第18場 先生

 モノクロの部屋だった。


 おそらく15畳ほどの部屋だろうか。キングサイズほどの大きさの白いベットと肌心地の良いシルクのような白いシーツ、部屋の片隅に黒い本棚とその横に黒い机と黒い椅子がある。黒いカーテンが窓を覆っていた。


 俺は肌触りの良いシーツをどけて、ベッドから降りた。


「あの後、どうなったんだ……」


 いや、そもそも、ここはどこなのか。

 手がかりになりそうなものを探そうと、まずは黒い本棚へと足を向ける。


 本棚に置かれた本はどれも専門書のようだ。タイトルを見ると『魔法と数学』や『魂の存在』などのオカルトチックなものばかりだ。英語の論文やドイツ語の論文もあるが、それもおそらく同様だろう。


 隣の机には、書きかけのノートが開かれている。


「『魂の書き換えに関する考察』……?」


 一体全体、厨二病のようなこの部屋はなんだ。

 机の上には、ヘアーゴムがある。


 ここは、魔女の家なのか?

 俺を殺そうとした魔女のものなのか。

 それとも麻白か若菜なのか。あるいは別の魔法使いなのか。


 いや——前者の可能性は除外してもよいだろう。


 俺の身体を治すような行動をとっているのだから、わざわざ襲っておいて自分で治療するような矛盾を冒すとは考え難い。


 とりあえずは善良な魔法使いに助けられたと仮定して良さそうか。


 ただ『本当に』善良であるとは判断できない以上、逃げ道を探るしかない。


 そのように思考を切り替えて、東側に移動した。


 黒いカーテンをめくると、白い月明かりが視界に入ってきた。視線を下げると、街のネオンサインがちらちらと見える。ここはどこかの高層マンションの一室のようだ。


「それなりに高い階か」


 遠くに高校の最寄り駅『神楽駅』が見える。

 さらに視線を奥へと向けると——高校の敷地が微かに見えた。

 校舎は依然として赤い。


 あの後——俺が意識を手放した後に、何が起こったんだ?

 くっそ……ダメだ、思い出せない。

 その時、俺の気配を見計らったように、ドアが静かに開けられた。


「目を覚ましたみたいですね、赤洲さん?」


 部屋に入ってきたのは——髪の長い綺麗な女性だった。


「……誰だ?」

「そんなに警戒しなくても大丈夫ですよ?」


 ふふふ、と女性は小さく微笑んだ後、俺から視線を逸らした。そして、俺に背を向けて、机の上に置かれていた黒いゴムを手にした。黒い髪をかき上げて、サイドテールに結った。


 女性が振り返り、少し赤い瞳が向けられた。細い指先には、赤いマニキュアを施している。その赤い指先が、黒い縁の眼鏡を掴み、美しい顔へと掛けた。


「山田優衣……?」

「ふふふ、『先生』でしょ?」


 山田先生は、悪戯が成功した子供の用に無邪気に目を細めた。赤いルージュでも塗っているのだろう。耽美な唇を少し動かして、俺へと近づいた。柑橘類の少し甘い匂いが鼻腔をくすぐった。


