第15場 嘘

 真夜中の校舎は、不気味さよりも蒸し暑さの方が厄介だと思った。


 頬を流れ落ちる汗を手で拭い、スマホの明かりを消した。


 赤い糸が校舎のいたるところに張り巡らされており、その赤い光があれば校舎内を徘徊するには十分の明るさだ。


 それにもしも新校舎を見回りしている警備員に見つかったら厄介だからな。


 いや、そもそも普通の人間——魔力とやらを認識しない人間がこの校舎に入ることができるのかどうかは判然としない。


 麻白が日中使用した認識疎外の魔法とやらの効果が本当にあるのかもしれない。


 そうであるならば、警備員に見つかってしまう心配なんて取り越し苦労に違いない。


 しかしそんなことを考えたところで今更遅い。


 夜中の学校の敷地に入り込んでいる時点ですでに不法侵入になる。


 すでに法的リスクを冒しているんだから、スマホの明かりを消して気配を消すように移動したところで、意味などないな。


 昇降口の玄関窓はひび割れている。

 その隙間から生ぬるい風が吹き抜け、俺の頬にあたる。


 誇り臭さと生ぬるさが混ざり合い、蒸し暑さを一層際立たせている気がした。


 クダラナイ思考を中断させるには十分だ。


 今はすでに使われていない下駄箱を横目にして、とりあえずは、赤い糸が密集しているであろう教室へと向かうのが先決だと思った。


 赤い糸を辿るようにして、俺は土足のまま1階の昇降口から階段を上がり始めた。



 二人の少女は制服姿から黒いローブを羽織った。


 一人——今上麻白は、部屋の隅に置かれた茶色のソファーへと腰を下ろし、もう一人——最上若菜は、ソファーから少し離れたテーブル席へと腰を下ろした。


 クリーム色の髪を少しかき上げて、麻白は呪文を唱えた。


「『顕現せよ』」


 その瞬間、分厚い魔導書が空中に出現した。茶色がかった表紙のその本は、中へと浮いたまま、麻白の太ももへとゆっくりと落ち着いた。


 麻白は白い手を本へと添えた。その動作に呼応するように、本のページは自動的にパラパラとめくられ始めた。


 ところどころ青白く文字が浮かび上がった。その青白い光を見て、麻白は、わずかに細めるような動きを何度か繰り返した。


 若菜は怪訝そうな麻白の表情に気づかないふりをして、麻白が口を開くのを待った。


 数秒ほどしてから、ぱたんと魔導書が閉じられた。そして、音を立てることなく、魔導書は徐々に光の粒子となって雲散霧消した。


 麻白は桜色の下唇を甘噛みした。何かをためらうように口を閉じたままだった。


 若菜は心配そうな声で口を切った。


「麻白ちゃん……?」

「あ、うん……」と麻白は口をつぐんだ後、視線を若菜へと向けた。若菜は「……どうしたの?」と動揺した麻白の瞳を見つめ、麻白の小さな唇が動くのを待った。


「……神冶くんは、学校に向かったみたい」

「そっか……」

「約束したのに……一人で行動しないと——」

「でもさ、これを見越しての『おとり』作戦だし、問題ないんじゃない?」

「う、うん……でも——」

「そもそも、神冶君への『近づき方』に問題があったんじゃないの?屋上で自分のことを『魔法使い』だなんて普通告白しないでしょ?そこまでして、神冶君に気付いてほしいの?」


 うん、と麻白は小さく首肯し、わずかに頬を赤く染めて、視線を手元に落とした。

 若菜は親友の奥手な性格を若干愛おしく感じて、少しいじらしく言った。


「でも、今日の印象では、当分無理そうだよねー。神冶君に心を開いてもらうの……?フィルターというか、壁を作っている感じがしたからねー」


「そうなんだよね。警戒心強いんだよね……どうしよう」


「……やっぱり『藍香』さんのことが一番の問題だよね……『紫苑』ちゃんのことも、どうにかしなきゃならないしー。このままじゃ本当に『今上家』だけの問題じゃなくなるよー。それこそ『魔法協会』が動き出している以上、『昏睡事件』に加えて、学校に『認識疎外』の魔法を展開しているとなると……これ以上、私も隠しきれる自信ないよー」


「うん……そうだよね。それに、もしもこの地域を監視している『国家魔法師』が、『昏睡事件』と『紫苑の失踪』と『学校に展開している認識阻害魔法』のつながりに気が付いてでもしたら——」


「まだ『紫苑』ちゃんが全ての犯人と決まってわけじゃないでしょー?まあ、『闇派閥』の仕業という可能性も十分にあるんだから、ね?」と若菜が気遣うように言った。そして、付け加えるようにして、「そもそも、『国家魔法師』が私たちの敵になるって決め付けてしまう必要もないんじゃないかなー?利用できるかも、だしねー」と続けた。


