第20場 教会

 カーン、カーンという鐘の音が新しい教会から鳴り響き、こちら側の古い教会内まで響いてきた。


 少し埃くさい臭いとじめじめとする湿気が混じり合い、身体中をまとわりつくような気がして嫌気がさす。


 黒いローブを羽織った麻白と若菜は、それぞれ教会内を注意深く観察している。


 俺は手持ち無沙汰になって、放置されっぱなしだったままの埃の被った聖書らしき本へと視線を落とした。


 いやどうやら、聖書ではないようだ。

 見たことのない文字で、びっしりと書かれている。


「なあ、この本、魔導書というやつじゃないのか?」

「どれどれー」と言って少し離れたところにいた若菜がこちらへと駆けつけた。


 積もっていた埃を手で払って、本を持ち上げた。

 意外にもずっしりとする重さだ。


「うわー。こんなところに、使用済みの魔導書に出会うと思ってもいなかったよー」


 呑気な声で若菜は、俺の手からやや重みのある魔導書を難なく受け取った。

 パラパラとページをめくるにつれて、表情が険しくなった。


「……どうかしたのか?」

「ちょっと、ねー?」とはぐらかすように、若菜は麻白を呼んだ。


 俺はまたしても手持ち無沙汰となり、優衣先生のところへと近づいた。

 優衣先生はチラッと顔を上げてから、すぐに教会内の壁に視線を戻した。


「赤洲さん……あなたはなぜ彼女たちに従っているのですか?」

「別に自ら志願して従っているわけじゃないです。ただ、厄介なものを契約させられたみたいなんですよね」


 優衣先生に見えるように、腕を伸ばし、掌を見せた。

 優衣先生は壁から視線を上げて、掌をじっと見つめた。数秒ほどしてから、顔を上げた。メガネの奥で赤い瞳がわずかに細められた。


「……なるほど、魔女契約ですね」

「4つ制約があることになっているはずですが……」

「残念ながら、5つほど課されているようです」

「まあ、そんなところだとは予想していました」

 

 やはりあの今上麻白というポンコツ魔法使いを信用することはできないな。


「でも、安心してください。赤洲さんに一方的に不利な契約を課されているわけではありませんね」

「どうだか?」

「ふふ、私の専門は、空間操作系の魔法と契約魔法です。ですから、読み間違えることはありません」

「へーそうですか」

「はい」

「で、その契約魔法とやらはなんですか?」

「把握していない契約が、どんな内容かは尋ねないんですね……」

「ええ、それを知ったところで今更意味なんてないでしょ?」

「まあ、いいでしょう。それで、契約魔法についてですが、一種の法律学みたいなものです」

「なるほど」

 

 法律学ね。

 法律の解釈と同じで魔法にも解釈の仕方が複数あるとか、そんなところか。それで優衣先生の解釈によると、俺に不利になるような魔女契約の内容ではない、とでも言いたいのか。


 まあ、どうだっていいか。


 利害関係で行動を共にしている以上、麻白も若菜も、そして優衣先生、あんたらは全員利用させてもらうだけだ。


「赤洲さんは、もう少し他人を信用するということをした方がいいですよ?」

「ご忠告ありがとうございます」

「……少なくとも、私は教師としてあなたの味方ですから、その点だけ覚えておいてください」

「そうですか」

「ところで、このキーホルダーに見覚えはありますか?先ほど、拾ったのですがーー」


 優衣先生は、ハート型のキーホルダーを差し出した。

 

 どこかで見たことのあるキーホルダーだ。

 きっと、大量生産されているものであり、学校の誰かが持っているところを見ただけなのかもしれない。


 それにしても、くたびれた教会には似つかわしくないものだな。

 信者の誰かが礼拝の時に落としでもしたのだろうか。


 いやこちらの礼拝堂はすでに使用されていないんだっけか。新しい礼拝堂が少し先の敷地内に新設されているはずだ。


 俺の表情を察して、優衣先生は何も言わずにキーホルダーをポケットへと入れた。


 ちょうど、その時、麻白と若菜は話を終えたらしい。

 二人は神妙な面持ちで、俺たちのことを呼んだ。

 