「怪我は元通りにしましたが、どこか違和感はありませんか?」

「ええ、特に違和感はない——ありません」

「そうですか、それはよかったです……ふふ、無理に敬語じゃなくてもいいですよ?」と山田先生は流れるような手つきで俺の頬に触れた。


 少しひんやりとする掌だ。

 数秒ほど、黒い眼鏡の奥から赤い瞳が俺を覗くように凝視し続けた。そして、何かに満足したように少し口元に笑みを浮かべて言った。


「——強がっているわけではなさそうですね」

「ええ、ですから、この手をどけてくれませんかね?」

「ふふふ」と俺を挑発するように目を細めてから、ゆっくりと手を下ろした。それから、自身のベットに腰かけた。ふわりと赤い微粒子が舞った。


 何かの魔法を使用したのか。


 しかし俺にはどうしようもない。

 この置かれている状況にすら満足に理解が追い付いていないのだから、問い詰めたところで意味のないことは明らかだ。


 山田先生は突っ立ったままの俺を見かねてか、口を切った。


「座ったらどうですか?」と視線を机の前の椅子へと向けた。黙って椅子を引いて腰を下ろすと、山田先生は満足げに首肯した。


「山田先生、あなたが——」

「私から説明します。ただ、単に私から説明しても赤洲くんは信じてくれないでしょ?だから——」と両手を自身の前で大きく広げた。


 すると、空中に突然にして半径五〇cmほどの水晶が浮かび上がった。


 水晶は、少し青みの含まれた白く濁った色を帯びている。


 山田先生は、その水晶から俺へと視線を向けた。


「この水晶を通して、過去の映像を見せてあげます。その方が確実でしょう?……過去はかえることができないのですから」


 有無を言わせないかのように、赤い瞳が俺をじっと見ている。


 はじめから選択肢があるわけじゃないならば、回りくどいことなどしなければいいはずだ。ただ、おそらく教師という立場上、生徒である俺への配慮の意味を含めているのかもしれない。


 そんなどうでもいいことを考えながら、山田先生の赤い瞳に引き込まれるようにして黙って首肯した。


 その瞬間、水晶がパッと青白く輝き、視界が奪われた。

 逆光でよくわからなかったが、山田先生の唇が小さく動くのが見えた。

 すぐに俺の意識は遠くなった。



 真っ先に視界に入ってのは、俺——赤洲神冶がむき出しになったコンクリートを背にしてうずくまっている姿だった。


 視界には眼鏡のフレームが映っており、そこを通して周囲を見ている。


 おそらく——山田優衣先生の目線なのだろう。


 固定されたカメラのように俺の意思を持って視線を動かすことはできない。まるで映画館で映画を鑑賞しているように場面が進む。


 視界が暗転し、目の前に魔女がいた。


 ローブの一部が破れており、綺麗な黄金色の髪と桜色の唇が見える。

 おそらく、俺の身体と魔女の間に割り込んだのだろう。


「赤洲さんから離れなさいっ!」


 山田先生が俺の名前を呼ぶと同時に、突如として細かい氷の破片が無数に空中に現れ、それらの破片が一斉に魔女へと襲った。


「危ないですね」と魔女は涼し気な声で、とっさに一〇メートルほど先の廊下に姿が転移した。氷の破片はすべて一直線に校舎の壁をえぐり、むき出しのコンクリートとなった。


「……あなたの目的はなんですか?」

「ふふふ、内緒です。この『器』は返していただきましたので、お暇しますね」

「待ちなさいっ!」

「別の方々にもよろしくお伝え下さいね……国家魔法師さん?」


 魔女は意味深な言葉を残して、瞬く間に姿を消した。文字通り、跡形もなく姿が掻き消えるように透明になった。


 視界が暗転した。


 場所はおそらく——俺が寝ていた部屋。


 ベットの上に俺の身体がある。正確にはベットの上三〇センチほどの間隔をあけて、俺の身体が『空中』に浮かんでいた。俺の周囲を囲うように紫色の微粒子が無数に舞っているようだ。俺を少し見下ろすようにして、山田先生は何かを口ずさんでいた。