「そう……だよね。ありがとう」と麻白はクリーム色の髪先をわずかに触れた。麻白は暗い思考から逃れるように話題を探った。そして、すぐに、はっと思い出したように声を上げた。


「あ、そう言えば、若菜だって神冶君への接触の仕方おかしいでしょ!?」


「あはは、ごめんごめん。本当はもう少し自然に近づくつもりだったのだけど、あまりにも大きな魔力量を持っているから、つい驚いちゃったんだよねー」


「人のこと言えないじゃない……」

「まあまあ、そこら辺は水に流そうよー、麻白ちゃん」


「はあ……もう」と麻白はあきらめたように呟いた。それから、居住まいを正して「……本題に入るけれど、これから旧校舎に向かうということでいいよね?」と言った。


「うん、サンセー。でもその前に、魔法陣の解析はどうだったのー?」


「やっぱり……『祭壇』だった」


「だよねー。明らかにやばそうな雰囲気をピリピリ感じるから、十中八九そうだと思ったよー。赤い魔法陣というだけでも明らかに人命に関係しているわけだし……まさか犯人も校舎内に侵入した素人相手に、すぐに襲うということはないだろうけどー」


「ええ、そうだといいけどね……」と言って、麻白はソファーから立ち上がった。その姿をみてすぐに、若菜もまた椅子から立ち上がった。


 二人の周囲に微粒子が舞い、半透明な空間が生まれた。

 二人は顔を見合わせて、その空間の中へと足を踏み入れた。



 二階には何もなかった。


 ほこりと古臭い土のような臭いが蒸し暑さを際立たせている以外、これと言って特質するものもない。


 最上階である三階に何かしらの痕跡があるのであろうか。


 心なしか、二階よりも三階へと続く階段の方に脈のような赤い糸が密集して続いている気がする。


 実際、二階から三階へと続く踊り場に立つと、明らかに雰囲気が異なっているのがわかった。それに何よりも——二階との温度差を感じた。少し肌寒い空気が先ほどまでの蒸し暑さを忘れさせるほどに気温差を感じる。


 おそらくだが、この踊り場でさえすでに二〇度以下だろう。となる、三階はもっと低い温度なのか。


 夏が終わったとはいえ、いくらなんでも初秋の真夜中とはいえないほど不自然な温度だ。


 これも魔法使いが何かの目的を持って意図的に引き起こしていることなのだろうか。


 それにしても——確信に近いが、やはりこの上の階に誰かがいる。

 先ほどからおれのことをどこからか監視しているような視線を感じた。


 この踊り場に立ってから、『それ』をはっきりと認識できた。


 なぜスムーズに校舎に侵入することだできたのか……今になって分かった気がする。


 おそらくは誘導するためなのだろう。

 目的は判然としないが、俺に接触する何かしらの理由があるのかもしれない。


 足に力を入れて、階段を登り始める。

 キュキュとスニーカーの底がタイルへと擦れる音だけが静かに響く。


 今更ながらに気が付いたが、土足痕をどのように消すべきかを考えていなかった。

 そんな手遅れな思考をしていると、ついに最上階へとたどり着いてしまった。


 赤い糸の中心は、この階のどこへと続いているのか判然としない。ただ、まるで人体の血管のように、校舎全体が生きているかのような錯覚がする。


 とりあえず、『コ』の字の上側から順番に見て回ることにした。


 おそらくは第一準備室と書かれた古びた部屋の前に立ち、左からに右に引き戸を動かした。すると、ガラガラと立て付けの悪い音を立てた。


 部屋内を見渡しても特に何もない。


 次に、その隣の第二準備室と書かれたドアの前へと移動した。先ほどと同じように、立て付けの悪いドアを開けても、室内には特に何もない。


 そして——音楽室と書かれているドアの前に立った。


 このドアは開き戸となっているようだ。

 ……少し扉が開いており、青白い光が漏れている。


 ここに誰か——魔法使いがいるのか……


 若干汗ばんだ掌で、扉を握り締めて、一気に引いた。


 『キュー』という甲高い音が響いた。


 室内には、人の気配はない。


 それよりも、目を引くのは、部屋の中央だった。部屋の中央に瓶が置かれている——いや空中に浮かんでいた。


 床から1メートルくらいの位置だろう。


 半透明な瓶の内側から青い光源が発生している。その瓶を囲うようにして、赤い糸が脈のように校舎へと拡散し、連なっている。


 この瓶が中心点とでも呼べばいいのだろうか。


 引き付けられるようにして、俺は青い光源へと近づき、そして、瓶へと右手を伸ばし——なにも起こらなかった。


 熱は若干感じるが、これが原因でこの肌寒い空間を作り出しているわけではなさそうだ。


 それに、赤い糸にも特段、変化はなさそうだ。


 俺はゆっくりと瓶を空中から下ろした。


 


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