていそうだけど……今回盗まれた指輪は、周囲から魔力を集めて、その魔力を使うことで悪魔を使役するためのもののようなの」


「その指輪を持ち出したやつが、藍香を殺したと思うか?」


「ちょっと違う気がする……」と麻白は呟くように言った。


「随分と曖昧な返事だな。やはり麻白の妹さん——『紫苑』さんの可能性が高いのか?」


「紫苑は……盗んでいないと思う。教会で使用されていた魔力の痕跡は雑というか、まるで見習いの魔法使いのような雑な魔力の使い方に近かったし、『藍香』さんの部屋の魔力の波長と違ったから」


「そうか」

 

 魔力の波長が異なると言うのが、一体どの程度信頼できる根拠なのかはわからない。

 しかし、麻白だけでなく、きっと若菜や国家魔法師の優衣先生も同意見なのだろうから、今更、俺が疑っても仕方ないことなのだろう。


「とりあえず、冷める前に食事にしよう」

「そうね」


 麻白は儚げに微笑んだ。


 ……全く、たまに塩らしくするのは勘弁してほしい。

 どう接すれば良いのかわからず、やりずらい。


 俺たちはひとまず食事を始めた。

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