「『——原初の形態へと戻れ』」


 山田先生の囁くような甘美な声が室内に響いた。

 その声と同時に、ベットの上に俺の身体がゆっくりと落ちていった。



 肩をゆすられて、俺は意識を取り戻した。


「どうでしたか——他人の記憶を追体験するのは?」

「奇妙な感覚ですね……まるで映画やドラマを見ているような、それでいてリアルな没入感みたいなものがありました……娯楽にしたらきっと流行りますよ」


「ふふふ」と山田先生は口もとを隠しておかしそうに笑った。


「なんですか?」

「いえ、なんでもないです。やっぱり赤洲さんは面白い人だなと思いまして」

「意味が分かりませんが、馬鹿にしていますよね?」

「ふふ、そんなことないですから安心してください」


 そう言って、山田先生は俺の横から立ち上がった。

 フワッと黒い髪が揺れて、甘い香りがかすかに鼻口をくすぐった。


「……?」

「ところで、赤洲さんのことを心配している彼女たちが来ていますよ?」


 山田先生は、流れるような仕草で部屋の扉を開けた。


 黒いローブを羽織った麻白と若菜が部屋の前に佇んでいた。なぜか申し訳なさそうに俯いており、麻白の表情がよくわからない。若菜は、チラッと麻白を横目に視線を向けてから、室内へと足踏み入れた。


「こんばんは。シンジくん?」

「……」

「さあ、今上さんもこちらに入ってきてください?」と山田先生は立ったままの麻白を引き入れた。


 麻白はゆっくりと室内へと足を踏み入れたが、終始黙ったままだ。

 それを見かねて、若菜がわざとらしく「こほん」と咳をした。


「私から説明すると——」

「俺を囮にしたんだろ?」

「えっ!?……き、気が付いていたんだね」と若菜は驚きの声をあげて、大きく目を見開いた。


「そちらの麻白の表情を見ればわかるだろ?」


 俺の性格を逆手に取ったということだろう。

 『校舎に行くな』と釘を刺すことで俺を誘導し、犯人と接触させることで、何かしらの手がかりを得る予定だった。大方そういうことなんだろう。


「ごめんなさい……」と麻白は少しうつむいて下唇を甘く噛んだ。

「ううん、麻白ちゃんは悪くないの!元々は、私が提案したことだから……」と段々と語尾を弱めて、若菜が続けた。


「別に怒っていないから安心してくれ」

「私のせいで、神冶君を危険にさらしてしまって——」と麻白のアーモンド色の瞳には、涙が浮かんでいた。僅かにくぐもった声は申し訳なさを表しているようだ。


 本当に申し訳ないと思っているのかもしれないが、白々しい演技にしか思えない。

 しかし、そんなことを面と向かって言ったことで意味はない。

 それに話しが進まないことも困る。

 だからこそ、できるだけ明るい口調を心掛けて、話を促した。


「麻白も若菜も、どちらも問題解決のために最善を尽くしたに過ぎないのだから、気にしないでくれと言っても気にするのだろうから、そうだな。今度、デートでもしてくれ。それでチャラにしてくれ」


「……そんなことでいいの?」

「ああ。それでそっちの罪悪感が薄れるならば、それで構わない」


 俺たちの会話がちょうど終わるところを見計らっていたように山田先生が提案した。


「もう夜も遅いことですから、今日はこのくらいにしませんか?」

「先生……詳しいことは明日にでも説明してくれるんですよね?」

「赤洲さん……」と山田先生は何かを言いかけたが、すぐに「そうですね。明日の放課後に、皆さんで打ち合わせをしましょう」


「わかりました。それで構いません」


「うーん、私はどうすればいいの?」と若菜が言った。

「そうですね。集合場所は——」と山田先生が言いかけた時、麻白が遮った。

「シンジくんの家にしませんか?いいですよね?」


 麻白の先ほどと打って変わった真剣な眼差しが俺をとらえた。

 麻白がなぜ俺の家を指定したのか、その意図はわからない。

 この場でその真意を問いただしたところで、今の頭の働いていない状態ではきっと何もつかめやしないだろう。


「俺はそれでも構わない」

「わかりました」

「うーん、了解」と若菜は何かを思案した後に答えた。


 その後、俺たちは解散した。

 自宅に着く頃には、すでに夜明けと言ってもよい時間となっていた。

 シャワーを浴びて、ケガの痕跡を探したが、一つも見当たらなかった。

 やはり魔法というのは、特別な力らしい。


 ぼーっとした頭でそんなことを思った。

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