第16場 衝突

 赤い微粒子が空中を舞い、紫色の光源が俺の頬を横切った。


 一瞬のことで何が起こったのか判然としなかった。


 ただ何かが首元を流れ落ちる感覚がして、右手を首元に当てた。

 掌に赤い血がべっとりとついた。


 その瞬間、頬にやけるよな痛みを感じた。


「——!?」


「あらあら、外れてしまいましたね……」


 魔女はフードの奥から心底がっかりしたように呟いた。

 とっさに、俺は背中を向けて足を動かした。


 ——いつから、部屋にいた?


 いや、なぜこのタイミングで俺の目の前に姿を現した?


 俺は音楽室から出て、力任せにドアを閉めた。


 それから『とん、とん、とん』とヒールが床に擦れる音がドアの前で止まった。


「ふふふ、追いかけっこ始めますか?」と子どもが遊んでいる時のような高揚感のある声で言った。


 その瞬間——ドアがはじけ飛んだ。


「——!?」


 とっさに身をよじって、大きな木片を避けた。


 しかし、ふくらはぎには小さな木片が刺さり、骨折をした時のような痛みが全身を支配した。


 くっそ、今は少しでも遠くへと逃げるしかない。


 俺は右足を引きずるようしても動かした。

 すると逃げるのを見計らったようにして、『とん、とん、とん』と魔女も歩み始めた。


 魔法のせいなのか分からないが、段々と視界がぼやけ始めた。


 それに、心なしかさきほどよりも重く感じる両足。


 ちっとも先に進んでいないように感じる。


 それでもなんとか両足を動かして、前へと進む。


 ——くそ、良い的のはずなのに、一度も背中に攻撃を当ててこない。その代わりに狙ったかのように、左右の頬をかするようにして交互に魔法を放っている。


 決して頬から外れない距離感を保ちながら、それでいてゆっくりと近づいてくる。


 俺の頬をかすった魔法は一直線上に校舎の壁にあたった。


『バン』と鈍い音とコンクリート破片が廊下に散らばる音が響いた。


「お前は——嗜虐趣味でもあるみたいだな?」


「ふふふ、そのようなことはないですよ?ただ『好きな人』が苦痛で顔を歪める姿を見るのが、すごく好きなだけですよ?だから、今、すごく気持ちがいいの、ふふふ」


 完全に狂っている。


 魔女というのは、こんな奴らばかりなのか。


 麻白や若菜がマシな魔女であることがよくわかった。


 くそ、どうする……足が動かない。


 何としても『この手がかり』を手放すわけにはいかない。


 この瓶の中に入っている青色の光源が何を意味しているのか。


 それを確かめるまでは、なんとしても手放すわけにはいかない。


「ふふふ、もうどこにも逃げることができる場所などないですよ、赤洲さん?ふふふ、階段は先ほど通り過ぎてしまいましたからね?ふふふ、どこに行こうと言うのですか?」


「……」


『とん、とん』と背中越しに足音が迫る。


 旧校舎は4階建ての『コ』の構造になっている。

 おそらく新校舎が見えるから、『コ』の南側に追いやられてしまった。


 新月の黄色い明かりが廊下へと射し込んでいる以外、周囲がやけに暗い。

 新校舎に警備員がいるはずだが、こちらへと一向に来ない。


 先ほどから派手な音が数回響いているはずなのに不自然だ。


 いや……おそらく魔法で音や明かりをこの旧校舎から、漏れないようにしているのだろう。麻白が喫茶店で展開した魔法のように音や気配、存在そのものを遮断する効果を有しているとしか考えられない。


 ——くそ、これ以上思考が進まない。


 まぶたが重くなり、視界が霞み始めている。


 それに身体中の痛みが、頭にまで拡大しているかのような気もする。

 だめだ……立っていられない。


 むき出しになっているコンクリートを背にして、なんとか姿勢を支えようと試みた。しかし、両手に抱えた瓶を落としてしまわないようにすることで精一杯だった。


 背中がコンクリートに擦れて、俺の視線が徐々に地面へと近づいて行く。


「ふざけるな……こんなところで——」


「ふふふ、もう限界のようですね、赤洲さん?楽しい一時をありがとうございました。ふふふ、次はベットの上で遊びましょうね?」と魔女はローブの奥から慈しむような声色で言った。そして、俺の目と鼻の先まで近づき、抱えている瓶を取り上げて、言葉を続けた。


「この『器』は返していただきますよ?もう、これ以上のお遊びはいけませんよ、いくらあなたが——」


「『風よ』!」


 最後の力を振り絞り、頭の中に思い浮かんだ言葉を言えた。

 麻白が使用していた風の魔法だ。


「——!?」と声にならない驚きとともに魔女へ強い風が襲った。突風が一瞬にして魔女の顔面をかすった。そのはずみで黒いフードの一部を破り去った。風に流されるように、ふわりと金色の長い髪が現れた。


「いつの間に——」と魔女が何か言った気がする。


 周囲の音が段々と遠くなった。


 だめだ。

 まぶたが重くなり、焦点が合わない。

 

 視界が不鮮明になり——意識を手放した。

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