「どうやら、この教会の地下に今は使われていないカタコンベがあるようなの」


 麻白は少し気味悪そうに言った。



 ポタポタとどこからか、雨漏りでもしているのか、薄暗い地下に雨音が響いた。

 何度目かわからないが、麻白は悲鳴にならない声を上げた。


「……っひ」

「いいかげん、離れてくれないか?」

「ち、近づいてなんかいませんからねっ!」


 大して意味のない抗議の声を上げて、さっと俺から離れた。

 身体だけ離れたものの、しっかりと俺の制服の裾を掴んだままだ。


 意味がわからん。

 相変わらずポンコツなのに、なぜ見栄を張ろうとするのか謎だ。


 そんな俺たちのやりとりをニヤニヤと見て、若菜が言った。


「へー、麻白ちゃんでも怖いものあるんだねー」

「な、何を言っているのかなっ?ま、全くゆ、幽霊なんか怖くなんてないーーっひ」


 麻白が俺の腕を引っ張った。

 そんなことをするから、当然、ふくよかな胸が押し当てられた。

 

 このポンコツ魔法使いは、どうやら自分が相当軽々しく胸を異性に触らしていることに気がついていないらしい。


 それにしても、魔法使いが幽霊を怖がるって、なんて滑稽なことか。


 こんな奴が、魔法使いの中で有数の家系の跡取りだなんて、魔法使いの世界は大丈夫なのか。

 

 いずれにしても、今はーー


「……おい、ビッチ。先ほどからその豊満な胸が当たっているんだが?」

「なっ!?」


 カーッと顔を赤く染めて、俺から離れた。そして、キッと目を細めて、麻白は自分のふくよかな胸を抱き締めるようにした。


「ほ、ほんとにデリカシーがないっ!」


 そう言って、麻白はずかずかと薄暗い地下を歩き始めた。


「意味がわからん」


「赤洲さん……」となぜか優衣先生が呆れたような声でつぶやくのが聞こえた。そして若菜もまた若干、引き攣った笑顔を浮かべていた。


 どうやら、俺が悪いらしい。

 理不尽すぎるだろう。


 てか、この地下道はどこまで続くんだ。



「魔法の痕跡があるね」


 麻白は確かめるように言った。

 

 なるほど、どうやらそのようだ。

 俺の視界にも赤い糸のような細長い紐が空洞となった空間の中央から端へと向かうように放射状に広がっていることが映った。


「藍香さんの部屋と似ているねー」と若菜が言った。

「『旧校舎』のものとは違うのか?」

「はい、『旧校舎』のものとは違いますね。これはどちらかと言えば、『藍香』さんの部屋の方に近い系統の魔法になります」


 優衣先生は確信しているかのように言った。

 それに同意するように、麻白が補足した。


「はい、確かにこの魔法は……紫苑の魔力の特徴に似ています」

「そうか」

「ええ」


 部屋の中央に置かれた棺のような箱の蓋がわずかにずれていた。

 俺は好奇心に負けて、大きく蓋をずらして覗き込んだ。

 明らかにそこに置かれていた何かがなくなっているかのように、すっぽりと空間ができていた。


「なあ、ここに何かあったものが持ち出されているんじゃないのか?」

「すこーし見せてー」と言って、若菜が顔を出した。それに釣られるように、麻白もこちらへと来た。麻白は垂れ目をスッと細めて言った。

「この魔力量は……おそらく聖遺物があったんでしょうね」


 確か、あれか。

 高明な聖人が身につけていた遺品や遺物のことだよな。

 そもそもこんな辺境の日本にそんなすごい人物が存在していたのか。

 いや歴史のことなんか今はどうでもいいだろう。

 

 なぜ、聖遺物などという過去の遺物がなくなっているのかということの方が問題なのかもしれない。


 まさかたまたま魔法の行使とは別に、墓泥棒が入ったわけでもあるまい。


「これは困りましたね……まさか、こんなところで聖遺物が保管されていたとは……」


 優衣先生はわずかに今までのどこか余裕のある気配から一変して、険しい声色になった。


「その聖遺物が使われたら、どうマズイんだ?」

「それは……」と麻白はなぜか何かをためらうように沈黙した。


「おそらくだけどーー」と若菜は困ったような表情で「もしもこれから、魔法師である魔女が聖遺物を奪って大規模魔術を行使するのだとしたら、この都市は滅びるかなー」と言った。


 どうやら相当厄介な状況らしい。

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