第3幕 終焉へと向かう行進曲

第21場 日常

 教会内を散策してから、すでに数日が経過していた。


 探偵のように市内で多発する昏睡事件に首を突っ込んでいても、学校は通常通り進む。そんな当たり前のことがいつの間にか頭の中から抜け落ちていた。


 選択科目として受講している美術の課題の提出期限が明日に迫っていることに今更ながら気がついた。


 厄介なことに、人物デッサンの課題だった。


 麻白に手伝ってもらおうとしたが、聖遺物の問題もふってわいてきたため、足早に帰宅してしまった。もちろん、他校の生徒である若菜に頼むこともできない。


 そんな俺の内心の見透かしたように、芽実は金色髪をかきあげて、ちょっと馬鹿にしたように言った。


「手伝ってあげるから、感謝なさい」

「……お願いします」


 俺の返事を満足気に聞いて、芽実はニヤニヤと口元に笑みを浮かべた。


 そして放課後の美術室ーー芽実は椅子にちょこんと座っていた。

 室内には人気がない。

 今日は俺たちだけの貸切だった。

 

 遠くの校庭からわずかに漏れ聞こえてくる部活動の声を背景音にして、俺は黙々と芽実を描いていた。


 すると、つまらなそうな声が聞こえた。


「ねえ、シンジ、あんた最近、忙しそうにしているみたいね?」

「まあな」

「ふーん……藍香ちゃんのこと?」

「違う」

「そんな嘘が私に通用するとでも思っているの?」

「……」

「あんたのお父様に面倒を見るように頼まれているんだから、コソコソと動き回っていることについて、ちょっとは私に対しても説明する義務があるんじゃない?」

「別に何も説明することなんかない」

「あっそ」と芽実は金髪の長い髪をわずかにかきあげた。色白い脚を組み直して、スカートの中から白い何かがチラッと見えた気がした。

 

 きっと、何かを言い訳したところで、青葉芽実という女は、変なところで頑固は性格ゆえに一度結論を出したことに対して、意見を曲げることはないだろう。

 

 少なくとも青葉芽実と出会ったあの頃ーーあれ、いつからだったか、忘れてしまったが、なぜかそんな印象を持っている。


「とりあえず、もう少しで描き終えるから、待ってくれ」

「ふーん」

「ああ」

「まあ、いいわ……ところで、これが終えたらどこに付き合って貰おうかしら」

「そんな話聞いてないぞ」

「タダであんたに付き合うわけないでしょ?」


 ジトーっとした視線が、俺を捉えた。


 仕方がない。課題を手伝ってもらっている身だから、ここで口論をして帰られては困る。背に腹は変えられない。時には犠牲も必要なのだろう。


「わかった。高いところは勘弁してくれ」

「そうね……最近、観たかった映画があるの。それに付き合ってちょうだい」


 どこか楽しげな声だった。



 意外と面白い映画だった、というのが率直な感想だった。

 陳腐な青春ラブコメかと思ったら、ミステリーだったのには驚いた。


 まあ、そんな映画の構成上の感想よりも、芽実のイラついた感情を落ちかせることに成功したことの方が重要だった。


 『何も無茶なことをしていない』という俺の頑なな態度に納得していない様子だったが、なんとか映画を観ることで少しは気が紛れてくれたことを切に願うばかりだ。


 映画館を出るところで、少し先に歩いていた芽実を追うようにして足を踏み出した時に、背中越しに声がかけられた。


「おー、シンジ!」


 振り向くと、チャラチャラとしたパーマ姿の宗吾がいた。宗吾の隣には、いつぞやの櫻葉学院の女の子がいた。女の子がちょこんと、頭を下げた。


 どうやら上手くいっているようだな。


「ああ、宗吾か」

「『ああ』ってなんだよ」とおかしそうに笑った後、俺の隣に並んだ芽実に気が付いたように言った。「えっと……そちらの女の子は?」

「あれ、中学の頃、会わなかったか?」

「どうも、このバカの幼馴染の青葉芽実です」

「へー、こんな可愛い幼馴染がいたなんて、今まで知らなかったぜ。相馬宗吾です。こちらが俺の彼女のーー」「鷹矢萌香です」と言って、芽実ほどではないが明るく染められた茶髪の髪をサラサラと靡かせて、挨拶をした。

「ええ、よろしく」とサバサバと芽実が答えた。


 あれ、以前にも宗吾たち三馬鹿には芽実のことを紹介した気がするが、記憶違いだったか。

 まあ今はそんなことはどうでもいいか。


 こいつが呑気にこんなところで遊んでいるところを見ると、きっとサッカー部の練習はないのだろう。

 

 宗吾はチラッと目配せをして、映画館の片隅に配列されたソファーの方へと視線を動かした。


 どうやらそっちへ来てくれ、ということらしい。


「あー芽実。すまないが、少しここで待っていてくれ」

「全く……仕方ないわね。どうやら、シンジと萌香ちゃんの彼氏には密談する必要があるようね?」


 芽実はニヤッと嫌な笑みを浮かべて、萌香さんへと視線を向けた。萌香さんは、チラッと宗吾を見て「早くしてね」と言った。


 宗吾は頷いてから、俺を連れ出すように歩き出した。


「それでわざわざ二人きりになってでも共有したいことはなんだ?」

「いや、あの時も少し浮かない感じだっただろ?だから、今日、お前が普通に笑っているのを久々に見ることができて、よかったなと思ってな」


 ガシガシと髪をかいて、宗吾は口早に言った。

 左中指にはめられた指輪がわずかに蛍光灯の光を乱反射させた。

 

 ああそうだ。

 こいつはそういうやつだった。

 見た目は派手そうなくせに、繊細というか、心配りするような、いや他人の心配をするようなお人好しだったんだ。チームメイトだった頃から何も変わらないようだ。


「……サンキュー」

「あ、それと若菜ちゃんには、内緒にして置いてやるけど、藍香ちゃんがいなくなってから、どれだけその毒牙にかけているんだ?」


 変な雰囲気を壊すように、宗吾がニヤニヤと笑みを浮かべた。

 

 前言撤回だ。

 そうだ、こいつは面倒ごとに首を突っ込むようなやつだった。

 何度、他のクラブチームの選手たちと面倒ごとになったか。


「別に若菜と付き合っているわけでもないし、俺が誰と一緒にいようが関係ないだろ」

「ほー」と考え深いような声をあげて、宗吾がチラッと芽実たちを見た。そして何も言わずに黙った。

「なんだよ?」

「いや、なんか少しだけ芽実って子の横顔が藍香ちゃんに似ているなと思っただけ」

「幼馴染だから、似たのかもな」

「へーそんなもんか」


 宗吾は話題を切り上げるようにして、萌香さんたちの元へと向かった。

 俺もまた楽しげに話している芽実へと近づいた。


 映画館のエントランスは、ショーウィンドウのようにガラス張りになっている。

 とっくに日は落ちていた。

 透明なガラスからは空に輝く秋の夜空が見える。


 いつだったか、藍香と一緒に空を見上げたことをふと思い出した。

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